病夢(びょうむ)とあんぱん

ぢろ吉郎

病夢とあんぱん その44



 この戦いに意味があったとしても、それを見出すことの出来る者は、ここにはいない。 
 何一つ報われず、ほんの少しも幸せになることが出来ない。幸せになろうとしない彼らは、無駄な戦いに、無意味に挑むしかないのだ。
 彼らの戦いとは。
 柳瀬と、『シンデレラきょうかい』の当主による話し合いとは。
 そういうものである。


 複雑な気分を抱えながら、僕は廊下を歩いていた。
 『シンデレラ教会』の当主との会話。
 一体、何を話せばいいんだ?
 第一、その当主とやらは、なぜ僕らと話したがっている?ちゃんをさらっておいて、今更、和解でもしようというのか?・・・そんなのは、都合が良すぎる。
 ・・・いや、案外、話をする気なんてないのかもしれない。話をしたいというのは嘘で、のこのこやってきた僕たちを殺そうと、企んでいるのかも。少女の誘拐を平気でやってのける人達なのだ。それくらいのことはやってきても、おかしくはない。
 本当に「お喋り」をするだけなのか。
 殺し合いになるのか。
 どちらになるのか分からない以上、両方の心持ちが必要だろう。


「・・・ん?」


 前方へと足を進めながら耳を澄ませると、微かにピアノの音が聞こえた。前に進むにつれ、音は少しずつ大きくなる。


「・・・」


 僕はまったく音楽のようがないので、この微かに響くピアノ音が何の曲を表現しているのかは分からなかった。
 ただ、とても柔らかい曲調だった。
 とても優しく。
 とても、温かい。
 早朝にぴったりの、心が晴れ晴れとするような曲調だ。こんな状況でなければ、思わず聞き入ってしまうかもしれない。


「・・・ここかな」


 僕はついに、廊下の最奥部の部屋まで辿り着いた。予想した通り、ピアノの音はこの奥から聞こえてくる。
 ・・・・本当に、この奥に『シンデレラ教会』のリーダーがいるのだろうか?
 扉の取っ手に手を掛けながら、僕は考える。
 実は部屋を間違えていて、コンサートが開かれている、なんてことはないだろうな?と、見当違いの心配をしたりもした。
 ・・・あるわけないか。
 僕は、扉を開く。
 後から考えれば。
 後々から考るならば、コンサートに乱入する方が、まだ良かったかもしれない。扉の先で行われる「彼」との会話を思えば、そっちの方がよっぽどマシだっただろう。
 何故なら。
 『シンデレラ教会』の当主との「お喋り」のすえに、僕は、膝を折ることになるからである。


 扉の先はコンサートホールだった、ということはない。
 扉の先で僕を待ち構えていた風景は、まさしく『教会』といった感じだった。
 とても高く、広い天井。側面の壁にはステンドグラスがはめ込まれており、そこから差し込む鮮やかな朝日が、教会内を温かく照らしていた。会衆席のベンチが奥までズラリと並べられており、中央には身廊しんろうが通っている。
 ただ、奥の祭壇さいだんの上に、神父はいなかった。
 あるのは、グランドピアノだ。先ほどからのメロディーは、このピアノから流れていた。
 そして。
 そこには、滑らかにピアノを弾く男が座っていた。
 僕に気付いているのか、いないのか、こちらを振り返る様子はない。ただ一心に、心地よいメロディーを奏でていた。


「・・・・」


 僕は黙って身廊を通り、祭壇の方へと向かう。
 やはり、男はこちらを向く気配はない。だが、無視している、という風でもなさそうだ。ただただ、ピアノの演奏に夢中になっているだけのように見える。
 力強く鍵盤を叩いている、という感じではない。
 しかし、優しい曲調の中に、わずかな力強さを感じだ。
 まっすぐで混じり気がなく、とても純粋な思い。
 それを、この身にひしひしと感じた。


「・・・」


 祭壇の目の前まで来たところで、ポロン・・・という静かな音とともに、ピアノの音は止んだ。


「ふう・・・」


 という小さな溜息をつき、男は立ち上がった。一応、自分の存在を示すために小さく拍手を送ると、男は驚いた顔をこちらに向けた。


「おや・・・もう来ていたのかい?気付かなかったよ。無視をしてしまったようで、すまなかったね」


 男は、申し訳なそうに微笑を浮かべた。


草羽くさばねさんから、連絡は受けていた・・・。君が、やなゆうくんかな?」


 低く、力のこもった声だ。しかし、先ほどのピアノのメロディーと同様に、どこか優しく、どこか温かみのある声だった。


「ええ」


 と、僕は返事を返す。


「あなたが、『シンデレラ教会』の・・・当主、ですか?」
「ああ。その通りだよ」


 ゆったりと、男は答える。
 なんだか、全然イメージと違った。
 当主とか、組織のリーダーなんていうから、もっとプライドが高く、高慢こうまんな態度をとるような人間なのかと思っていたが・・・目の前の男からは、そういう雰囲気は一切感じない。ただただ、優しそうなおじさんという印象だ。
 ・・・まあ、第一印象で、すべてを判断するわけにはいかないが。
 どんなに優しそうでも、相手が誘拐犯であることには変わりがないのだ。イメージに引っ張られて、隙を見せるわけにはいかない。気持ちを張り詰めておかなければ。油断したところに、容易たやすく不意打ちを入れられかねない。


「まず、謝らせてほしい」


 と、唐突に男は頭を下げた。


「君宛てに、あんな脅迫電話をしてしまったことを、謝らせてほしいんだ」


 ああ・・・。と、僕は思い出した。目の前のことに必死で、そんなことはすっかり忘れていた。そういえば、事の発端ほったんはそれだった。もともとは、僕を殺すという脅迫から、事件は始まっていた。


「いえ、そんなことは、もうどうでもいいんですけど・・・」


 正直、謝られたところで、今更感が否めない。僕への殺人予告は、実行されなかった時点で、既にどうでもよくなっていた。
 そんなことより、さっさと莉々ちゃんを渡してほしい。あなたたちのせいで、僕はおりさんに脅され、戦う羽目になったのだ。せめて、早く帰らせてほしいものだ。


「いや、君がどうでもよくても、謝らないわけにはいかないよ・・・。その謝罪を含めて、君たちとは話をしたいと思っていたんだ」


 男は、ゆっくりと顔を上げる。


「祭壇の上に、上がってきてもらってもいいかな?立ち話、というのも疲れるだろう?座って、ゆっくり話をしないかい?」


 と、男は小さく手招きをする。
 あくまでも、優しそうに。
 あくまでも、謙虚に。


「お茶にしよう」





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