病夢(びょうむ)とあんぱん
病夢とあんぱん その39
この戦いにおける柳瀬優の優れていた点を挙げるとするならば、「最後まで不意打ちにこだわった」という点にあるだろう。たとえ、「扉の陰から切りかかる」という典型的な不意打ちだったとしても、真っ向勝負を挑むよりはマシだった。
真正面からの勝負では、全然相手にならなかったからだ。
柳瀬が考えていた通り、戦闘経験のまったくない柳瀬と、戦闘経験を積んだ疫芽では、戦いのステージが違いすぎる。何の抵抗もでぎずに、数分程度で決着は着いていただろう。
不意打ちは、柳瀬にとって最善の策だった。
そして逆に疫芽忠の優れていた点を挙げるとするならば、「不意打ちに対しても冷静に対処した」という点だろう。
逃げ出した柳瀬をがむしゃらに追いかけ、乱れた心のまま屋上に突入していたならば、彼の首はかき切られていたかもしれない。
疫芽の冷静さは、彼を圧倒的に有利にした。
では不意打ちを失敗し、二撃目には武器さえ奪われてしまった柳瀬は、その後どんな行動をとったのか?
それは、とても現実的とはいえない行動だった。
柳瀬は・・・扉を閉めた。
疫芽が向こう側にいる状態で、もう一度扉を閉めたのだ。
この行動には、さすがの疫芽も失笑を禁じ得なかった。そんな行動に何の意味がある?
ただ単に、現実逃避をしただけだろう。不意打ちが失敗したからといって、敵を閉め出したところで、何の解決にもならない。押さえつけていたとしても、力づくで扉をこじ開けられ、再びご対面することになるだけだ。
疫芽は二、三歩後ろに下がり、体当たりで無理矢理扉を開こうとし・・・。
爆発した。
この戦いにおける疫芽忠の失敗を挙げるとすれば、それは優れていた点と同じく、「冷静だった」ということだろう。たとえ柳瀬が扉を閉めようが焦らず、冷静に外に出ようとした疫芽は、とても落ち着いていた。
しかし。
彼は焦るべきだったのだ。
柳瀬が扉を閉めようとしたその瞬間に、慌てながらも飛び出すべきだった。
そうすれば、爆発に巻き込まれることはなかったかもしれない。
結局、柳瀬が何をしたのかといえば、「自害用爆弾」を武器として使用する、ということだった。
信条陣からは、厳しく禁止されていた行為である。
「あからさまに爆弾で攻撃しようとすりゃ、相手は簡単に見抜いちまうだろうさ。」
信条陣の言葉だ。
それならば、「あからさま」でなければどうだ?
気付いたからには、実行するしかなかった。生き残るためには何でもするのが、柳瀬優という男である。不意打ちも賭けも、何だってする。
一度はしまい込んだ爆弾を、もう一度取り出す。ストラップ部分をサバイバルナイフの柄の部分に括りつけ、小さな衝撃でストラップ部分が抜けるように、緩めておく。
一撃目の不意打ちはフェイクだった。そして、二撃目もフェイク。そもそも相手のリーチが長いと分かっているのだから、本来ならば二撃目を加えるのは危険である。
だが、あえて加えた。
ナイフを、疫芽側に弾き飛ばしてもらうために。
気付かれないように、爆弾を投下するために。
相当危険な賭けであったということは、柳瀬自身にも分かっていた。一撃目を避けられた時点で攻撃を受ける可能性もあったし、柳瀬側に爆弾が弾かれる可能性だってあった。柳瀬自身が爆発に巻き込まれるパターンなんて、何通りだってあったのだ。
だが、何とか上手くいった。柳瀬は賭けに勝った。
扉を閉めて数秒後、爆発音が響く。
柳瀬優は、またしても生き残った。
大した知恵も勇気もなく、愛も友情もない。
ごく普通で、普通ではない青年は『伸長の病』からも逃げ延びた。
彼がいつまで生き残れるのか。
それは、誰にも分からない。
「うっ・・・・」
扉を閉めた後、そのまま押さえつけておくことなんて、僕には出来なかった。
爆発が起こることが分かっているのだ。おちおち、その場に立ち止まってなんかいられない。すぐに扉から離れる。
結局、爆風の衝撃で扉を破壊され、僕はうめき声をあげながらふっとばされた。
少し床を転がった後、フラフラと立ち上がる。
(あの人、本当にとんでもない物を持たせてくれたな・・・)
足を引きずりながら戻り、爆発が起こった部分を覗き込む。
人影はどこにも見当たらなかった。骨まで木っ端微塵、ということはないだろうが・・・かなりの重症であることは確かだろう。少なくとも、僕と戦える状態ではない・・・はずだ。
もともとガタがきていた階段と壁も、さらにボロボロになっていた。階段に至っては、もう上り下りできるかどうかも怪しい。
でも、下りなければ。
彼の生死を、確認しなければならない。
生きていれば、また戦わなければならないかもしれないし。
死んでいれば・・・どうだろう?初めて人を殺めてしまったことになるなのだが・・・彼の死体を目の前にしたとき、僕はどんな反応をするのだろうか?
命を賭けた戦いの勝利に、高笑いでもするのだろうか?
人を殺してしまったショックに、泣き崩れたりするのだろうか?
さっぱり分からない。自分のことなのに、自分の反応が全然分からない。なんて無責任な男なのだろう、と今更ながら思う。
しかし・・・確かなこともある。
たとえ、彼の死体を目の前にしようとも。
人を殺してしまった事実を確認してしまったとしても。
自責の念に駆られて、自害するようなことはあり得ない。
信条さんに勧められた自殺は、決行できそうにない。どんなことがあったって、僕は僕を殺せない。
そして、ホッとしてしまうだろう。
「自分だけは死ななくてよかった」と、ホッとしてしまうのだろう。
それが、僕という人間だ。
「・・・ん?」
細心の注意を払いながら、今にも崩れ落ちそうな階段を三階まで下りたところで、僕はそれを見つけた。
血痕。
・・・いや、もはやそれは血溜まりと言っても、差し支えないかもしれない。誰の血液なのかは、言うまでもない。おそらく彼は爆発の衝撃で、三階へと落下したのだろう。そして、二階へと逃亡したようだ。その証拠に三階から二階の方へ、血の跡は続いている。
「・・・・・」
僕は口を開かず、なるべく感情を乱さないようにしながら二階へ向かった。
血。血。血。
二階へと続く階段には、そこら中に血飛沫が飛び散っていた。歩いて階段を下りるなんてことは、彼にはもうできなかったのだろう。多分、転がり落ちるようにして階段を下りたはずだ。そうでなければ、これほどの量の血液が飛び散ったりはしないだろう。赤すぎて、気分が悪くなってしまいそうだ。
二階まで下りた時点で、僕は初めて、二階の天井が異様に高くなっていることに気付いた。
(そうか。彼はこうやって二階の窓から侵入したのか・・・)
そして、どうやら彼は入ってきたときと同じく、窓から出て行ったようだ。血痕を辿った結果、先ほどのオフィスに辿り着いた。その窓の外へと、血の跡は続いていたのだ。
「・・・・・」
外を見るが、彼の姿はない。
生きている姿も。
死んでいる姿も。
ない。
「・・・ふぅ」
溜息なのか、安堵なのか、自分でもよく分からない息を漏らす。
追いかけるのは無理だろう。そんな体力は残っていないし、これ以上戦う気力もない。
あの十七歳の少年が生き残ったのか、死んでしまったのか、僕には分からない。そんなものは、分からなくたっていい。・・・・・とにかく、僕は生き残った。
喜びはない。
悲しみもない。
そんな勝利を、僕は手に入れた。なんの価値もない命を、僕は守り抜いた。
その命は僕にとって。
とても。とても。
大切な命だった。
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