病夢(びょうむ)とあんぱん

ぢろ吉郎

病夢とあんぱん その外 ~詩島志吹のビーフシチュー~⑤



「・・・・・・・」


 事実。
 娘さんの家出の事実。機桐はたぎりさんの事実。
 その事実を知ったとき、僕は何も言えなかった。


 なぜ、そんな風になってしまったのか。


 どうして、そんなことになってしまったのか。


 それしか考えられなかった。


 確かに、彼のしたことは親として正しい行動ではなかったのかもしれない。立派な親ではなかったかもしれない。正しい親ではなかったかもしれない。
 才能を、『やまい』を、責任を、無理矢理背負わせようとすること。
 子どもの正直な気持ちに気付けず、間違った優しさを与えたこと。
 正しくない、親なのだろう。
 ・・・・・けれど。
 子どもを失うほどのことなのだろうか?
 少なくとも、彼は手を出すことはなかった。子どもを、自らの手で傷つけることはなかった。
 それでも、親としての立場を失わなければならなかったのか?
 父親が正しいのか、娘が正しいのか。


 どんなことがあっても、手を出さなかった父親が正しかったのか。
 手を出される前に、逃げ出すことができる行動力を持っていた娘が正しかったのか。


 もしくは。


 結局、厳格になりきれなかった父親が間違っていたのか。
 この程度のことで逃げ出した娘が間違っていたのか。


 分からない。僕なんかには判断できないし、誰にも判断できないだろう。無言で黙りこくること以外、何ができるっていうんだ。


「なぜ、こんな出来損ないの父親の失敗話をしたかというとね、じま君」


 自らの失敗を明かし終えた機桐さんは、どこか疲れたように続けた。


「実は・・・・・莉々が見つかったんだ」
「!・・・本当ですか!?」


 本当だよ、と彼は返す。
 もちろん、本当の話であることは分かっていた。この人は、そんな冗談を言えるような人ではない。そんなジョークを、言えるはずがない。


「なら・・・すぐにでも、莉々さんを迎えに行くんですよね?」
「そうしたいのは、やまやまなんだが・・・そんなに簡単にはいかないんだ」


 顔をしかめて、彼は言う。


「莉々は、とある組織に保護されている。『シンデレラ教会』と同じく『病』に関わり、『やまいち』を保護している組織だ。名前を『海沿かいえん保育園』という」
「『海沿保育園』?」


 聞いたことのない組織名だ。この半年間、いくつかの組織の名前を聞いたが、それらの中には含まれていない。


「小さな組織なんですか?」
「ああ。そういう点でも、私たちと似通っている組織だ。少数精鋭せいえい。小さいながらも、大きな力を持つ組織だと、私は聞いているよ」
「では、その『海沿保育園』と交渉する、ということですか?」
「・・・・・」
「?・・・機桐さん?」


 どうも、今日の機桐さんの話し方は歯切れが悪い。自身の失敗談を話すことで、なんとも言えない疲労感が溜まっているということも、もちろんあるだろうが・・・。


「交渉は、しない」
「え・・・?」
「今、草羽くさばねさんたちと、莉々を誘拐する算段を整えているところだ」
「ゆ、誘拐?」


 誘拐というのは、あの誘拐か?
 犯罪行為の?


「な、なんで誘拐なんか・・・普通に交渉をすれば、済む話ではないんですか?」
「済む話、かもしれない」


 頷く機桐さん。しかしその顔は、どこか苦しげであり、どこか悩んでいるように見える。


「だが、交渉をしたところで、確実に莉々を返してもらえる保証はない。私は、確実に莉々を取り戻したいんだ。どんな手段を使ってでも・・・・・。何よりも大切な娘だと、君にもそう伝えたはずだね?」
「・・・・・」


 確かに、そう伝えられた。何よりも大切で大事な娘だと、そう伝えられた。
 そのためならば、なんだって犠牲にできる・・・と。


「だから、誘拐する。草羽さんや、のどさんたち姉弟きょうだいにも協力してもらって、『海沿保育園』から莉々をさらう」
「でも、そんなことをすれば、向こうも黙っていないでしょう?莉々さんを取り返そうと行動を起こすはず・・・・・でしょう?」
「そうだ。そこで君に・・・君たちにやってもらいたいことがある」


 機桐さんは立ち上がり、窓へと近づいていった。沈んでいく夕日が、彼を静かに照らし出す。
 明るく暗く、照らし出す。


「莉々を取り返そうとやって来る彼らを・・・追い返してほしい」
「追い返すって・・・・」
「いや、違うな。もう、はっきり言ってしまおう」


 彼は静かに、その言葉を口にする。


「詩島君。やく君と協力して、彼らを・・・・・・殺してくれ」


 まったく似合わない、似つかわしくない、残酷な言葉を口にする。
 震える声で、その言葉を紡ぎ出す。


「戦いの場は、私たちの方で設けるつもりだ。その場所を、彼らにも伝える。そこで彼らを・・・・・殺せ」


 最後は命令口調だった。震える声を抑えようとしているのか、自分の覚悟を決めようとしているのか、今まで聞いたことがない命令口調で、彼は言った。
 僕は、機桐さんの役に立ちたい。彼に恩返しをしたい。
 それは、半年前も今も変わらない、僕の気持ちだ。
 追い返せと言われれば、それに従うまでだ。
 死ねと言われれば、それに従うまでだ。
 殺せと言われれば、それに従うまでだ。


 けれど。


 それで機桐さんが苦しむならば、従えない。
 彼の嘘には。
 僕は、従いたくない。


「機桐さん・・・・・。本当に、殺してしまっていいんですか?」


 彼は答えない。


「本当は・・・・・迷っているんですよね?」


 彼は答えない。


「莉々さんを誘拐することを、迷っているんですよね?」


 彼は・・・。


「彼らを殺していいのかどうか、迷っているんですよね?」


 ・・・・・。


 できるはずが、ないのだ。
 殺すなんて決断を、彼ができるわけがないのだ。
 どんなに娘を大切に思っていたところで、そのためには他の全てを犠牲にできると言ったところで。
 彼には、人は殺せない。
 彼は・・・・・悲しいくらいに、優しい。


「詩島君」


 しばらくして、彼は口を開く。


「ありがとう」


 そして、彼は呟く。


「でも・・・・・話はこれで終わりだよ。疫芽君には、既に話をしてある。二、三日後には、誘拐を決行する予定だ。それまでは、ゆっくりと休んでおいてくれ」


 彼は背中を向けたまま、話を終わらせた。
 その声は、もう震えてはいなかったけれど。
 その背中は、なぜか少し、小さく見えた。


 その日の夕食は、初めてここに来たときと同じく、ビーフシチューだった。
 ・・・・・あの日のように、味わって食べることはできなかった。
 なんの味もしない。なんの温かみもない。
 とても、悲しいばかりだった。





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