病名(びょうめい)とめろんぱん
病名とめろんぱん その51
「あそこに近づくのは、避けた方がいい」
休憩室に入ってすぐに、粒槍はそう言った。
「死ぬ」という言葉に反応して、僕の意識は完全に元に戻り、その「病室」を出た。そして、足早に休憩室まで戻ってきた次第である。
「あの子・・・一体、何なんです?」
なんだかまだズキズキする頭を押さえながら、僕は粒槍に質問する。
あの、催眠術のような声。何がなんだか分からないままにあの部屋に誘い込まれ、あの子のもとへと誘導されてしまった。
ベッドの周りに設けられていた医療機器から察するに、患者の一人だろうか?それにしても、随分と孤立した病室に匿われているようだけれど・・・。
「あの子は、蛍井火乃というんだ」
休憩室のソファに腰かけながら、粒槍が言う。僕も、その向かいのソファに座ることにした。
「患者・・・ってことでいいんですよね?あの子は。あんな風に、医療機器に囲われた中で匿われてるっていうことは」
「そう。『第二究明室』で保護している、患者の一人だよ。ただ・・・ちょっと事情が特殊な患者なんだ。普通の『病持ち』の患者よりも複雑な事情を抱えていて、ほかの患者と病室を一緒にできない・・・そういう患者は、『白羽病院』の院内に、何人かいるんだけどね」
『病持ち』であるというだけでも、事情が複雑なのに、それ以上に特殊な患者か・・・どれだけの危険人物なのだろう?
「だから、あんなに孤立した病室に入院させているんですか?」
「ああ。申し訳ないとは、思っているんだけれどね・・・。ただ、ああしないと、彼女の『病』は危険すぎるんだ」
「危険すぎる『病』、ですか・・・。一体、どんな『病』なんです?」
あんまり聞きたくないが、関わってしまった以上、聞いておいた方がいいだろう。個室に匿わなければならないほどに危険な『病』となれば、尚更である。
蓮鳥さんの一件の反省を活かそう。
あのときは、彼女の『鳥目の病』を事前に知ることが出来なかったが故に、解決にかなり苦労することになってしまった。彼女以上に厄介な『病』を持っているのだとしたら、知っておくに越したことはない。
この『病』の業界では、何が起こるか分からない。名前も知らない人間に、命を狙われる危険性だってある。これも、蓮鳥さんの一件で学んだことだ。
「・・・本当は、患者の病態は、君には教えないように言われているんだけれどね。しかし・・・知らないのは君にとって、少し危険すぎるだろう。教えるけど、俺が教えたってことは、他言無用で頼むよ」
「もちろんですよ」
よっぽどのことがない限りは。
「蛍井さんは、『眠り子症候群』に侵されている」
腕を組み、額にシワを寄せながら、粒槍は言った。
「眠ったまま、決して起きることのない『病』だそうだよ。歯原さんによれば、彼女は、十二歳になってからの十年間、一度も目を覚ましたことがないらしい」
「十年間・・・寝たきりってことですか?」
寝たきりの患者ならば、普通の病院にもいると思うのだけれど・・・いや、違うのか。あんな催眠術みたいなことが出来る子が、普通の寝たきり患者のわけがない。
「もちろん、寝たきりなだけじゃない。蛍井さんの寝たきりは、『伝染』するんだ」
「伝染?」
「うん。彼女の近くにいすぎた人間は、彼女同様に、寝たきりになってしまうということだ。実際、その『病』のせいで、彼女の両親と、治療を試みた医師二人が、寝たきりになってしまった」
「・・・・・」
「それだけじゃない。さっきの君みたいに、蛍井さんの病室に誘い込まれた職員が二人、寝たきり状態にされている」
「それは・・・確かに、危険ですね」
近くにいるだけで、眠らされてしまうということなのだろう。それも、二度と目が覚めない眠りへと。
「眠らされた両親と医師、職員は、この病院に入院しているんですか?」
「いや・・・すでに死んでる」
「死んで・・・?いや、でも、眠らされただけなんですよね?」
まさか、そのまま放置してしまったということはないだろう。現代の医療機器があれば、眠ったままでも、生命活動の維持は可能なはずだ。
「そこが厄介なところなんだ。彼女に眠らされた人間は全員、生命活動を急速に低下させられてしまう。個人差はあるけれど、大抵の人間は対処が間に合わず、死に絶えてしまうらしい・・・これも、歯原さんが言っていたことだけれどね。俺は直接、彼女に関わったことはないから」
「じゃあ、あの子に眠らされた人間は全員、強制的に殺されるってことですか?その人の意志には関係なく?」
だとすれば・・・恐ろしすぎる。僕も、あと一歩のところで、そうなっていたかもしれないのだ。
ここは、粒槍に感謝しておこう。
そして、あの病室には二度と近づかないようにしよう。絶対に。
「強制的・・・なら、まだマシなんだけどね」
「いや、望んで寝たきりになろうなんて人、いないでしょう?その両親やら職員やらだって、不可抗力で眠らされてしまったわけですよね?」
何をきっかけに、その蛍井さんとやらが『眠り子症候群』になってしまったのかは知らないが、巻き込まれた両親や職員は、不運なことこの上ないだろう。寝たきりにされた上にそのまま殺されてしまうなんて、まっぴら御免だ。
「・・・笑っていた、そうだよ」
ボソッと、粒槍が呟くように言った。
「?・・・何がです?」
「蛍井さんに眠らされ、亡くなった、ご両親と職員・・・その全員が、笑いながら死んでいたそうだ」
「・・・・・」
「とても幸せそうな、この上なく幸福になったかのような死に顔だったそうだ。笑顔で、にこやかに・・・これ以上ないってくらいの満面の笑みで、彼らはこの世を去っていったんだよ」
幸せそうな死に顔。
にこやかな死去。
そんなの・・・おかしいだろう。というか、不気味だ。人間の死に顔が笑顔になることがある、というのは聞いたことがあるけれど、それにしたって、死ぬ直前に満面の笑みを浮かべているなんて、死を目の前にして幸せになるなんて、不気味にもほどがある。
いや・・・しかし、眠りながら死ぬ、夢に落ちるように逝くというのは、苦しみも悲しみもなくて、案外幸せな死に様なのかもしれない。彼らには、殺されているという感覚はなかったはずだ。幸せな夢の中に沈むように、彼らは死んでいった・・・のかもしれないのだ。
「そんなことを聞いてしまうと、『強制的に殺された』なんて、迂闊には言えないだろう?俺は、考えてしまうんだよ・・・・・」
眠らされたあとで、夢に沈んだあとで。
彼らは自ら、死を選んだのではないか、と。
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