病名(びょうめい)とめろんぱん
西向井由未のバースデーケーキ その4
もうどれくらい、こうしていただろう。
最初に気付いたとき、ここは自宅の自室だと思った。ずっと変な夢を見ていて、今、ちょうど起きたところなのだと思った。「学校に行かなきゃ。遅刻しちゃう」――そんな風に思った。
だけど、勘づいてしまった。
違う。
ここは、私の部屋じゃない。
それと同時に、小さな音が聞こえた。最初は何の音なのか、見当もつかなかった。だけど、少しずつ音が大きくなるにつれて――その音が、私に迫ってくるにつれて。
それが、破裂音なのだと分かった。
私は音を聞きたくなくて、再び眠った。
それが何度も続いた。何度も何度も何度も……目を覚ます度に、私の中に破裂音が響いた。
破裂。破裂。破裂。破裂。破裂。破裂。破裂。破裂。破裂…………。
誰かが、破裂する音。
音。
あの子の頭が、破裂する音。
「そろそろ起きなさい。いつまで寝ているんだ」
ハッと気づいたとき、私はもう眠ってはいなかった。目を開けたまま、宙を見つめながら、自分は眠っているのだと思い込んでいた。
忘れようと。
もがいていた。
「そんな言い方はないでしょう、歯原。あなた、言い方がキツすぎるわよ。彼女、相当のショックを受けているんだから……」
男の人と女の人――男女二人の声が聞こえた。
誰だろう?
警戒とか、そういう感情は一切なく、ただ単純に疑問に思って、声の聞こえた方へと頭を向けた。
スーツ姿の男は眉間にシワを寄せ、何やら難しい顔で、こちらを睨みつけるように見ていた。
対して、白衣を纏った女性の方は、優しそうに微笑みながら、こちらへゆっくりと近づいてきた。「大丈夫?起き上がれる?ゆっくりでいいのよ」と、心配そうに声をかけてくれている。
「おき、あが……」
なんだか、上手く舌が回らない。喋ろうとしても、喉が上手く機能してくれない。それに起き上がろうにも、体が――。
……あれ?
と、この時初めて、私は違和感に気づいた。体は、動く。とてつもなく気怠く、鉛でも背負っているんじゃないかと思うほど重い体だけれど、ひとまず、動かせない、ということはないのだ。
だけど、いつものようには起き上がれない。
いつもだったら手をついて、そのままの力で上半身を起こせばいい。だけど、それが出来ない。
手が……。
(なくなって、いる……?)
恐る恐る、視線を下に向ける。幸いなことに私の両腕の先には、見慣れた両手がくっついていた。普段見ているものとまったく同じ、何も変わらない両手が、そこには存在していた。
じゃあ、なんで?
なんで、動かないの?
肩は動く。肘の関節も曲げられる。腕そのものを駆動させることは、何も苦じゃない。だけど――手首から先が、まったく動かせない。その手はまるで、最初から動かないものであったかのように、だらんと、垂れ下がってしまっている。
「これは、何......?」
「ごめんなさい、起き上がりにくいわよね?でも今は、そうしておかないといけないの。我慢してちょうだいね。ほら、手伝うから……」
言いながらその女性は、私の脇の下に腕を入れて引っ張り上げ、起き上がるのを手伝ってくれた。なんだか介護をされているようで恥ずかしかったけれど、そのおかげで何とか起き上がることが出来た。ベッドの上に座り込むような態勢で、私は再び、二人の大人に向き合う。
「君はここで、三日間眠っていた」
私が落ち着いてすぐに、男が口を開く。
いかにも、「面倒くさい」という風な面持ちで。
「事件が起こってすぐに、我々が対応した。人がほとんど見ていなかったところで本格的に『発症』したのが幸いだったな。かといって、人がいなさすぎるのも問題なのだが」
その男の話に、私の思考は追いつかない。
事件?
発症?
一体、何を言っているんだ?
「ちょっと――いきなりそんなことを話しても、この子には分かるわけないでしょう?もっと順序立てて説明しないと……」
「いや」
と、男は首を横に振る。
「瑠璃川。この子には、『順序立てて説明』なんて、必要ない。全部分かっているはずだ。分かっていて、この子は今まで生活してきた。すべて理解した上で、自分自身を社会の中に溶け込ませてきた。そうだろう?」
私は……。
すべて理解なんて、したくない。
自分が異質だなんて、思いたくない。
投球をすると想像以上にスピードが出てしまうとか、腕力をキープしないと異常に力強いスローイングをしてしまうとか。
そんなこと。
あり得ないんだから。
自分がなんとなく周りと違っていて、なんとなく目立ってしまって、なんとなく浮いてしまって――そんなこと、微塵も気にしないようにしていたのに。今まで背を向けていれば、それで幸せだったのに。
もう、逃げられない。
完全に、「自分」を意識してしまった。
「……最初は、小石を投げた時でした。ふざけて、野良猫に向かって石を投げて、それで――それで……」
破裂。
破裂。破裂。破裂。
首が飛び。
血が、飛び散る。
「なんなんですか、これ。なんでこんな……あり得ないのに。私みたいな子供じゃ、こんなこと出来るわけないのに――あの子のせいで。あの子が、私を怒らせたせいで。そのせいで、我慢が効かなくなって。こんなの――私は悪くないのに。望んでないのに。あの子の、あいつのせいで……」
「いや、君のせいだ」
変わらない口ぶりで――相変わらずダルそうな口調で、男は語った。
すべてを知り尽くしているかのように。
「君のせいだ。君が悪い。君が誰よりも一番……」
「歯原!」
と、しかし、そんな男の話を遮る形で、女性が怒鳴り声を上げた。穏やかそうな顔立ちからは想像もできないような大声が、部屋に響き渡る。
「その口を閉じなさい!歯原!今この子を責めたって、なんの意味もないでしょう!あんたのせいで、どれだけの患者が死んでいったと思ってるの!恥を知りなさい、この馬鹿者!」
「ふん。このくらいのことは乗り越えられなければ、俺たち『病持ち』は生きていけない。生きる資格がない。お前だって分かっているはずだ。瑠璃川」
「そうよ!その通りよ!だけどそれは、今このときに理解させなきゃならないことじゃないでしょう!?だからあんたは――」
「あの!」
私は、声を上げた。
生まれて初めて、誰かの会話を遮ったと思う。
「そ、その……その歯原さんっていう人の言う通りです。私はずっと逃げてて、それで――」
「由未ちゃん」
「無理しなくたっていいのよ」と、瑠璃川と呼ばれた女性は、私を気遣うように話しかけてくれた。
「無理に、辛い思いをしなくたっていいの。あなたは、まだ子供なんだから。辛い思いなんて、大人になればいくらだって出来るんだから……」
ふと、思い出す。
お父さんとお母さんの口癖を、今更のように思い出す。
「大人になってから、後悔しないように」。
本当に、どうして今更――なんでこれまで、気付かなかったのだろう。社会に溶け込めるなんて、思ってしまったのだろう。
そんな、絶対に不可能なことを。
出来るなんて、思ってしまったのだろう。
大人とか子供とか、中学生とか社会人とか……そんなもの、私が成れるわけないじゃないか。
身の程を知れ、私。
「現代ドラマ」の人気作品
書籍化作品
-
-
337
-
-
11128
-
-
1
-
-
159
-
-
59
-
-
103
-
-
93
-
-
755
-
-
140
コメント