シークレット・ガーデン~英国紳士の甘い求愛と秘密~

東川カンナ

02.チャンスの神様は




「どうぞ」
「有難う」
 通されたお宅は落ち着いた雰囲気で、広々としていた。必要なものは全て揃っているけれど、ごちゃついた印象はなくすっきりしている。
 元は独立していたというキッチン・ダイニングとシッティングルームの壁を取り払ったらしいので、より開放的に感じるのだろう。


「ここに人を呼ぶことはないから、自分の好きなように改装していて。これだけ広いと冬場なんか部屋を暖めるのに苦労するけど、基本は夏しか来ないから」


 記憶にあるあの大きなお屋敷とは違い、ここはレオンが個人的に購入した別荘らしい。
普段の住まいはロンドンにあるとも聞いて、莉緒は内心あんぐりと口を開けた。
 ロンドンは当然地価も物価も高い、それだけでなく避暑地にこんな大きな別荘を、それも個人で購入できるだなんて、考えるまでもなく莉緒とは生活水準が大分違う。
 莉緒が内心慄いていると、

「こっちの方がいい風が入るから」

 とレオンはダイニングのテーブルにティーセットを用意した。


「綺麗……」
 開け放たれた大きなガラス戸の向こうにはイングリッシュガーデンが広がっている。
 自然体という言葉が浮かんでくるのびのびとした景観だけれど、それでもきちんと調和のとれた庭。緑一つとっても濃淡が様々で目に美しい。奥の方に見えるのは、夏咲きのバラだろう。
 眺めているだけで心が落ち着く。


「大したおもてなしの準備がなくてごめんね」
「そんな」
 そうは言いながらも出してくれた紅茶は香りが高く、ティーカップは内側にもバラ模様の施された美しいものだった。
「…………すごい」
「うん?」
「美味しい」
 ひと口飲んで感動する。
 今飲んでいるのは紅茶なんだ、とそれをしっかり意識するものだった。コンビニで買うペットボトルも適当に淹れるティーバッグの紅茶も口にすっかりなじんでいるし、あれはあれで飲みやすい。でも、それとはまた違う次元の美味しさがあると思った。

 飲むと言うより、味わう。

 莉緒がにこにこ顔になると、レオンの表情もそれに釣られる。

「そんなに喜んでもらえると嬉しいな。紅茶くらいいくらでも淹れてあげるよ。ほら、出来合いのだけどスコーンも。クロテッドクリームとジャムはたっぷりつけて」
 勧められるままにスコーンにも手を伸ばす。


 美味しい紅茶と美味しいスコーンと、素敵な庭。目の前にはやたらと美しい英国紳士。


 さっきまであんなに途方に暮れていたのに、と思う。そしてそう思った瞬間に、自分の抱えた問題がまだ何も解決していないことも思い出してしまった。


「リオ?」
 急に真顔に戻った莉緒に、レオンが気遣わし気に呼びかける。
「リオは今回はどうしたの。旅行?」
 そうして莉緒に語らせるより前に、彼の方からそう問いかけてくれた。


「うん、そうなの。ちょっと長期の予定で」
「長期ってどれくらい?」
「一応最長でいられるだけの期間、六か月のつもりで。ミセス・ベネットはビザが切れるまではいてもいいじゃないって言ってくれてたから。もしかしたら二三か月で引き上げるかもしれないけど、そこはまぁその時の気分次第かなって」
「ということは」
「うん、ミセス・ベネットのお宅にステイさせてもらうつもりで」


 ミセス・ベネットはここに避暑を目的に一時滞在しているのではなく、定住しているのだ。
 美しい自然に囲まれた長閑な土地で、莉緒はしばし休息を満喫するはずだったのだが。


「でも彼女はいなかったと。電話やメールは? アドレスはもちろん知っているんだろう?」
「何度も入れたけど、まだ返事はなくて」
 彼女は莉緒のと言うよりは両親の知り合いだけれど、その昔こちらにいた頃には当然面識があった。それなりに交流や信頼関係があったからこそ今回莉緒の滞在先として名乗り出てくれた訳で、まさか忘れられたりすっぽかされたりしているとは思えないし思いたくない。
「結構待ってたんだけど、今日はもう無理かもしれない。彼女自身に何かあった訳じゃないといいんだけど……」


 考えられる可能性。
 例えば急な病気で入院することになったとか。
 返事がないということは、連絡が取れない何某かの状況に置かれているのかもしれない。


「それは心配だけど、でもリオもかなりピンチな状況だろう。今日泊まるところは?」
「それは――――」
 それはこれからの話である。
「……まだ決まってないんだね」
 ぐっと言葉に詰まった莉緒を見て、レオンが溜め息を吐いた。
「この時期、ここらのホテルは皆埋まってるよ。よしんば空いていてもそれなりの料金だ。長期滞在のつもりならそれなりに用意はあるだろうけど、ミセス・ベネットとこのまま連絡が取れなければ当初の予定を相当早く切り上げないといけないだろうね。女性の身で下手な安宿はおススメしないし」
「う……」
 ぐうの音も出ない。レオンの発言は、先ほど莉緒が考えて溜め息を吐いた内容そのものだった。
「でも背に腹は代えられないし、予定を早めることにはなるかもだけど、それも今日明日の話ではないし。頑張って探せば運良く部屋も見つかるかもしれないし」


 そうだ、再会は喜ばしいことだったし、紅茶も本当に美味しかった。けれどこんな風にのんびりしている場合ではなかった。今すぐに今宵の宿を確保するために動かなければ。


「運良く、か」
 レオンは莉緒の発言の一部を切り出した。
「っ」
 甘ちゃんな考えだと、そう思われただろうか。それでも今のシーズンだとそういう風に表現せざるを得ない。それだけのこと。


「運って、自分で掴むものだよね」


 唐突にそんな風に言われる。


「きっかけ自体はわりとそこら中にあるものだけど。転がって来た時に、全力で掴めるかどうかだと思うんだ」
「う、うん……」


 澄んだ青の瞳が莉緒を真っ直ぐ見つめる。まるで何か試すように。


「リオ、実はここは僕が個人的に購入した別宅で」
「それはさっきも聞いたよ……?」
「広々してるけど、基本一人でのんびり過ごすための場所なんだよね」
「う、うん」


 それも聞いた。
 日々の仕事と都会の喧騒から逃れて、何をする訳でもなく溜めに溜めた書籍の山を崩しながら過ごすのだと。


「だから部屋は余っていて。人を呼ぶつもりがないとは言え、形式的にゲストルームもあるんだ」


 ゲストルーム。
 その言葉に無意識の内に身体が前のめりになっていた。


 今、多分すごくすごく分かりやすく、レオンは莉緒の前に“きっかけ”転がしてくれている。


 リオ、と彼は改めて呼びかけてきた。そうして訊ねてみせる。


「そう言えば僕に訊きたいこと、何かない?」




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