病名(びょうめい)とめろんぱん
病名とめろんぱん その42
「ないです」
即答した。即断即決。「あっ」と言う間も、挟ませはしない。
あれ?
聞き間違いではないよな?
この人は今、僕を、「『白縫グループ』で働かないか?」と誘ったたんだよな?
嫌に決まってんだろ、そんなの。と、言葉が崩れてしまうくらいに、これは当たり前の答えだ。当たり前の、即答だ。
「即答だね。理由を、教えてもらってもいいかい?」
「・・・・・教えないと、伝わりませんか?」
と、僕は肩を竦める。
「分からないわけではないけれどね。ただ、ぜひ君の口から、理由を聞いておきたいんだよ。誘いを断るなら、きちんとした理由を述べる。まともな社会人ならば、当たり前の常識だろう?」
「僕はもう、まともな社会人ではないんですけれど・・・」
「はっはっは・・・・・そうだったね。そして俺もまた、まともな社会人だとはとても言えない」
愉快そうに笑う、白縫さん。
その笑いには、凄みがあった。先ほどまでの、優しそうな微笑みではない。笑っているのに、こちらを威嚇しているかのような。笑っているのに、刃物を突き付けられているかのような。
強い笑顔。
正しい笑顔。
白くて、何色にも塗り潰されそうにない笑顔。
「まともではない社会人同士、仲良くなろうじゃないか。俺は、『理由を言え』と命令しているわけじゃない・・・・・君がどんな理由を述べようと、俺はそれを受け入れるだけだよ。『白縫グループ』が、君にとって魅力がない組織であっても、それは構わないさ」
白縫さんの方も、小さく肩を竦める。
構わない・・・・・のか?だとすれば彼は何故、僕を『白縫グループ』に誘ったのだ?僕の何を見て、働いてほしいなんて思ったんだ?
『病』に関わる業界に、まだほんの一か月しか身を置いていない僕を。
『病持ち』の人間に、なんの理解も示していない僕を。
そんな僕を『白縫グループ』で働かせる意味が、どこにある?
「『病』にこれ以上、関わりたくないから」
僕は簡潔に、理由を述べた。
単純で簡単で、嘘偽りのない理由だ。
「それだけの理由です」
詳しく説明しろと言われれば、もっと詳細を述べることも出来るけれど・・・・・まあ今は、これだけで伝わるだろう。最低限の理由を述べるだけで、彼には察しが付くはずだ。僕を『白縫グループ』に誘おうとしている時点で、僕の表面的な性格くらいは調べているだろうし。
僕は、誰かのために働く人間じゃない。いや・・・・・正しくは、誰かのことを思って働ける人間じゃない、と言うべきだろうか。働いているだけで、ただそれだけのことで、「誰かの役に立っている」という風には見えるはずだ・・・・・それこそ、表面的には。
これ以上、『病』の業界に深入りしてしまえば、もう戻れなくなる気がする。「一般社会に戻る」という目的から、さらに遠ざかってしまう気がするのだ。命を狙われる危険性が低くなったのだから、さっさと元の生活に戻りたい。『海沿保育園』に関わってしまっただけで、もうお腹いっぱいだ。
そして、何よりも不動の理由として、僕が彼らを完全に信用してはいない、ということがある。もう命は狙っていない、僕を亡き者にしようと企んでいないと言われたところで、それを鵜呑みになんて、出来るはずがないのだ。一度殺されかけた時点で、僕からは、彼らを信用する気なんて消え失せている。
殺そうとしてきた組織に属するなんて・・・・・冗談もいいところだ。
「『病』に関わりたくない、か・・・・・。突き詰めればそれは、『命のやり取りをするような業界に、これ以上関わりたくない』、ということになるのかな?」
「まあ・・・ええ。そういう感じです」
白縫さんの言う通り、ちょっと秘密を握ったくらいで殺されそうになる業界なんて、まっぴら御免被る。関われば関わるほど、寿命が短くなってしまいそうだ。
「うむ・・・・・」
と、白縫さんは、顎鬚を撫でつけ始める。僕を『白縫グループ』に引き込むための交換条件でも、考えているのだろうか?
だとすれば、それは無駄な努力だ。
どんな条件を出されようが、僕が『白縫グループ』に入ることはないだろう。どんな好条件を出してこようが、安定した労働体系の約束をされようが、彼らへの信用が失墜している以上、どんな好条件も、ないも同然だ。
「そうか・・・・・まあ、そこまで真正面から否定されてしまえば、君を引き入れるのは難しいか。残念なところだが」
そう言いながらも白縫さんは、思案顔をやめない。
諦めが悪いというか、往生際が悪いというか・・・・・本当に、そこまで僕に執着する理由とは、一体何なのだろう?
「あの・・・白縫さん。そろそろいいでしょうか?」
考え込んでいる白縫さんに痺れを切らし、僕は声をかけた。
沖さんたちと離れてから、既に三十分以上は経過している。三十分以内に、駅前でもう一度落ち合うことを約束していたのだから、そろそろ戻らなければならない。結局、「迷い道」を抜け出すヒントは得られなかったが・・・・・僕との対談という目的が果たされた以上、彼らも、僕らを引き止めておく理由はないはずだ。
「ああ・・・そうだね。長らく引き止めてしまって、悪かったよ」
「いえ・・・それでは」
「うむ。会計は任せてくれ。長々と話をしてしまったお詫びだ」
「・・・いいんんですか?」
「もちろん。これくらいは、支払いの内にも入らないさ」
「それは、えっと・・・・・ありがとうございます」
奢ってくれるというならば、ここは甘えさせてもらおう。誘いを断っておいて奢らせるというのも、かなり無礼かもしれないが・・・・・まあ、もう会うこともないだろうし。
「では、失礼します」
「ああ。沖飛鳥さんに、よろしくと言っておいてくれ」
そんな会話を後にし、僕は立ち上がる。
『白縫グループ』の、代表との対談。
思ったよりも困難な事態には至らなかったが、こうして何事もなく対談が終わったこと自体が、少し、不可解にも感じる。
濱江院長との会話を終えたときと同様に。
どこか・・・・・引っかかる感じ。
「っと・・・柳瀬君。最後に一つ、質問してもいいかい?」
「?・・・・・はい?」
呼び止められ、僕は踏み出そうとした足を止める。
「君は随分と、生き続けることにこだわっているようだけれど・・・・・」
と。
何も変わらない雰囲気で。
強く正しく、揺るぎない雰囲気で。
彼はその質問を、口にした。
「君が生きる理由って、なんだい?」
その質問は。
帰り際ついでの軽い質問のようであって、本質的な質問のようでもあった。
ごまかしを許さない。
はぐらかしを許さない。
そんな、僕の本質を問うような。
強い、質問。
「死にたくないから」
僕はその質問に対し、本音で答えた。
ごまかさず、はぐらかさず。
ただの真実を、彼に伝えた。
「それだけです」
「そりゃ・・・百点満点だな」
好きだね。そういう、強い意志は。
そんな受け答えをしたときの白縫さんの表情は、既に歩き出していた僕からは、窺い知ることが出来なかった。
もしも。
もしも柳瀬優が、白縫正一郎の誘いに乗っていたとしても、そして、乗らなかった今現在でも。
柳瀬の進むルートは、変わらない。
ここで彼がした選択には、なんの意味もない。
蟻がどれだけ努力したところで、人間には踏み潰されてしまうように。
人間がどれだけ努力したところで、世界が滅べばみんな死んでしまうように。
世界なんて、宇宙規模で見れば、滅んでも大差ないものであるように。
彼は。
ただのちっぽけな、なんの意味もない個人である。
組織という大きな存在には、勝てっこない。
喫茶店を出て、路地を出ようと足を向けたところで。
「おやすみなさい」
柳瀬優は、意識を失った。
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