真夏生まれの召使い少年

ぢろ吉郎

兄と僕と妹③



「午後六時です」


 目を開けると、天井と、部屋の照明が、視界に入ってきた。自室の照明ではない。少しだけ体を起こすと、自分が倒れているその場所が居間のフローリングの上であることを、働かない頭でも理解できた。
 えーっと・・・。
 どうしたんだっけ?
 アイスを買いに、スーパーに行ったんだよな・・・それで牧華まきはなさんに出会って、会計を終えて帰ってきたら・・・・・。


「おはようございます」
「!」


 聞き覚えのない声を耳にして・・・いや、ほんの少しだけ聞いたことがあるような気がする声がして、そちらを振り向く。
 そこに少女が、座っていた。
 特に感情の籠っていない視線で、見本のように正しい正座の姿勢で、僕を見つめていた。
 僕の目を、見つめていた。


「え?えっと・・・」


 ひとまず彼女から距離をとろうと、後ずさりを試みる。しかし、どうにも動きにくい・・・というか、手を自由に動かせないことに、今更ながら気付いた。
 両腕を、縛られている。
 どこから見つけてきたのか、ベルトでグルグル巻きにきつく縛られ、動かすことができないように固定されてしまっているのだ。
 いや・・・かなり痛いな、これ。若干、うっ血しているんじゃないのか?


「動かないでください」
「う、動かないでと言われても・・・」
「動くな」
「・・・・・」


 別に、命令系にしろって意味じゃなかったんだけどな・・・。
 彼女の声は、怒鳴っているわけではなかったし、怒気をはらんでいるという風でもなかったのだが、明らかに口調は強くなっていた。その強さに気圧され、僕は思わず動きを止めてしまう。
 僕と彼女の間の距離は、数十センチ。
 少し手を伸ばせば、互いに、その体に手が届いてしまうほどの距離だ。


「・・・・・」
「・・・・・」


 お互いの沈黙によって、何も聞こえない時間が訪れる。
 彼女は相変わらず、機械的に視線を動かして、僕のことを観察するかのように眺めていた。疑い深く探るような、不審な点は決して見逃さないというような・・・・・そんな視線だ。
 ・・・シイ、と名乗っていたっけ。
 記憶が混濁していていまいちハッキリしないが、彼女は確か、そう名乗っていたはずだ。
 死んだ兄の、遺体の後ろで。
 確かに、そう言っていた。


(なんだか・・・)


 なんだか、実感がない。
 本当に、兄さんは死んでしまったのだろうか?あれは悪夢で、実は生きている、ということはないか?


『あっはっは。なーにビビってるんだよ、みり。アイスはちゃんと買ってきたのかよ?』


 そんな風に笑いながら、今この瞬間にでも、部屋の中に入ってきそうだ。
 兄の死体なんて、夏の暑さでおかしくなって見てしまった、ただの幻覚。
 そうであってほしい。


「あの、さ・・・」


 と、沈黙を破り、僕は口を開く。


「兄さんは本当に、死んだのかな・・・?」


 おかしな質問をしていると、自分でもよく分かっている。答えの分かりきっている質問をしていると、分かっているのだ。
 こんなの、現実逃避も甚だしい。
 答えてもらう必要はなく、解説も必要ない。
 死んでいます、と、彼女はそう答えることだろう。
 ところが彼女の回答は、予想していたそれではなかった。


「兄さんとは、誰です?」


 少しだけ首を傾げて、彼女はそんなことを言った。
 誰って・・・兄は、自分の名前を名乗らなかったのだろうか?それとも彼女は、「袖内そでうちみち」という名前を聞いた上で、僕の父親か何かだと、勘違いしているのか?
 いや、多分、そうじゃない。
 私は、そんな人間的な勘違いはしない。
 機械的な彼女の目が、そう語っているように感じた。


「この家にいる人間の名前は、袖内粍以外、知りません。もちろん、私の名前を除いて、という意味ですが」
「じゃ、じゃあ・・・」


 震える声を抑えて、僕は会話を続ける。


「な、なんで君は・・・殺したの?」
「?・・・この家の玄関にいた、あの男性のことでしょうか?」


 不思議そうに、純粋に疑問に思っているだけであるかのように、彼女は言った。


「理由としては、邪魔だったということが第一。そして、不要であったというのが、第二。それらの理由に基づいて、私はあの人を殺しました。混乱されているようですが、彼を殺したのはあなたではなく、私です」


 そんなことは、分かってるんだよ。
 僕は一人だって、殺しちゃいないんだ。僕が混乱しているのは、そんな理由なんかじゃない。
 邪魔で、不要?
 本気で・・・本気でそんなことを言っているのか?この子は。
 ・・・怖い。
 この子のことが、年下で小学生低学年くらいにしか見えないこの子のことが、本当に怖い。一体この子は、僕たちの家に何をしにやってきたんだ?


「ぼ、僕のことは」


 なんとか、言葉を振り絞る。


「僕のことは、殺さない・・・よね?」


 何を言っているんだ、僕は。
 兄を殺したと告げられて、邪魔で不要だったから殺したと言い渡されて、まず出てくる言葉がそれか?
 どれだけ自分の身が可愛いんだ。
自分の身を案じるより先に気にしなくちゃいけないことが、もっとあるはずじゃないのか?


「ええ」


 と、彼女は短く答えた。


「あなたは、私の兄であり、私の召使いですから」


 彼女が、表情を崩すことはなかった。
 兄を見るときのような表情ではなく、召使いを見るときのような表情でもない。なんの感情もない、何も感じていない表情で。
 彼女は、言った。





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