病夢(びょうむ)とあんぱん
病夢とあんぱん その33
「それじゃあ行こうか、柳瀬君」
「・・・・・は?」
行こうかって?
どういう意味だ?
「何を呆けた顔をしているんだい?柳瀬君。莉々ちゃんを助けに行くと、今言ったばかりじゃないか」
「・・・氷田織さんが、でしょう?」
「君も行くんだよ。大切なお仲間が攫われたというのに、ここでじっとしているつもりかい?」
・・・そのつもりだったのだが。
というか、この人は、莉々ちゃんを「大切なお仲間」だなんて思ってはいないだろう。
そして僕も、莉々ちゃんに対して執着があるわけではない。
そもそも僕を連れて行ったところで、役には立たないだろう。まだ、沖さんを連れて行った方がマシだと思える。
「僕なんかを連れて行って、どうするんです?氷田織さんの戦いの、邪魔になるだけですよ」
「いや、僕一人ではさすがにキツいと思ってねぇ。柳瀬君に手伝ってもらえると、とてもとてもありがたいんだけど・・・」
「大嘘つかないでくださいよ。どうせ、あなた一人でもなんとかなるんでしょう?」
「バレたか」と、氷田織さんは笑う。
「確かに僕一人でも、何とかなるかもしれない。でもそれは、『何とかなる』だけだ」
「・・・どういう意味です?」
「僕一人が行けば、相手を殺すしかない。まだ交渉の余地が残っていたとしても、僕は彼らを殺す。交渉なんて面倒くさいこと、僕はやりたくないからねぇ。でも、話し合いの可能な相手を皆殺しにしてしまうのは、最善とはいえない・・・ですよねぇ?沖さん?」
「ええ・・・まあ、そうですが・・・・」
氷田織さんはここぞとばかりに、沖さんに話を振る。
この人は、楽しんでいるだけだ。
交渉とか、話し合いとか、そんな友好的な手段は、この人の頭の中にはない。
僕が、右も左も分からない戦いの場で、あたふたすることを。
必死になって生き残ろうとした結果、死ぬであろうことを。
楽しんでいる。
それだけだ。
「そこで、君には交渉役を頼みたいんだよ。何とか、莉々ちゃんを返してもらえるようにねぇ。僕が、奴らを皆殺しにする前に。『感電死』から何度も逃げ延びた君なら、余裕だろう?」
「それは・・・難しいでしょう。もちろん皆殺しは避けたい選択肢ですが、優くんに交渉役を頼むのは酷すぎます」
「・・・はっきりと言ったらどうですか?氷田織さん」
と、僕も反論する。
「あなたは、僕を戦場に引っ張り出したいだけでしょう?僕が敵にむざむざ殺されていくのを、鑑賞したいだけなんじゃないですか?」
「だとしたら、何だというんだい?」
と、氷田織さんは、意地の悪そうな笑顔を浮かべる。
「それに、これは君のためでもあるんだ。昨日言っただろう?生き残るためには、それなりの心構えと、処世術が必要だと。君はこれからも、追手に狙われ続けるかもしれない。その度に誰かが守ってくれるなんて、都合の良いことを考えてはいないだろうねぇ?生き残るためには、戦うか、交渉するしない」
「・・・・・」
「お優しい沖さんに代わって、はっきり言ってあげるよ、柳瀬君。このままじゃ、いつか、君は絶対に殺される。無残に殺される。戦いの術を、交渉の術を、しっかり学ぶべきだと、僕はお勧めするねぇ」
フッ・・・と、氷田織さんの笑顔が消える。
最初から笑ってなどいなかったかのように、消え失せる。
「ほら。カッコ悪く、情けなく、戦ってみろよ。柳瀬優」
氷田織はバイク用グローブを外し、その素手を、柳瀬の目の前に突きつける。
柳瀬には、その行動の意味を、正確には理解できない。
氷田織畔の『致死の病』を。
彼はまだ知らない。
だが、その尋常ではない雰囲気を、感じ取れない柳瀬ではない。
強い殺気。
ただただ強い殺意。
氷田織が、手だけではなく、全身から発していたのは、そんな雰囲気だった。
「・・・・分かりましたよ」
と、僕は立ち上がる。
生き残るために、立ち上がる。
「待ってください、優くん」
慌てて、沖さんが引き止める。
「引き止めては駄目ですよ、沖さん。せっかく、柳瀬君が戦う決心をしたというのに」
氷田織さんは、再び微笑みかける。
「引き止めたところで、あなたでは柳瀬君を守れはしないでしょう?彼を守れるのは、彼自身だけだ」
「・・・・そうかもしれません。それに、私だけでは彼を守ることができないことも、分かっています」
沖さんは、小さく頷く。
とても悲しそうに。
「それでも、引き止めるくらいのことは、させてください・・・。優くん。君が、生きるために戦うというなら、私は応援します。しかし、『逃げる』という戦い方もあるということを、優くんには分かっていてもらいたいんです。真正面から戦うのが怖ければ、逃げることもできる。誰に責められようが、逃げることだって、生きるためには必要なことなんです」
「・・・でも、逃げ続けているだけじゃ、何も得られないんじゃないですか?」
「何かを得ようとするなら、確かにそうです。でも私は、君に、他の何よりも、君自身の命を守ってほしいと願っています。逃げ続ければ最低限、君の命だけは助かるかもしれない」
沖さんは小さく微笑んだ。
苦しそうな笑顔で。
「私に、守ることも助けることもできないのなら、願っています。せめて、君が死なないでいてくれるように願っています。忘れないでください。君は逃げていい、ということを」
「・・・肝に銘じておきますよ」
僕がそう答えると、沖さんは納得したかのように、椅子に座り直した。
「畔くん・・・・君も、決して死なないでくださいね」
「・・・・・・」
氷田織さんは答えない。無言で、背中を向けるだけだ。
氷田織さんはあんな風に言ったが、もちろん僕は、戦いの決心をしたわけではない。氷田織さんの言葉で、いきなり戦いに目覚めたわけでもない。あんなのは、ただの脅しだ。
つまり、今回僕が戦う理由は、次のようになる。
「脅されたから」。
これに尽きる。
出会って約一週間の女の子の命なんて、どうでもいい。
ただ。
それでも戦えというのなら、絶対に生き残る。他の何を犠牲にしても、僕だけは生き残る。
交渉も、殺し合いも、逃げることも。
何だって、やってやる。
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