病名(びょうめい)とめろんぱん
西向井由未のバースデーケーキ その7
「標的は、柳瀬優という男だ。奴を殺すこと……そいつを、今度こそ確実に殺しきることこそが、お前たち二人に命じられた仕事だ。粒槍、もう失敗は許されないぞ。お前の最善を尽くしに尽くして、柳瀬優を殺せ。もちろん、周辺被害は最小限に抑えること、柳瀬優以外の死者、負傷者を決して出さないことも忘れるな。と、まあ、うるさいことを愚痴愚痴言ってはいるものの、俺はお前を信用している。お前の『病』は、こういう仕事をこなすのに向いているし、何より、お前には実績がある――ここまで生き抜いてきたという、確かな実績がな。今回の仕事だって、お前はきっと、やり遂げるだろう。唯一障害があるとすれば、例の氷田織畔だが……奴を妨害することこそが、お前の役割だ、西向井」
クルリ、と。
振り向いた歯原さんの表情を――しかし、私はもう、覚えていない。
「無理はしなくていい。無茶なことはしなくていいし、出来ないことをしろとも言わない。いくらお前が優秀な人間だといっても、氷田織畔と直接関わってしまえば、生き残るのは困難だろう。奴は――」
チッ、という舌打ちと共に、一瞬、歯原さんは言葉を切る。
「――あいつは、別格だ。優秀すぎるし、超越しすぎている。俺たち三人でかかったところで、あいつには敵わないだろう。だが……だけどな、西向井。お前の『病』は、あいつに対して抜群に相性が良い。遠距離から狙うことが出来る、というのは、奴に対して大きなアドバンテージになる。粒槍が柳瀬優を仕留めるまでの間、お前はその『糾弾の病』を最大限に活かして、氷田織畔を足止めしろ。それだけでいい。たったのそれだけでいいんだ。それさえ出来てしまえば、お前の初仕事は成功だ。だから、西向井」
生きてくれ。
力の限りを振り絞って、生き残ってくれ。
「俺は、お前に死んでほしくない。死ぬくらいなら、殺せ。いざとなったら――可能ならば、氷田織畔を殺しても構わない。いや、分かっている分かっている……それは、無理だと言うんだろう?ならば今のところは、それを強制したりはしない。その代わりに、絶対に生き残ってくれ。俺は、『病持ち』の人間に死んでほしくない――それが自分の部下ならば、なおさらだ」
そして、現在。
町から少し外れたところにある、既に役割を終え、誰にも使われなくなった廃ビル。
そんな錆びれた建物の屋上で、私は、膝を抱えて座っていた。
とっくに、私の仕事は終わっている。仕事と呼んでいいのかすら分からない「お手伝い」は、すでに終えているのだ。
……殺す、つもりだった。
氷田織畔というあの男を、殺すつもりだった。
粒槍さんがその手を汚しているというのに、私だけ綺麗なまま仕事を終えるというのは、どうしても嫌だった。歯原さんのあんな話を聞いた以上――あの人の意思を聞いてしまった以上、ただただ生き残るために努力する、なんてことが、非常に馬鹿馬鹿しく思えてしまった。
だけど、同時に。
(なんで私、こんなことやってるんだろ・・・)
そんな風に考えてしまった自分に、嫌気が差す。中途半端な決意しか出来ない自分が、心の底から嫌になる。
決意も、殺意も。
本当に本当に、中途半端。
前を向くと、そう決めたのに――自分の罪の意識と戦うと、そう決めたのに……。
結局のところ私は、何も見ていなかったのだ。
今は……今だけは自分の心に正直になりたくて、私は泣いた。人目も憚らず――こんなところを、人が見ているとも思えないけれど――私は、涙を零した。
こんな、犯罪者みたいなことをしている自分が悔しくて、泣いた。
変な『病』を背負ってしまったことが悲しくて、泣いた。
この一か月間の仕事において、『病』で脅してしまった人たちに申し訳なくて、自分を生んでくれたお母さんとお父さんに申し訳なくて。
ユミちゃんに、申し訳なくて。
私は、泣いた。
泣いて泣いて泣いて……、自分の感情がすべて涙に変わるまで、私は泣いた。
謝りたいのに――私が謝りたいと思っている人たちは、もういない。ここにはおらず、どこにもいない。
ごめんなさい。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……。
だから私は、私に謝罪した。
素直になれなかった自分に、己を騙そうとした自分に、偽ることしか出来なかった自分に、幸せになろうとしなかった自分に、大人になろうとした自分に、子供であろうとした自分に、中学生であろうとした自分に、妥協した自分に。
(戻りたい……)
(もう、帰りたい……)
戻る?何に?
帰る?家に?
もう無理だよ、そんなの。
もう私は、耐えられない。
(帰ったら、ちゃんと偉い人たちに言おう)
無理だけど。
(もうこんなことをしたくないって)
無理だけど。
(今回は渋々引き受けたけれど、もう二度とこんな、犯罪者みたいな真似はしたくないって言おう)
全然、無理だけど。
もう何もかも無理だけど――全部手遅れで、全部無意味だけれど、私は最期にそんなことを願った。
「こんにちは」
ひんやりとした感触を――誰かの冷たい肌の感触を、首筋に感じた。
すべて。
すべて許されたような、そんな気がした。
西向井由未は、純粋だった。
子供らしく、中学生らしく――世間という荒波に揉まれたことのない、まだまだ成長途中の若者らしく、彼女はひとえに純粋であった。
彼女は、考え続けるべきだったのである。
父と母が、本当のところはどういう思いで、彼女を育ててきたのか。十四歳をお祝いする誕生日ケーキに、一体、どんな意味を込めていたのか。
土門由未を傷つけたことで、死ぬほど苦しい思いをする意味が、果たしてあったのかどうか。彼女の言った「親友」には、実際、どんな意味が込められていたのか。
父と母の「遺書」を、何故、『白羽病院』が手にしていたのか。
何故、「相性が良い」という理由だけで、西向井由未は、粒槍伝治の仕事に同行することになったのか。氷田織畔と対峙するという悲劇を、迎えることになってしまったのか。
何か一つでも分かっていれば、彼女の短い人生も、別の結末を迎えることが出来たかもしれない。
しかし、そんな後悔さえ、ままならない。
なんの救いもないままに。
彼女は純粋に――ただただまっすぐに、その小さな命を全うしたのだった。
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