病名(びょうめい)とめろんぱん
機桐孜々のバタークッキー その2
計画の全容を知っていたのは、五人だけ。
機桐孜々、草羽了、端場和香、疫芽忠、詩島志吹の、たったの五人だけである。
『シンデレラ協会』の規模を考えれば、この計画を決行するのに、五人だけの人員で取り組むというのは、傍目から見れば、賢いやり方であるとは評価されないだろう。巨大組織、というわけでもないが、数十人の構成員で成り立つ『シンデレラ協会』の持つ戦力を充分に活かすならば、もっと多くの人員を計画に参加させた方が、成功率も上がるというものである。
しかし――孜々は、そうしなかった。
理由は二つ。
そもそもこの計画自体、大人数で決行するには向いていない構成になっていたのだ。工程の一部に「誘拐」なんてものが含まれている以上、なるべく少人数で動かなければならなかった。隠密に行動すること――気づかれないように計画を進めることが大前提だった。 
そして、こちらは完全に孜々の個人的な感情を含んでしまうことになるのだが――あまり多くの『病持ち』の人間を計画に巻き込みたくなかった、という理由である。
娘を取り戻すために『病持ち』を集めていた孜々だったが――しかし、もともと、集めた『病持ち』の患者たちに協力を仰ぐのは、「娘を見つけるところまで」と決めていたのだ。「娘を見つけてしまえば、あとは自分だけでも何とかなる」と甘く見積もってしまっていた。
まさか、よりによって。
よりにもよって、『海沿保育園』に自分の娘が保護されているとは、孜々にはまったく予想外の展開だったのである。『シンデレラ協会』と(表向きの)活動理念は同じでありながら、さらに小規模で活動する組織、『海沿保育園』。一見、穏やかな印象を受けるこの組織は、しかし、少数精鋭組織として、『病』の業界では有名な組織だった。一部では、決して関わってはいけない組織だ、と恐れている人間もいるくらいだ。
そんな組織と関わることのリスクを、孜々は真剣に考えた。
もちろん、「あとは自分でも何とかなる」なんて、甘いことを言っている場合ではなくなった。孜々一人で相手取れるほど、『海沿保育園』は簡単な組織ではないのだ。下手をすれば、彼らと関わることで命を落とす可能性もある。
悩んだ挙句――艱難辛苦の末。
孜々は、渋々ではあったものの、四人の仲間を計画に組み込むことにした。
付き合いの長い草羽了と端場和香、戦闘向きの『病』を持つ疫芽忠、彼と相性が良く、孜々の「本音の部分」を誰よりも理解していた詩島志吹。
向こうが少数精鋭ならば、こちらも少数精鋭だ――こうして、娘を取り戻すための計画は、本格的に決行された。
「詩島君と疫芽君を失ったこと――そして、あと少しのところで莉々を再び手放してしまったこと……それらの失敗の責任は、すべて私にある」
病室のベッドに座り、思い詰めたような表情を浮かべながら、孜々は絞り出すように声を上げた。ベッド脇に座る、端場和香と草羽了に向けて。
「私があのとき、私欲のために焦り、彼らを危険な戦いの場へと送り出したこと……それに、莉々のことを、父親として理解してあげられていなかったことが、もっとも大きな失態だ」
父としてこれほど恥ずかしく、悲しいことはない――と、孜々は項垂れる。
妻の言っていたことを、孜々は今さらながら思い出した。
「結局のところ、あなたはあの子に――莉々に、自分の理想を当てはめただけなのよ」
「子どもっていうのは、そんなに器用な生き物じゃないの」
あの子の才能を伸ばそうとしていた、あの時も。才能を押し付けていると気付き、優しさが必要だと感じた、あの時も。今度こそやり直せると、誘拐を決行した、あの時も。
あの時もあの時もあの時も。
孜々は、娘の気持ちをこれっぽっちも考えていなかった――考えていると、思い込んでいただけだったのだ。
父親として失格、どころの話ではない。
孜々は人として、大事な何かを失っていた。大事な大事な優しさを、勘違いしていた。
救いようも、ないほどに。
「あの保育園が、今の私の居場所なの」
莉々が去り際に言ったというその言葉が、孜々の胸に深々と突き刺さる。
「ご当主様……」
と、遠慮がちに口を開いた和香だったが、次の言葉は出てこなかった。
いつもは『シンデレラ協会』の衣食住すべてを支える完璧な使用人として、堂々と振る舞う和香だったが、このときばかりは――どうしようもなかった。
かけるべき言葉が、思いつかない。
子どもはおらず――どころか、父や母の顔さえ知らない和香には、項垂れる孜々に向けてどんな言葉をかけるべきなのか、まったく分からなかったのだ。
励ますのは、違う。労りも、お門違いだ。慰めの言葉も、上手く表現できる気がしない。
自分の不甲斐なさが嫌になる――と、和香は自らを呪った。
ご当主様は決して、間違ったことをしたわけじゃない。正しいことをしたと断言するわけにもいかないけれど、それでも、父親が娘に会いたいと願うのは、責められるようなことではないはずだ――悔しさを顔に滲ませながら、和香は考える。
だが、ずっとこうしているわけにもいかなった。『シンデレラ協会』の「表側の仕事」としての業務が、孜々にも草羽にも和香にもある。計画が失敗に終わったからといって、「表側の仕事」をすべて放り出すわけにもいかない――彼らは『病』の世界に、足を踏み込み過ぎていた。
とにかく何か話そうと、和香が再び口を開きかけたとき――。
「和香さん。お茶を、淹れてきてもらってもいいですか?」
草羽が、先んじて声を上げる。
「お茶?え――いや、構いませんが」
多少、困惑する和香ではあったが、「草羽さんは、まず形から、話しやすい環境を整えようとしているのかもしれない」と、若干無理やりな解釈をし、その言葉に従う。
「出来れば紅茶ではなく、緑茶が好ましいですね。仕入れたばかりの新茶の葉があったはず――それを、淹れてきてもらえませんか?」
「……承知しました」
軽く会釈をし、もう一度だけ主人を一瞥したあと、彼女は部屋を出てキッチンへと足を向けた。
何故、紅茶ではなく緑茶なのだろう?
そんなことを、少しだけ疑問に思いながら。
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