シークレット・ガーデン~英国紳士の甘い求愛と秘密~

東川カンナ

05.英国紳士




 英国紳士、という言葉は誰しも聞いたことがあると思う。
 レオンを見ていると、本当にその通りの紳士が存在しているのだなぁと莉緒は感心してしまう。


 再会してからずっと、彼はとても親切で気遣いに満ちていた。
 けれどそのどれもがさり気なく、押しつけがましさはどこにもない。自然と振る舞いに溶け込んでいるから、気が付いたら遠慮する間もなく対応されてしまっているという感じなのだ。


「はい、どうぞ」


 二日目の朝もそうだった。
 ダイニングの大きなガラス戸の先にはタイルが張られたテラスがあり、庇も付いている。そこには丸型の白いテーブルセットがあり、日差しを遮りながら屋外の空気を楽しめるようになっていた。
 そこに朝食を用意した彼は、莉緒が出てくるとすっと椅子を引き着席を促した。


「ありがとう」


 男性に椅子を引いてもらった経験など皆無だ。あったとしても子どもの頃の話か、お店の人がというもので、身近な人からレディとしてそういうことをしてもらったことがないので、新鮮な感じがするのと同時に何だか照れてしまう。
 しかも。


「おかわり、あるからね」
 莉緒に用意された皿に乗るスクランブルエッグ、ソーセージ、サラダといった定番の朝食はどれも少な目に盛られていた。
 これも多分、昨晩莉緒が残してしまったことをひどく気に病んでいたからだろう。


「いただきます」
 両手を合わせてから、向かいでレオンが不思議そうにしているのに気付く。
「あ、そうか」
 いただきますもごちそうさまも、日本の習慣だ。
「日本では食事の前と後でそうするんだっけ。お祈りとはまた違うんだよね」
「食べ物に対する感謝だよ。あと作ってくれた人に対しても」
「そういうの、いいね」
 二人で囲むテーブルは、割に物でいっぱいだった。真ん中にはバスケットが置いてあり、中には鮮やかな色で満たされた瓶がいくつも入っている。


 ストロベリー、マーマレード、レモンカード、ブルーベリー、アップル。じつに様々な味が各種用意されていて、どれにしようか指先がつい迷ってしまう。
 結局この日はブルーベリーのジャムに決めて、莉緒は薄い食パンに濃い色を広げた。


「わ、美味しい」
 濃縮された甘酸っぱさが舌に染み渡る。
「良かった。ここのジャムは僕もお気に入りなんだ。ブルーベリー以外もすごく美味しいよ」
 朝から贅沢な時間を過ごしているなぁとしみじみと思いながら、莉緒は庭を眺める。
 朝食を庭でなんて、日本ではしたことがない。
 実家の庭にはこんな小洒落たテーブルセットはないし、整えられてはいるけれど絵になるようなガーデンが広がっている訳でもなかった。
 何より夏はまず駄目だ。蚊にたかられてしまう。
 その点イギリスでは蚊の心配をしなくていいのは、本当に素敵なことだった。蚊なしに夏を過ごせるなんて、こんなに快適なことはない。


 美しいイングリッシュガーデンを眺めながら、優雅に紅茶を飲んで、しかも痒い思いもしない。
 昨日はどうなることかと途方に暮れていた莉緒だったが、こうしていると遥々海を越えて来て良かったなぁと思う。
 まさに非日常。目に映るもの全てに見知った要素はなく、忙しなさから切り離されている。


 ゆっくりするのにはきっといいと、両親が言ってくれた通りだ。


 食事を終えてホッとひと息を吐いたタイミングで、莉緒は庇から少し出てみた。
 緑溢れる庭は単に緑と言っても様々な色味が混ぜ合わされていて、実に様々な種類の植物が植わっていた。芝生の合間にポツポツとレンガが敷き詰められ、緩やかなカーブを描いて奥へと続いている。広さは一体どれほどあるのだろう。

 右手の濃い緑の葉を付けた低木は花の季節はもう過ぎているがアジサイで、反対側の木の根元に咲き乱れているのはシクラメンだろうか。
 四季の中で花が絶えることはきっとないのだろう。
 そう言えば、玄関の壁には藤が張っていた。藤と言えば藤棚のイメージしかなかった莉緒だが、壁と一体化するように伸びる藤は洒落ていた。できれば花の季節に来たかったなと思う。


「リオ、そこ気を付けて。枝に棘があるんだ」
「わ、ホントだ」
 レオンの声で視線を下げると、お腹に擦れるくらいの距離に低木があった。
「これは何の木?」
 パッと見ただけでは判断がつかない。棘と言われれば瞬時に思い浮かべるのはバラだが、そういう訳でもなさそうだった。
「グースベリーだよ」
「グースベリー?」
 もらった答えに首を傾げる。
「知らない?」
 日本では聞かない気がする。幼い頃の記憶を掘り返しても、ピンとはこなかった。
「もう実の収穫は終わっちゃったけど、ジャムとかにするんだ。確か今年の分をジャムにしたのがあったはず。今度出そうか」
「うん、食べてみたい……!」


 レオン曰くこの家は休暇でしか利用しないそうだが、使用していない間は人に手入れを頼んでいるとのこと。
 実の収穫もジャムへの加工も、その頼んでいる人がしてくれたのだと言う。


「レオン、奥の方まで見に行ってもいい?」
 この庭はどこまで続いているのだろ。奥には一体どんな素敵な風景を隠しているのだろう。
 俄然気になってそう訊いてみたが、
「あぁ、ごめん」
 レオンは眉を下げてしまった。
「奥の方はあんまりいじれてなくて」
「あれ、お手伝いしてくれてる人がいるんじゃ?」
「どういう風にしようっていうのを決めかねてて、お恥ずかしいことに手付かずになってる。そこのグースベリーじゃないけど、棘が刺さったり触れてかぶれたりしても大変だから」
「そうなんだ」


 広い庭だと管理するのも大変だろう。
 家主が見られたくないと思っているところにずかずか踏み込んで行くのは失礼だ。


「ごめんね、ここからの景色が素敵だったから好奇心が湧いちゃって」
「こちらこそ自慢できるものじゃなくて恥ずかしい限りだよ。そうだ、リオ、こっちで何か予定はあるの? なかったらこの近くを案内するよ。庭以外にも沢山見どころはあるから」
 確かに、ここは美しい避暑地。青い服を着たウサギも有名な土地だ。
 観光ガイドには素敵な名所がずらりと載っている。
「嬉しい。けどレオンの方が予定があるんじゃ」
 ゆっくりするために来たのなら、それを邪魔するのは申し訳ない。莉緒には全てが目新しくても、彼には見慣れた、あるいは見飽きたものと化しているはずだ。
 それにネイティブには及ばないかもしれないが、莉緒の英語力でも一人観光は可能だとも思う。
 とにかく彼には迷惑をかけ通しなこともあり、これ以上何かしてもらうのは気が引けるのも事実。
 けれどレオンはその顔に柔らかい笑みを浮かべながら言った。


「遠慮しないで。リオに会わなかったらただただ引き籠って読書くらいしかしてない。外出もせいぜい近所のスーパーくらいのはずだったよ。そう考えたらちゃんと外出するのは健康的だし、誰かと一緒に出掛けると楽しいし」
「うん……」
 無理をさせていないのなら、案内してもらえるのは嬉しい。
「どこか行きたいところあった? ウィンダミア湖? ヒル・トップ?」
「え、えっと」
 訊かれて莉緒はスマホを取り出す。いくつか巡ってみたいなというところは調べて来ていた。
「えっとね、あ」


 ロックを解除したその時だった。手の中でスマホが震え出す。
 着信のお知らせだった。




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