病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

病名とめろんぱん その59

 
 エレベーターホールに向かうのをやめ、逆方向にある休憩室へと足を向けた。ばら室長や粒槍つぶやりにバッタリ遭遇してしまったら厄介だと思っていたが、幸い、彼らには出会うことなく休憩室までたどり着くことが出来た。
 地下三階の休憩室。
 例の病室は、目と鼻の先である。


(もともと、素直に帰る気はなかったけれど・・・)


 「帰って、安静にします」なんて、大嘘だ。この状況・・・つまり、慢性的に続いている睡眠不足をなんとかするには、ほたるの『ねむり子症候群』をどうにかするしかない。自宅に戻って暢気に休んでいる場合ではないのだ。


(院長は、僕が蛍井火乃に対して、なんらかの対処をしようとしていると察していたみたいだ・・・ふわぁ・・・・・)


 大欠伸を抑えながら思い出すのは、先ほどの木場木院長の言葉だ。
 「訪ねて、答えなさい」。
 ・・・その言葉が一体どういう意味を持つのかは、ハッキリとは分からない。誰を訪ねろと言いたいのか、何を答えろと言いたいのか、その具体的な内容を知ることは出来ない・・・・・もしかすると睡魔に限界まで追い詰められ、幻聴を聞いてしまっただけなのかもしれない。あれほどハイテンションで話している木場木院長が、命令口調の小声で話すとも思えないし。
 ・・・・・普段のテンションの方が演技なのだろうか?
 だとすれば、かなりの名演技だけれど。
 あれが幻聴でなかったとして、そして、木場木院長が僕の睡眠不足を『眠り子症候群』の影響によるものだと考えているならば。


(蛍井火乃の病室を訪ねて、彼女に答えろということになる)


 だが、彼女に対して何を答えろというのだろう?話すことはおろか、動くことすらままならない彼女と、どうやって話をしろというのだろうか。
 そもそも何故、木場木院長は、僕にそんなことをしろと促したんだ?
 あんな性格をしていても彼女は、ここ『白羽しらはね病院』の院長だ。蛍井火乃の『眠り子症候群』を知っていることには驚かない。僕の症状を見て、僕が彼女の影響を受けていると勘付いたことも、意外ではない。ただ・・・・・それなら、僕のことなんて放っておいてもいいはずなのだ。僕が厄介な奴であることは彼女も分かっているはずだし、僕が睡眠不足で倒れてしまえば、それを理由にして厄介払いをすることも出来るだろう。僕をスカウトしたのは彼女らだが、勤めはじめて一か月も経っていない研修生を、積極的に患者に接触させたいとは考えていないはずだ。
 面倒な奴は、適当な理由をつけて追い払ってしまえばいい。
 患者を最優先にするこの病院なら尚更だ・・・・・患者を守れるし、厄介な職員は追い出すことが出来る。最高じゃないか。


(いや・・・違うのか。もっとちゃんと考えないと)


 考えろ。
 死ぬほど眠たいけれど、脳味噌はまだ働く。
 これが最高の結果だとすれば、彼女らにとって最低の結果はどういうものだ?
 それはおそらく、患者に危害が及ぶことだろう。『眠り子症候群』に追い詰められた僕が、蛍井火乃に対してなんらかの直接的な危害を加えてしまうという流れは、避けたいはずなのだ。そうならないようにするには、僕が直接的な行動に乗り出す前に制止しなければならない。
 だから木場木院長は普段のキャラを崩してでも、あの一言を言い放った。
 訪ねて話し合え、と。
 患者に危害は加えるな、と。


(なんて回りくどい・・・・・ハッキリ言えばいいのに)


 とも思うが、病院側としても、ハッキリとは言えない事情があるのだろう。僕に直接、「蛍井火乃には手を出すな」と言ってしまえば、僕の睡眠不足が『眠り子症候群』のせいであると明確に伝えてしまうことになるし、彼女は『白羽病院』では手に負えないほどの危険な患者であるということを認めてしまうことになる。彼女をこの病院で保護し続けるためには、それを認めるわけにはいかないのだろう。
 彼女は、ここ以外に居場所がない・・・・・らしいから。


(まあ・・・どこまでが正解で、どこまでが勘違いなのかは分からないけれど)


 全部正解かもしれないし、全部勘違いかもしれない。誰かに確認するわけにもいかないし、相談するわけにもいかない。歯原室長や粒槍だって、病院の上層部の意図をすべて把握しているわけではないだろうし、相談をしたところで、大して行動の幅は広がらないだろう。そもそも、僕の味方をしてくれるとも限らない。


(それなら)


 それなら、やることは変わらない。
 今にも眠ってしまいそうな体に鞭を打ち、僕は立ち上がる。
 やるべきことは、最初から決まっていた。




 数十分後、やなは病室の中にいた。
 目の前には、ベッドに横たわるせた女性が一人。
 なんの飾り気もない部屋の中で、医療機器と薬に囲まれる彼女は、とても寂しそうに見える。動くことも話すことも出来ず、ただただ静かに横たわる彼女は、死んではいないはずなのに、限りなく死体に近かった。
 彼女は生きたいと望んでいるわけでもなければ、無理矢理生かされているわけでもない。シンプルに、「まだ生きているから」という機械的な理由で生かされているだけだ。
 まだ、生きているから。
 死んでいないから。
 「とりあえず、念のため」に生かされている。
 誰にも望まれておらず、誰にもうとまれていない彼女だった。
 柳瀬は病室の隅に置かれていたパイプ椅子を広げ、ベッドの横に座った。今回は呼ばれたわけでもなく、招かれたわけでもない訪問だったものの、患者と面会するときは、こうしてベッドの横に座るべきだろうという判断である。
 一応、お見舞いの品も持ってきていた。
 病院の地上階にある売店で買ってきた、フルーツの詰め合わせ。即席で準備してきたお見舞い品ではあるが、ないよりはマシだろうという考えだ。
 こうして、面会の形だけは整った。
 生きるか死ぬかを分かつ面会ではあったものの、こうして誰かと面会をするのは、彼女にとって初めての経験だった。青白いその顔も、心なしか微笑んでいるように見える。
 蛍井火乃と柳瀬ゆう
 夢と現実。
 どちらが幸せでどちらが不幸なのかは、比べるべきですらなかったが。
 ひとまず柳瀬は、静かに眠ることにした。





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