病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

病名とめろんぱん その47



 『白羽しらはね病院』地下三階の廊下は、地下六階の清潔感極まる廊下とは異なり、至って普通の廊下だった。真っ白な壁は見当たらず、代わりに、少しだけ薄汚れた壁が僕たちを囲っている。その生活感あふれる雰囲気に、僕はわずかに肩の力を抜いた。


(うん。こういう雰囲気の方が、僕の肌には合ってるよな・・・)


 地下六階の、あの何とも言えない緊張感は、僕はちょっと苦手だ。やはり人間、適度に不清潔な空間にいた方が、精神的には安定するのかもしれない。
 この階の廊下の壁は、所々がガラス張りになっており、廊下から、各部屋の中の様子が窺えた。これも、地下六階とは異なる点だ。あの廊下には、ガラス張りの壁どころか窓一つなく、各部屋の室内がどうなっているのかを知ることは出来なかった。


(こうして見てみると、病院というよりは、研究所って感じがするけれど・・・・・)


 ベッドがズラリと並んでいる部屋も、もちろんあるけれど・・・それよりも目に付くのは、実験器具が所狭しと設置された部屋だ。見たこともない機器が、カラフルなランプを点滅させている部屋もある。というか、割合としては、病室よりも実験室が多いような気がする。
 病院・・・で、いいんだよな?
 まさか、マッドサイエンティストが仕切る、不気味な研究所ではないよな・・・?


「・・・・・ここだ」


 と、粒槍つぶやりが足を止めたのは、病室でもなく、実験室でもなかった。
 室長室、と書かれたプレートが、扉に掛かっている。


「ひとまず君には、『第二きゅうめい室』の室長と、顔を合わせてほしいんだ」


 僕の方に向き直り、粒槍は言った。


「室長、ですか・・・」


 それも、『第二究明室』の室長ということは、これからの僕の上司ということになるのだろうか?
 上司。
 残念ながらその言葉に、良い思い出はないな・・・。
 コンコン、と。
 粒槍が、室長室の扉をノックする。


「失礼します」


 部屋の中には、仕事机に座り、黙々と書類を書く男が一人。


(この展開、なんだかデジャヴだよな・・・)


 初めて『海沿かいえん保育園』に行ったとき、つまり、おりさんにおきさんの元へと通されたとき。あのときも確か、沖さんは机に座り、仕事をしていたような気がする。


「ああ、粒槍か。お帰り。・・・そっちが、例の彼か?」
「ええ。室長」


 男は無愛想な口調で、粒槍に話しかけた。面倒くさそうに立ち上がり、杖を突きながら、こちらに向かってゆっくりと歩いてくる。
 杖・・・?
 そんなに年を取っているようには見えないけれど・・・。少なくとも、沖さんよりは全然若いように見える。僕や粒槍よりは、もちろん年上だろうが・・・・・そうだ。機桐はたぎり。機桐さんと、大体同じくらいの年なんじゃないか?


「えと・・・初めまして」


 一応、こちらから挨拶をしておく。


やなゆうです」
「うむ。ばらまさおきだ」


 と、男は右手を差し出す。


「ここ『第二究明室』の室長をしてる・・・どうぞよろしく」
「ええ・・・よろしくお願いします」


 僕は、その右手を握る。
 なんだか・・・頼りなさげな手だ。
 こんな表現をしてしまうのも失礼かもしれないが・・・しかし贔屓ひいき目に見ても、頼りがいのありそうな手ではない。細々としていて、骨と皮が多そうだ。体型も、かなりの痩せ型のようだし、シワの寄った青白い顔からも、病弱そうな印象を受ける。
 ・・・この人も、何かしらの『やまい』に侵されているのだろうか?


「ちょいと、その辺の椅子に座ってもらえるか?足腰が弱いもんでな・・・立ち話は、あんまり得意じゃないんだ。粒槍も、座ってくれ」


 そう言うと彼は、壁に立て掛けてあったパイプ椅子を二脚、こちらに渡してくれた。


「ありがとうございます」


 パイプ椅子を開き、その上に腰かける。歯原室長もまた、別のパイプ椅子を開き、ドサッと腰を下ろした。勢いよく座ったせいで、ギシギシと、パイプ椅子が不快な音を奏でた。


「柳瀬くん・・・だったな?」


 と、今度は歯原室長の方が、会話を切り出す番だった。


「ええ。柳瀬優、です」
「柳瀬優くん・・・噂は聞いているよ」
「・・・噂、というと?」
「噂というか、ただの事実なのだろうが・・・・・。粒槍の三度の襲撃をかわし、『シンデレラ教会』との戦いに生き残り、機桐親子のいざこざを解消し、『白縫しらぬい病院』に交渉を仕掛け、代表からスカウトを受ける・・・・・とんでもない経歴じゃないか。まるで、英雄だ」


 隣に座る粒槍が軽く肩をすくめるのが、視界の端に映った。
 ・・・いや。
 そりゃ、起こった事実だけを並べれば、すごい話のように聞こえるけれど・・・。
 そういう話が変に肥大化してしまったせいで、蓮鳥はすどりさんみたいな子に狙われる羽目になったんだよな、僕。武勇伝なんて所詮は、絵に描いた餅だ。役に立つどころか、下手をすれば足を引っ張られてしまうような、なんの意味もない事実・・・。


「僕は、何もしていませんよ。一切、何も。僕の人生において自慢できるようなことなんて、何一つありません」
「それは『何もしていない』のではなく、何もしていないと、君が思い込んでいるだけだ。そうじゃなけりゃ、君が今、ここで生きているのはおかしい。『何か』はしているんだよ、君は。間違いなく、な」
「・・・・・」


 まあ。
 それは、そうなのかもしれない。
 生きようとしなかったならば、生きてはこれなかった。
 死なないようにしたからこそ、生き残った。
 そういうこと、なのかもしれない。
 知ったようなことを言われるのには、多少の不快感を覚えたが・・・ほんの少しだけ、自分の本質を突かれてしまったような気がした。
 本質というか、本性というか・・・。


「『何かをする』というのは、尊いことだと、俺は考えているよ。それがたとえば、『生きる』というただそれだけのことであってもだ。『何もかも放棄する』、つまり、『死んでいる』ということよりは、よっぽど人間らしい」


 人間らしさであり、生物らしさでもあるかもな。と、彼は言った。
 「生きていること」。
 「ただ、生きていること」。
 「死んでいること」。
 それらの間に、果たして差があるのかどうかは。
 生きている僕らには、分からない事象だった。





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