真夏生まれの召使い少年

ぢろ吉郎

登校日④



 二年三組の担当教師の話は長い。
 鯉川こいかわ先生が無口な性格だったならば、ホームルームなんてあっという間に終わり、校内清掃が始まるまでダラダラと過ごせたはずなのに・・・・。
 清掃の心得とか。
 正しい箒の使い方とか。
 そーいうの、どうでもいいんだけどなー。実際、誰もそんな話聞いてないんだし。ここにいる九割以上の人間が、聞いているフリをして、別のことを考えているに違いないのだ。
 掃除ダルいなー、とか。
 夏休みの宿題面倒くさいなー、とか。
 午後からは何をしようかなー、とか。
 そういう、とても建設的で、とても無意味なことを考えているに違いない。
 そして僕も例に漏れず、その九割以上の人間に含まれていた。彼らと同じく、どうでもいいことを考えていた。
 鯉川先生の話を聞きながら、ボーっと、校門の方を眺める。
 窓の外に見える風景は、いつもと何も変わらない。
 教室の最後列、左の方の隅っこ。
 僕はこの窓際の席が気に入ってはいるけれど、時折、この風景にもう少しだけ変化があったらなーと思うときがある。校門から玄関へと続くこの風景は、変化があるときの方が珍しい。大体は、教師や学校の関係者が校門と玄関を行き来しているだけで、目新しいものは何もない。
 まあ・・・・・学校っていう施設は、そういうものだよな。
 変化があったら、マズいのだろう。
 入れる者が限られているこの施設に、目新しい人間、珍しい人間が侵入してしまったら、それは事件だ。そいつは間違いなく不審者扱いされてしまうだろうし、下手をすれば、警察に補導されてしまうかもしれない。
 変化しないこと。不純な人間が一切、入り込まないこと。
 それがきっと、学校における「平和」というやつなのだろう。


(・・・・・まるで、牢獄の真逆だな)


 間違いを犯し、人生を狂わせた犯罪者を閉じ込める「牢獄」。
 まだまだ成長途中で、純粋で正しい子どもを閉じ込める「学校」。
 真逆も真逆。鏡合わせのような施設だと言ってしまってもいい。
 ・・・・・なーんて、確信めいた戯言を考えてみる。
 こんな思考、なんの意味もない。考えたところで、「それがどうした」と言われればそれまでだし。どこかの誰かさんも考えていそうな、つまらない考えだ。
 結構結構。
 平和が一番だ。
 世界も学校も牢獄も、平和が一番なのである。
 今日も僕たちは、なんの変哲もない日常を過ごしている。
 と。


 ふと。


 フッと。


 校門の方を見ていたとき、風景が不自然になった。
 あえて、「不自然なものが見えた」とは、表現しない。それだと、僕が校門から目を離していた間に、校門周辺の風景に変化が生じたという風に捉えられてしまうかもしれないからだ。
 そうじゃない。
 そういうことじゃない。
 、校門周辺の風景が変化したのだ。僕は、校門から一瞬たりとも、目を離してはいない。
 校門の傍に、あの少女がいた。
 交差点で出会った、あの少女がいた。
 それだけならば別段、不自然なことではない。それくらいの偶然は、起こり得ることだろう。たまたまあの交差点で出会った少女が、たまたま火売ほのめ中学校の前を歩いていて、たまたま僕がそれを目撃してしまった。
 それくらいなら、自然に起こり得ることだろう。偶然で済ませられる事象である。全然、不自然なことじゃない。
 彼女の視線。
 その視線が、気持ち悪いくらいに不自然だったのだ。


 彼女は見ていた。


 彼女は、「」見ていた。


 校門を見るでもなく、学校を見るでもなく、窓を見るでもなく、二年三組を見るでもなく、先生や他の生徒を見るでもなく。
 僕を。
 僕だけを、見ていた。
 僕の目だけを、見ていた。
 自意識過剰と言われようが、考えすぎと指摘されようが、僕はその認識を改めたりはしない。お前は少女好きの変態なのかと言われようが、小学生女子にモテようと必死のイタい奴なのかと言われようが、この認識は改められない。
 だって。
 分かってしまうのだから。
 嫌でも、確信してしまう。
 分かりたくないのに、確証を得てしまう。
 忽然こつぜんと姿を現した女の子が。
 「僕だけ」を凝視している。
 その事実は、変えようがなかった。
 僕の通学路よりも、夏休みの宿題よりも、ソウとの会話よりも、くだらない雑談よりも、日々が平和であることよりも。
 はっきりと、当たり前にそこにある。
 現実だった。


「!!!!!」


 正直、滅茶苦茶ビビった。小説にするならば、ビックリマーク五つ分くらいを使用しなければ、このきょうがくは表現できないだろう。
 体に電流が流れたかのように「ビクッ!」となるくらいには、驚いた。危うく、椅子から転がり落ちてしまうかと思ったほどだ。


袖内そでうち?」


 と、鯉川先生から呼びかけられる。
 彼は、眉間にシワを寄せた険しい表情で、僕を睨み付けていた。


「何してるんだ。先生の話は、まだ終わってないぞ」
「・・・・・すいません」


 とりあえず姿勢を元に戻し、椅子に正しく座り直す。


(・・・・・・)


 もう一度、校門の方に視線を戻す。
 いない。
 少女も、刺すような視線も、そこには存在しなかった。


(幻・・・・・じゃないよな)


 夏の暑さでイカれてしまった頭で描いた幻ならば、まだ良かった・・・・・けれど、あれが現実であったことは、否定したくても出来ない。どれだけ振り払おうとしても、あの視線が脳裏に焼き付いている。


(・・・そもそも、暑くないもんな。この教室)


 現代人の夏には必須のクーラーがガンガン効いていて、快適なことこの上ない。その涼しさが、授業中の眠気をますます誘うのだが。
 一体、あの子はあんなところで、何をやっていたのだろう?何故、あんなにも強い視線で、僕を見ていたのだろう?
 今朝助けてもらったことへの感謝・・・・・では、ないだろうな。絶対。感謝にしては、あの視線はいささか強すぎる。


(・・・・・はぁ)


 と、僕は心の中で溜息をついた。


(なんだか、お化けでも見ちゃったような気分だ・・・・・)


 平和な日常。
 とても尊く、かけがえのないものである「それ」は。
 とても弱々しく、脆い「それ」であるのかもしれない。





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