病夢(びょうむ)とあんぱん
病夢とあんぱん その13
「言葉が、理解できない・・・?」
「いや正確には、理解できないけど、分かる」
と、彼女は、否定するように言った。
理解できないけど、わかる?
意味不明だ。
一体、どういうことなんだ?
「私には、お前らの話をまったく理解できない代わりに、お前らの考えていることが手に取るように分かる」
「・・・え?」
それは、えっと、つまり・・・・。
「つまり、それは・・・・僕たちの発する言葉は分からないけど、心の中を読めるってことですか?」
「ふん。『つまり』とか言っておいて、全然、要約になってねえよ。でも、まあそんな感じだ。お前らの言葉は分からない。日本語とか英語とかは関係ない。聞こえてはくるが、それらは全部、私にとっては雑音だ。わけが分からないからな」
淡々と、彼女は語る。
「だが、会話はできる。人間は、脳の信号を受け取って喋っているからな。考えていることが分かれば、言っていることも大体分かる。そういうことだよ。むしろ、本人が気づいていないような、深いところで考えていることも分かっちまうからな。厄介なもんだよ・・・そんなもん、知りたくねえっつーの」
『真空性言語機能不全の病』。言葉が分からずとも、考えを理解する彼女。
・・・そんなことをできる人間が、いていいのか?
怖い、と目の前の彼女に対し、ただただ恐怖を覚えた。
プライバシーの侵害どころの話じゃない。できることなら、向き合いたくもない。
『感電死の病』なんかよりよっぽど性質が悪いと、僕は思った。僕の命を狙っているのが彼女じゃなくて、本当に良かった。
相手の考えていることを、全て理解できるなんて。
それだけで、相手を支配しているようなものではないか。
「怖いか?そうだろうな。お前みたいに、いろーんなことを考えてるお利口さんにとっちゃ、私は天敵みたいなもんだろ。まあ、お前じゃなくても、誰だって自分の考えてることが丸わかりになっちまうのは、気持ち悪いよな」
それだけを言い残し、彼女は二階へ上がって行く。
ハッタリでは、ないのだろう。
彼女は最初から、僕に会った時点から、考えを読んでいたのだ。
だから、彼女の格好を非難したことも。
僕が今、どういう状況にあるのかということも。
彼らを全然信用していないことも。
彼女を恐れたことも。
全て、筒抜けだった。
そして多分、僕が、生き残るためには手段を選ばない人間なのだ、ということも・・・。
「彼女が、具体的にどれくらい他人の心を読めるのか、というのは私たちには分かりません。おそらく、彼女自身にも」
階段を上っていく彼女を目で追いながら、沖さんが口を開く。
「しかし、ほとんど全て分かってしまう、というのが事実なのでしょう。厄介な事実ですが。そうでなければ、あんなにも、人のことを悟ったかのように話すことはできないでしょう」
それは、確かにそうなのだろう。そうでなければ、プライバシーの侵害、とまではいえない。
全部分かってしまうからこその、プライバシーの侵害。
「さてと・・・優くん。陣さんの『病』のことを聞いたところで、私の『病』のことも詳しく話しておきましょうか?」
どうしようか、と僕は迷った。
いや、聞いておくべきではあるのだ。昨日は結局、沖さんの『病』について、詳しく聞くことができなかった。
それに、僕には『病』とやらが未だによく分かっていない。なので、それを詳しく説明してくれるというなら、是非もないのだ。
だけれど。
信条さんの話を聞き、『病』の話を聞いて、ますます信用できなくなってしまった感がある。ただのだらしない女性から、得体の知れない人間へと早変わりしてしまった。少なくとも、警戒心はとんでもなく高まった。
ならば、沖さんの『病』のことも、聞き過ぎない方が良いのではないか?
それに、沖さんの『病』は、なんとなく病名から想像できるものだった。
『絶死の病』。
想像したくはないが・・・。
「沖さんの『病』はもしかして・・・『死なない』ってことですか?」
「『死なない』。まあ、そうですね。個人的には、『死ねない病』なのですが」
「それは、何があっても、ということですか?」
「何があっても、です。ナイフで刺されようが、銃で撃たれようが、飢餓状態になろうが、私は死にません。寿命もありません。世界にたった一人になろうが、私は死ぬことができない人間なのです」
「・・・・」
「・・・可哀想、だとかは思わないでください。この『病』は嫌いですが、だからこそ、できることもあります。私なりの、生き方があります。陣さんと同じようにね」
「そう、ですか・・・」
そうですか、としか言いようがない。他に、どんなコメントをすればいいんだ?
『絶死の病』だからこその人生があるとはいっても。
やはり、辛い思いはしてきたのだろう。昨日の語り方から、それは明らかだ。いや、そんな陳腐な言葉では表せないほどに、苦しい思いをしてきたのかもしれない。
しかし、僕は「可哀想」とは思えなかった。
逆だ。
僕は「羨ましい」と思った。不謹慎にも。
死なないなんて、羨ましい。
代われるものなら、代わってあげたい。
僕は死ぬのが怖いのだ。何よりも死が怖い。もちろん、羨ましいだなんて、沖さんに伝えるわけにはいかないが・・・。
「ここには、他にも『病持ち』の人間が何人もいますが・・・・まさか、他人の『病』を語るわけにはいきませんからね。それこそ、プライバシーの侵害です」
ちらりと、莉々ちゃんの方を見る沖さん。
・・・あれ?では、空炊さんはどうなんだ?
「ん?ああ、俺は『病持ち』ではないよ。本当に、ただの給仕係さ。君と同じ一般人。もっとも・・・ここでは一般人の方が少ないけれどね」
空炊さんの方を見やると、肩を竦めながら、そう教えてくれた。
なるほど。少ないながらも、僕と同じ普通の人間は、ここにもいるということか。
それはそれで、なぜこんなところにいるのか不思議に思えるが・・・。
「さあ、それでは、今日の朝会はそろそろお開きですね」
と、沖さんが立ち上がる。それを合図に、莉々ちゃんと空炊さんもまた、立ち上がる。
「子供たちを起こして、朝ごはんにしましょう」
ようやく、『海沿保育園』の一日が始まるようだ。
「現代ドラマ」の人気作品
-
-
361
-
266
-
-
207
-
139
-
-
159
-
143
-
-
139
-
71
-
-
138
-
124
-
-
111
-
9
-
-
38
-
14
-
-
28
-
42
-
-
28
-
8
コメント