シークレット・ガーデン~英国紳士の甘い求愛と秘密~

東川カンナ

06.予定変更




「ミセス・ベネットはなんて?」
「それが色々あったみたいで」


 ようやく連絡のついた彼女は、電話口に齧り付いているのだろうことが伝わってくるものすごい勢いで莉緒の無事を確かめ、何度も何度も謝ってきた。


「実は私が来る前日に、お父さんが危篤だって報せが入ったらしくて」
 北部の方にある実家へ、取る物も取りあえず向かった。この時点で一時莉緒のことが完全に頭から飛んでしまったらしい。
「その、お父さん、まだ頑張ってらっしゃるんだけど、お医者さんの話では二三日が限度だって」
 彼女の父親は高齢で、いつお迎えが来てもおかしくはなかったのとは言っていた。けれどそれが天寿だったとしても身内の死は辛いものだし、逝ってほしくないと心は叫ぶものだろう。父親との関係が良好であっただろうことも、彼女の声音から察せられた。


「それでね、お父さんが危篤ってだけじゃなくて、その後彼女も入院することになったらしくて」
「え」


 動転していたこともあっただろう。病院の階段を踏み外し転落、骨折してしまったという。それで昨日はもう莉緒への連絡どころではなかったのだ。
 今朝になって彼女は自分が何を失念していたかに気付き、真っ青になったと言う。


「それはまた……」
「足首を三か所……手術もしなくちゃだし、一月は入院だろうって。お父さんのことも含めてこれからが色々大変そうで」
 父親の危篤、自身の入院。そして父親が亡くなればこの後は葬儀やら何やらと続く。
「すごく謝られた。見知らぬ土地で女の子を一人で放り出すなんて、そんな危険なことをしてしまって、貴女が無事だったのは結果論でしかない、本当に申し訳ないって」
 確かに莉緒は途方に暮れたし、レオンがいなければどうなっていたかは分からない。けれどミセス・ベネットもまた大変だったのだ。
「貴女昨日はどうしたのって訊かれたから、昔の知り合いに偶然再会して一晩泊めてもらったって言っておいた。それでね、彼女、家の鍵を送るなり何なりするって言ってくれたんだけど……」


 全く知らない相手ではないが、そう深い仲ではない。
 そもそも彼女は莉緒の友人ではなく、莉緒の両親との友人と言う方が正しい。家の鍵を預けて、自分の知らない間に他人が生活するというのは、莉緒の感覚としてはとてつもなく不安なことだ。
 それに彼女自身、戻って来た時ゆっくりしたいだろう。心も身体も休めて、父親のことにしても折り合いをつける時間が必要なはずだ。
 誰かがいた方が気が紛れるということもあるかもしれないが、それはその時になってみなければ分からない。リハビリも必要だろうし、その間生活に不安もあるだろうから、自分が助けになれるならとは思うが。


「私、ちょっとこっちでの滞在のこと、根本から考え直してみようと思うの。もしかしたら、彼女が戻って来て落ち着いた時にお邪魔することもあるかもしれない。けどそれまではほら、ここだけじゃなくて他の地方回って見たりとか。長期滞在のつもりだったからそれなりに軍資金はあるの、ホテルに泊まることになっても一週間とかで首が回らなくなるようなことはないし」
 ついこの間まで使う間もない生活だったので、貯金はそれなりにあるのだ。
「それでね、その、申し訳ないんだけど」
 けれどまぁ、問題は変わらない。
 見合ったホテルに空きが見つかるかどうか。
 ネットで検索して二三十分ではい予約! となるとは思えないし、そもそも滞在プランもまだ具体的には考えられていなかった。
 だから。


「どこか泊まるところを決めるまでの間、もう少しだけここに置いてもらえないかなぁと」


 レオンは即答した。


「なんで?」


 ひゅ、と莉緒の心臓が竦み上がる。


 なんで?
 確かにそうだ、彼にそんな義理はないし、いつまでも親切を差し出してもらえる訳でもない。
 一晩路頭に迷わずに済んで、食事も出してもらえて、彼があまりに親切だから当然のようにそれに甘える思考になっていた。
 彼はとても紳士だけれど、それは莉緒のことを特別に思ってそうなのではなくて、一般的な振る舞いとしてそうだというだけなのに。
 自分の思い上がりに恥ずかしくなる。何か言わなきゃと必死に次の言葉を探していると。


「ずっとここにいればいいよ。どうしてそれじゃ駄目なの?」
「え」
 そう続けられた。
 びっくりして見つめれば、彼の顔は分かりやすく不機嫌に染まっている。
「え、だって」
「せっかく再会できたのにあっさりさよならするつもりだなんて、冷たいなぁ」
「いやでも、だってそんな甘える訳にいかないよ、迷惑でしょう」
「僕、昨日から一度だってそんなこと言った? 態度に出てた? そんなつもりはなかったんだけど」
「そんなことは全くなかったけど……!」


 人に迷惑をかけちゃいけません。甘えてばかりではいけません。自分の面倒は自分でみなくては。
 そういう考えが莉緒の中では当然のように巡る。それに莉緒は小さな子どもではなく、二十五歳、もう十分に大人だ。
 けれど、レオンは莉緒の持つそういった通念を軽々飛び越えて来る。


「じゃあ問題ないじゃないか。リオは滞在先は少し変わるけど、予定通りこの湖水地方で過ごせる、僕は全く迷惑に思っていない。この状態を解消する必要がどこにある?」
「う、いや、えぇっと」
「悪い条件は一つもないと思うんだけど。……あぁ、それとも僕自身が信用できない?」
 駄目押しのようにそう訊かれる。
 莉緒の性格では否定できないと理解した上で、あえてこういう言い方をしているのだということは莉緒自身にも分かった。
 確かに、悪い条件は一つもない。助かることだらけだ。
 不安要素が一つもないと言えばそれは嘘になるし、莉緒には一応危機意識だって最低限備わっている。


 いや、でもこんなに美形で、生活を見てても裕福な感じの人が私にどうこうとかあり得ないよね、昨日も自分の勘違いを反省したところだけど、そういう方面も不自由してないだろうし……


 特筆するところのない自身の容姿や性格を思えば、そう心配する必要もないような気もしてくる。


「リオ」
 じっと見つめられれば、莉緒はもう敗北を確信するしかない。
 ちょっと上目遣いになるようにしているのも計算の内だろうか。
 そうは思うものの、結局押し切られてしまうのだから莉緒は自分のチョロさを認めざるを得なかった。
「ここにいなよ」
「…………宜しくお願いします」
 観念して頭を下げれば、眩しいくらいの笑顔が向けられる。

「いいホリデーを過ごせそうだ」

 レオンの弾んだ声が響いた。




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