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病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

病名とめろんぱん その67

 
 ああ、そうか・・・そういうことか。
 あんな暗号めいた手紙を書いてまで僕をここに呼び出した理由が、ようやく分かった。
 『白縫しらぬい大病院』のデータベースを覗いても手に入らなかった『ねむ症候群』に関する情報を、僕から直接聞き出すためだったのだ。ほたるに関する一件が落ち着いたことを機に・・・・・もしくは、彼女が『白縫大病院』に移されることになったのを機に、彼女の『やまい』を・・・。
 ・・・彼女の『病』を?
 彼女の『病』に関する情報を知ったところで、一体どうするつもりなんだ?
 彼女の一件の落着と、『白縫大病院』への移動は、ご自慢の情報収集能力で知り得たのだとしても・・・そこまでして『眠り子症候群』の詳細を知ろうとする理由は何なんだ?


「・・・知って、どうするんです?」
「うん?」
「『眠り子症候群』の情報を、何に利用するつもりなんです?」
「秘密」


 と、おりさんの回答はシンプルだった。
 まあ・・・確かに、そんなことを僕に教える義理はどこにもない。知り得た情報をどのように使うかなんて、その人の自由なのだから。たとえそれが、『白羽しらはね病院』にとって最も守らなければならない、患者のプライバシーだったとしても。


「君に危害を与えるような使い方はしないから、その辺の心配は要らないと思うけれどねぇ・・・。それとも、自分の生死に関わる『病』を知ることよりも、『白羽病院』の患者を守ることの方が大事かい?」


 またしても氷田織さんは、不快な笑みを浮かべる。
 こちらの心情を見透かすかのように、笑う。


「君に限って、そんなことはないよねぇ?どういう判断を下すのが正解か、君なら一瞬で判断できると思うけれど・・・・・『眠り子症候群』の患者との邂逅かいこうが、君の判断力を鈍らせてしまったのかな?」


 ニヤニヤと笑う氷田織さんに、段々と逃げ場を奪われていくのを感じる。揺さぶりをかけてきているのだろう。間違いなく。
 もちろん僕には、蛍井火乃を庇う義理はない。彼女の情報を手渡すことで自らの『病』に関する情報が手に入るならば、氷田織さんの言う通り、下すべき判断は簡単なのだ。もしも、情報を流したことを院長や風増かざまし副院長に知られてしまったら、というリスクはあるものの、情報の漏れどころはいくらだってあるはずだ。巨大組織である『白縫グループ』の中から、情報の流出源を僕に絞るのは、相当難しいだろう。
 ただし。


「お断りします。僕は『眠り子症候群』の情報を、教えるつもりはありません」
「・・・・・へぇ」


 と、氷田織さんは、ますます楽しそうに笑う。


「何故だい?その患者に、情でも移ったかい?いや、君みたいな奴が、自分以外の相手に情なんて向けるわけがないか・・・・・あの小さな院長様に、口止めでもされたのかい?」
「いえ、もっとシンプルな理由です」


 非常に単純で、分かりやすい理由だ。
 きっと、白縫しょういちろうの思惑よりも、はましゅうの思惑よりも、木場木なぐさの思惑よりも、氷田織ほとりの思惑よりも、もっともっと分かりやすい。
 なんのひねりもない思考に基づく、易しい理由。


「僕は、あなたを信用していない」


 きっぱりと言い放つ。


「あなたの言葉は、大体が嘘だ」
「・・・・・あっそ」


 と、氷田織さんは立ち上がる。
 特に怒っている様子はない。まるで、こうして僕に断われるのは想定済みだとでも言わんばかりに、落ち着いた動作で服装を整えた。


「じゃ、またね。やな(せ)瀬君。生きてたら、またどこかで会おう」
「僕は、二度と会わないことを願っていますよ」
「どこかで死ぬってことかい?」
「死にませんよ。生き抜きます」
「そうかい」
「そうです」


 それだけを言い残し、氷田織さんはレトロブレッドを後にした。
 ポストカード大の紙を、テーブルの上に残したまま。


「・・・・・・・・はぁ」


 ついでに、例の西にしむかよしさんとやらのことも聞こうと思ったけれど・・・完全にタイミングをいっしてしまった。氷田織さんの言う「またの機会」があれば、質問することにしよう。
 なんだか、妙に疲れた。それほど長く会話をしたわけではないし、危険な命のやりとりをしたわけでもない。病院で木場木院長に休暇を言い渡され、マンションに戻った後は、ずっと惰眠を貪っていたのだけれど・・・・・この奇妙な疲労感はなんなのだろう。
 買ってはみたものの、一口もつけていなかったあんぱんを頬張ると、優しい甘さが口の中に広がる。メニューに牛乳がないのが少し残念だけれど、このあんぱんの絶妙な美味しさは、僕の疲労感を癒すには充分すぎるほどだった。
 生きるということに、疲れる。
 いつかどこかで、誰かと話し合った話題だった。一体どこで話したのか、誰と話し合ったのかはすっかり忘れてしまったけれど、確かに語り合った話題だった。生きるのに疲れた人間は、どうすれば幸せになれるのか。生きることよりも死ぬことの方が幸せな時が、あるのかどうか。
 僕は、しかし今は、そのことについて考えるのはやめた。
 これまた単純で怠惰な理由によって、僕の思考回路は阻まれた。
 こんなものは非常に馬鹿馬鹿しくて、青臭い話題だ。考えたところで意味はなく、結論が出たところでなんの価値もない話題だ。そうして、話題そのものを見下すことで僕の思考はストップし、きっとそのうち、こんな話題を考えたこと自体を忘れるだろう。生きるために生きているという僕のスタンスは、今日も明日も変わらず、きっと永遠に変化しないのだろう。何も求めずにただ生きることほど・・・・・すべてに満足して、すべてを許して無気力に生きることほど、楽で幸せな生き方はないのだから。


 心地良い風が吹く。


 表も裏も真っ白な紙が、どこか知らない場所へと、遠く遠く・・・・・。


 どこまでも遠く、飛ばされていった。




                                             病名とめろんぱん〈完〉     
 

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