病夢(びょうむ)とあんぱん
病夢とあんぱん その23
目の前の男を、自分の出せる精一杯の力で鎮圧する。
もう一本のサバイバルナイフを敵の首筋に突き付け、鎮圧する。
ここで逃げられれば、もうチャンスはない。ここで決着をつけなければ、またしても、自分はどこかで命を狙われる羽目になる。
そんなのは御免だ。
そういう思いが、柳瀬優の中で渦巻いていた。
「はじめまして・・・で、いいんですよね?知っているかもしれませんが、柳瀬優といいます」
「ああ・・・知っているよ。俺は粒槍伝治だ」
つぶやりつたうじ?
何だか、覚えにくい名前だ。
「俺は、君が屋根の上に上ったんだとばかり思っていたけどな。まさが縁側の下に隠れているなんて・・・天井の方から聞こえた物音は、君のものではなかったのかな?俺が見落としていただけで、君には仲間がいたのか?」
「仲間なんていませんよ。あえて言うなら、あなたが力を貸してくれたんです」
あなたの草刈り機が、力を貸してくれたんです。と、僕は語る。
草刈り機を二階に持っていけないか?と考えたところで、この作戦の着想を得た。
誘き出すことにしたのだ。
草刈り機を屋根の上に投げ、わざと物音を出すことで、僕が屋根の上に上ったのだと勘違いさせようとした。
草刈り機を屋根の上に放った後は、縁側の下の空間に隠れ、息を潜める。敵の注意は屋根、つまり上の方に向くだろうから、下への注意は疎かになるはずだという期待を込めての作戦だったが、なんとか上手くいった。
近付かなければ攻撃できない?
いや、違う。
近付いてきてもらえばいいのだ。
「なるほど、いい作戦だ。俺はその作戦に、のこのこ嵌ってしまったわけだ・・・」
粒槍は自分に失望したかのように、「はぁ」とため息をついた。
柳瀬に力づくで抑え込まれ、ナイフを突きつけられた時点で、粒槍は抵抗をやめていた。
「敗北」の二文字が、粒槍の頭に浮かぶ。
「そっちこそ、他に仲間はいないんですか?駐車場で僕を襲ってきたのは、あなたですよね?でも、狙撃してきたのは多分、あなたじゃない。その人はどこにいるんです?」
「心配しなくとも、ここには俺しかいない。狙撃はバレないところから行わなければ、意味がないからね」
しかし、粒槍は思ってもみなかった。
その狙撃手は今にも、氷田織という男に殺されそうになっていることなど、思いもしなかった。
「・・・本当ですか?」
「ああ、本当だ」
「マンションで僕を襲ってきたのもあなた、で合ってますよね?」
「ああ」
「・・・・本当に?」
「そんなに疑う必要はないだろう?これだけ追い詰められて、嘘をつく意味なんかない。死ぬ直前にもなってジタバタするほど、往生際が悪いつもりはないさ」
「死ぬ直前・・・」
そう。これから、柳瀬は粒槍を殺さなければならないのだ。
まだ、決着はついていない。
柳瀬が粒槍を殺して、やっと彼らの戦いは終わるのだ。
「なら、死ぬついでに、聞きたいことがあるんですけど・・・正直に答えてもらってもいいですか?」
「構わないよ。嘘はつかない」
「なぜ、そんなにも僕を殺そうとするんです?正直、理解できませんよ。『病』のことを知ったから、何だっていうんです?そんな奴、放っておけばいいじゃないですか。ちょっと余計なことを知ってしまっただけで、特に害はないでしょう?なんでそんなに・・・」
殺したがるんです?と、柳瀬は聞いた。
これは粒槍にとって、予想していた質問だった。
多分、分かってないんだろうな、と粒槍は考えていた。
自分が狙われることの意味を、柳瀬優は丸っきり分かっていないのだ。
「・・・君はさ、失敗したことあるかい?」
「そりゃあ、ありますよ」
どころか、ほとんど失敗しかしていないと、柳瀬は思った。
「なら、分かると思うけれど、自分の失敗や失態、失墜を誰かに告げ口されれば、自分の立場が危うくなるだろう?」
「それは、まあ・・・」
しかし、それがなんの関連があるのか、柳瀬には分からなかった。これは当然だろう。柳瀬の意識からすれば、粒槍たちの失敗を告げ口した覚えなどないのだ。
けれど、粒槍からすれば。
柳瀬は、粒槍たちの失敗を知ってしまっている人間なのだ。
そして、それを告げ口する可能性は、充分にある。
「似たようなもの、ということだよ。俺たちの組織の連中は、告げ口されたくないと思っている。自分たちが『病持ち』だってこと・・・他人と違うんだってことを、周囲にバラされるのを恐れている」
「でも、そんなこと・・・知っている人は結構いるんでしょう?『病』に関わっている組織はいくつかあるって・・・・」
「そう。そういう組織がいくつかあるのは事実だ。でもね、君のような『一般人』に知られてしまうのはマズいんだ。一般人に知られ、知れ渡り、世間全体に伝わってしまったとき、俺たちは終わりだ。変な『病』を持つ人間を、世間がどう見るのか。君にだって予想はつくだろう?」
「・・・そんなの、分からないじゃないですか。受け入れてらえる可能性だって、あるかもしれない」
と、言ってから柳瀬は、これは失言だったな、と思った。
『そんなの分からない』。
『受け入れてもらえる可能性』。
多分、彼らは分かっているのだ。
受け入れてもらえる可能性なんてないことを。
もしくは、そんな可能性は、あってもなくても同じだということを。
変なもの。異質なもの。理解できないもの。それらを、世間は嫌う。
「それは完全に『傍から見れば』の話だ。君は所詮、輪の外の人間ってことだよ。関係ない人間から見れば、大抵のものは『大したことないもの』に見えてしまうだろう?」
粒槍は、ゆっくりと瞬きをする。
まるで、自分自身でその言葉を噛みしめるかのように。
「俺たちは当事者だ。俺たちは怖いんだ。迫害が。差別が。死が。どうしようもなく怖い。いつ、自分たちの『病』が白日の下に晒されるか、分かったもんじゃない」
「だから、殺すんですか?『病』のことを知ってしまった人間を、全員?」
「ああ。殺す。だが、もちろん全員とはいかない。その辺にも、いろいろ事情があるんだよ。それに、俺の組織がそういう考え方を持ってるってだけで、他の組織もそうとは限らない。『海沿保育園』が『誰でも助ける』って看板を掲げてるみたいに、いろーんな考え方があるからね」
粒槍の説明に柳瀬が納得したかといえば、もちろんそんなことはなかった。
やはり、「そこまでしなくても」という考えが頭をよぎる。
どんな理由があったところで、殺されるこっちはたまったもんじゃない。
しかし、柳瀬には理解できる部分もあった。
彼らは何がなんでも、自分たちのことを守ろうとしているのだ。
他人を殺してでも、殺人を犯してでも、生きようとしている。
その生き方は。
柳瀬優も同じだからだ。
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