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病夢(びょうむ)とあんぱん

ぢろ吉郎

病夢とあんぱん その29



「あのー・・・おきさん」


 と、申し訳なさそうに沈黙を破ったのは、空炊からたきさんだった。


「どうしたんですか?ほうくん」
「俺とちゃんは、戦いの役には立てそうにないんで、子供たちと一緒に、奥の部屋に引っ込んでいてもいいですかね?」
「そうですね・・・。では、芳司くんと莉々ちゃんは、子供たちを見ていてあげてください。なるべく戦いに巻き込まれないように、そして、心に不安が生まれないように、一緒にいてあげてください」
「すみませんね。そうしますよ・・・行こうか、莉々ちゃん」


 空炊さんが苦笑いしながら立ち上がり、莉々ちゃんもまた、コクリと小さくうなずきながら立ち上がる。


「悪いね、やなくん。君のことが心配じゃないわけではないんだ。でも、俺らに出来ることなんて、本当に何もなくてね。せめて、こうして戦いの邪魔にならないようにしているくらいしか出来ない・・・。無力なもんだよ」
「いえ、気にしないでください。僕だって、僕の命のために出来ることは、ほとんどないですよ」


 せいぜい、足掻き、抗うことくらいだ。
 僕が僕のために出来ることなんて、それくらいしかない。


「あの・・・・頑張って、ください」


 莉々ちゃんも、ほそぼそ激励げきれいをしてくれた。
 その言葉を最後に、二人は子供部屋の方へと向かって行く。子供たちを、起こしに行ったのだろう。


「沖さんは・・・どう思いますか?」


 二人を見送りながら、僕は沖さんに問いかける。


「どう、とは?」
「僕は・・・生き残れると思いますか?」
「生き残らせますよ。必ず」


 沖さんは、相変わらず微笑んでいる。
 生き残らせる、と堂々と言われても。
 その努力をするのは主に、おりさんやしんじょうさんなのではないだろうか?


「氷田織さんは、僕が生き残れるとは思っていないみたいですね」
「そうかもしれません。でも、力だけは貸してくれています。げきしゅ退しりぞけてくれたのはほとりくんだということを、忘れてはいけませんよ」
「それはそうですけど・・・どうして沖さんは、あんな人を、この保育園に置いているんですか?あんなに危険そうな人を」
「さっきも言った通りです。誰でも守るから、ですよ」
「そうはいっても、氷田織さん自身が、ここの住民を危険にさらす可能性もあるわけでしょう?あの人が、沖さんたちや子供たちを殺そうとするかもしれない。そうなったら、一体、沖さんはどうするんですか?」


 さすがに氷田織さんを殺すか、最低でも、追い出そうとするのだろうか?
 だが、沖さんの返答は違った。
 その回答は、とてつもなく甘いものだった。
 信条さんや氷田織さんが聞いたら、怒りだすだろうと思うほどに、甘い回答。


「守りますよ」


 と、沖さんは繰り返す。
 あくまでも、微笑みながら。


「私の命をいくつ犠牲にしてでも、君たちを守ります。そして、畔くんも必ず守ります。私は、死ねませんからね。引き裂かれようが、バラバラにされようが、何度でも復活して、畔くんを止めますよ」


 そして、求められれば何度でも、彼を助けます、と沖さんは言う。
 お腹が空けばパンだってわけます、とも。


「私が、皆さんのために出来ることなんて、それくらいですよ」


 沖さんは、微笑むのをやめない。
 ・・・この人は、頭がおかしいのだろうか?と、このとき初めて、僕は思った。図らずも、信条さんや氷田織さんの気持ちが、少しだけ分かってしまった。
 こんなことを言う老人とまともに話そうとすることは、間違っているのかもしれない。だから、彼らはあんな風に、冷たい態度をとっていたのかもしれない。
 沖さんの言っていることは、味方を助けながら、敵も助ける、みたいなことだ。
 まず間違いなく不可能だろう。どこのおとぎ話だ。
 そんなに都合よく、事が運ぶわけがないのだ。ここはドラマやアニメの世界じゃない。上手うまあいだに入ってくれるヒーローはいないし、世界を救う英雄もいないのだ。


 いるのは『病』に侵された、生き汚い人間だけ。


 氷田織さんが暴れ出せば、ここの住民は、大人も子供も皆殺しにされてしまうだろう。氷田織さんが人を殺す現場を実際に見たわけではないが、それを実行できるくらいの才能や雰囲気を、あの人は持っているように思える。
 沖さんは氷田織さんを止められず、じゅうりんされてしまうのが、関の山なのではないだろうか?弱々しく、情けなく、つぶされてしまうのではないか?
 そう考えると、「誰でも助ける」という言葉が、ひどく頼りなく思えてしまう。


「・・・信条さんやばたさんを、呼び戻すことは出来ないんですか?」
「それは、難しいでしょうね・・・。陣さんは仕事で海外に出ていますし、じょうさんも長期の仕事中で、いつ帰って来れるのか分かりませんからね」
「そうですか・・・」


 残念。
 今回の事態には、現在、保育園にいるメンバーで対処するしかない、ということだ。
 仕方ない。やるしかない。
 どんなにつらい状況だろうと、頼りない人たちが味方だろうと、生き残ってやる。


 そして、その時はやってくる。


 ちょうど、空炊さんが簡単なお昼ご飯を作り、いざ皆で食べようとしていたとき。
 彼女は現れた。


 僕を殺しにやってきたのは。
 今を時めく女子高生だった。





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