病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

西向井由未のバースデーケーキ その2



「いいよいいよー。私も実は、もうちょっとだけ体動かしたいなーって思ってたとこー」


 なんて、微塵も思っていないことを口にしながら、再び更衣室を後にして、私とユミちゃんはテニスコートへと繰り出した。ウチの中学には女子テニス部と男子テニス部があるけれど、残念ながら、それほど面積の広いテニスコートを所有してはいない。だから、一方がテニスコートを使って練習しているときには、もう一方は屋内で筋トレをするというルールに則って、私たちテニス部は活動を続けているのだ。
 いるのだ、とは言っても。
 まあ、そこまでのやる気があるわけでもない。せいぜい、「好きだからなんとなく続けている」という程度の意思だ。「大会で優勝するぞ!」とか、「青春のすべてを部活に捧げる!」みたいな、熱血系の目標を持っているわけでもなく……ただただ怠惰に、見る人が見れば、「それ、本当に好きで続けているの?」と思われてしまうような(というか、お母さんに、その言葉そのままそっくり言われたことがある。当たり障りのない返答をしておいた)態度で、私はこのスポーツに臨む。
 冷めた青春だ、と思う。
 こんなことを自信たっぷりに考えてしまう辺り、自分はまだまだ子供だな、とため息を吐きたくなる。
 今日は女子テニス部がコートを使用する日だったので、女子テニス部が練習を終えた今、テニスコート内は無人で、シン――と静まり返っていた。遠くから他の運動部のやる気に満ちた声が響いてきているけれど、それはまったく、私たちとは無関係の声だ。彼らが精一杯取り組むのは、紛れもなく本物の青春だ。ルールがあり、仲間がいて、敵がいて、時に達成感があって、時に挫折があって、喜びも悲しみもあって、優しさと憎しみがあって、数えきれないほどの目標と、その百倍の夢と、そのさらに百倍の壁があって……その一つ一つに意味がある、本物の戦いだ。
 私たちのは、違う。
 そういうのじゃない。
 そういうのじゃないことを、誇りに思ってる。


「キャッチボールってさー」


 と、軟式のテニスボールを手に持ったユミちゃんが呟く。


「全部の球技の元になった遊びらしいよー」
「えー?ホントにー?」
「ウソウソ。冗談ー……だと、思う。たぶんー」


 テキトーな会話をしながら、私たちはある程度の距離をとる。ユミちゃんは運動部ではないから、あんまり広く距離をあけると、投げたボールがこちらまで届かないかもしれない……そう思い、テニスコートの半面程度の距離が出来たところで足を止めた。


「いっくよー」


 お互いに足を止めたタイミングで、ユミちゃんはボールを放った。この程度の距離だから、ユミちゃんの気怠そうな声も、問題なく私の耳まで届く。そして――意外、というほどのものでもないのかもしれないけれど、彼女の投げたテニスボールは弧を描きながらもまっすぐに、私のもとへと到達した。


「結構上手だねー、ユミちゃん」


 私もまた、ボールを投げ返す。部活の練習メニューには、流石にキャッチボールなんてものはないけれど、いつも使い慣れたボールであることは間違いない。私の投げ返したボールもまた、ユミちゃんのもとへとまっすぐ届く。
 それから数十分間、静かなキャッチボールが続いた。ときどき、ボールを投げ返すときに会話をすることはあるけれど、その会話もなんだか、記憶に残らないくらい中身のないそれだった。お互いにどうでもいいと思っていながらも、まるでそれが重要な話題であるかのように、私たちは話し合い、投げ合った。
 ルールはない。超えるべき壁も、克服するべき困難も、何もなく、分かりやす過ぎるくらいシンプルで、分かりにく過ぎるほど自由だった。
 私たちはきっと、この自由に依存している。
 だから、ふとした瞬間に、「自分たちは何でも出来るんじゃないか」なんて、的外れも甚だしいことを考え付いてしまうことがある。もしくはそれに近い感情に襲われ、心躍らせてしまうことがある。
 身の程を知れ、というものだ。
 世間知らず。
 みんなはどう思っているのだろうか?自分のことを、何かを成し遂げられる人間だとでも思っているのだろうか。夢を叶えるために、努力することが出来る人間だとでも思っているのだろうか。将来、幸せになれるとでも思っているのだろうか。
 この自由と青春をかてに?
 私は私のことを、何も出来ない人間だと思ってる。何も成し遂げられないし、夢もないし、ダラダラといろんな理屈をこねくり回して、逃げ回る人間だ。他人に合わせることしか、脳のない人間だ。
 みんなは……そうじゃないのかな。
 考えても考えてもキリがない。毎日毎日考え続けているけれど――昨日だって、誕生日ケーキを目の前にして、ただただ美味しいそうに食べているフリをして、考えていたけれど。
 答えなんて、見当たらなかった。
 まあ、いっか。
 今日も私は、「普通の女子中学生」を演じるために努力する。
 最高の女子中学生日和だ。


「ねぇ、よっしー」


 しばらく黙っていると、ユミちゃんが口を開く。


「なんか今、難しいこと考えてるでしょー」
「えー?そんな風に見える?」
「うん。だがしかし、驚くなかれ。それが私、ユミちゃんの狙いなのでしたー」
「……そーなの?」
「そーだよー。こうやって単純作業を続けてるとさー、なんかいろいろと、別のことを考えたくなっちゃうじゃん?それが私のやりたかったことー」
「そーなんだ。うーん……どうなんだろうね?ちょっとよく分かんないや」


 その通りだね、ユミちゃん。と、私は心の中で呟く。
 あなたの言う通りだよ。こうして単純に「受け取って、投げる」なんて、ルーチンワークみたいなことを続けていると、あなたのことなんてこれっぽっちも視界に入らなくなる。どうでもいいことは視界から外れて、もっとどうでもいいことを考えてしまいたくなる。
 これが狙いだったんだ。
 ふーん。
 あなたもきっと、ロクでもない中学生なんだろうね。


「でもホント、ユミちゃん、投げるの上手だねー」


 なんだか、変な話題に話が進んでしまいそうだったので、私は話の流れを逸らす。らしくもない話を他人とするのは嫌だ。それも、相手が同年代の女子中学生となれば、なおさら。


「もう二十分くらい投げてるのに、全然コントロールが悪くならない。ユミちゃん吹奏楽部なのに、これは結構すごいことだよー」
「そりゃそうだよー」


 もう何度目かも分からない投球を行いながら、ユミちゃんは言う。


「だって私、吹奏楽部じゃないもーん」
 

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