病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

病名とめろんぱん その36



はまさん」
「ん?何だい?」


 スマートフォンを白衣のポケットに戻しながら、彼女は応答する。


「何故・・・僕を助けてくれるんですか?『白羽しらはね病院』のことを教えてくれたり、社会復帰のアドバイスをくれたり・・・」


 もちろん、ありがたいことはありがたいのだ。しかし、ここまで親切にされてしまうと、逆に怪しく思えてしまう。
 何か、裏があるんじゃないのか?何かを、企んでいるんじゃないのか?
 単なる親切心だけでここまで僕を助ける義理が、彼女にあるだろうか?


「・・・ただの気まぐれだよ。特別、考えがあるわけじゃない。困っているようだから、声を掛けてみた。頑張っている君を、助けてみたくなった。それだけだよ」


 と、彼女は肩をすくめる。


「ほぼ初対面の僕を、ですか?」
「ほぼ初対面の君を、だよ。そういうことを出来る人間もいるのさ。・・・君には、分からない感覚かな?」


 確かにその感覚は、僕には分からない。
 無礼な不法侵入者に手を差し伸べることに、一体、どんなメリットがあるというのだろう?・・・いや、自分で言ってしまうのも、どうかと思うけれど。
 僕たちの交渉に誠実に対応したところで、彼女らには何ら、得られるものはないのだ。わざわざ『白羽病院』の事情や『忘失ぼうしつやまい』なんて、教える必要はない。そんな情報を教えるリスクを、負うことはないのだ。
 そこまで考えてしまうと、じゃあお前は何のために交渉に来たんだという話になってしまうけれど・・・しかし、疑うに越したことはない。
 後で、痛い目を見るよりは。
 今、疑っておいた方が断然マシだ。


「疑い深い子だな・・・・・ほら、これでどうだい?」


 言うと彼女は、手元にあった折り畳みナイフを投げた。
 僕を傷つけようとか、そういう意図を込めた投てきではない。ナイフが、ゴミか何かであるかのように、僕の足元に投げ捨てたのだ。


「ほい」


 という掛け声と共に、彼女は両手を上げる。


「これで、私は丸腰だ。君はいつでも、私を殺せる。他に武器を持っているかどうかを確かめたいなら、私の白衣の中を探ってくれても構わないよ」
「・・・いや、そこまでするつもりはありませんよ。僕、紳士ですから」
「紳士?君にもっとも似合わない言葉の一つだね」


 なんだか失礼なことを言われたような気がするが気にせず、足元に投げ捨てられたナイフを拾い上げる。
 といっても、彼女を殺そうというわけではない。単純に刃物が床に落ちているのは危ないし、彼女が武器を放棄するというならば、それを回収しておくに越したことはないだろう。


「信用、してもらえたかな?」
「・・・ええ。まあ」


 信用というほどではないけれど、それでも、ここで彼女と事を構える必要はないと、判断してもいいのだろう。
 彼女の情報がどこまで真実なのかは、分からないけれど。
 今この時点では、彼女と揉める必要はない。


「そりゃあ上々だ。長々と話したのが、無駄にならなくて良かったよ」
「僕も、あなたと話せて良かったですよ。不法侵入をした甲斐がありました」
「・・・あはは。お互い、リスクを負った甲斐があったということだね」


 お互い、か。
 彼女にも、得られたものがあったのだろうか?僕に情報を渡すというハイリスクに見合う、ハイリターンが。


「それじゃあ・・・僕は帰ります。一緒に来た友人も、待っていると思いますし」
「ああ・・・はとちゃんだね。元気そうで良かったよ」
「・・・見ていたんですか?」
「うん。監視カメラで、君たちの行動は見ていたよ。鳩音ちゃん、少しスッキリとした表情になったね。彼女、この病院にいた頃には、もっと思い詰めたような表情をしていたから」
「病院を出て、何かが変わったんですかね?」
「・・・君たちが、彼女の何かを変えたんじゃないのかな?」
「さあ?分かりません」


 僕は肩を竦める。
 僕たちと関わったことで彼女が変わったのだとしても、それは、良い変化ばかりではないはずだ。変わらなくてもいいところや、変わってはいけないところも、変わってしまってのではないだろうか。
 たとえば。
 自分の生き方を見失う、とか。
 恨んでいたはずの奴に手を貸してしまう、とか。
 そういう「間違った変化」も、彼女の中では起こってしまったはずだ。


「鳩音ちゃんに、元気でやれよと、伝えておいてくれないかな?それと・・・君がしたことの責任はこっちでとる、とも」
「・・・分かりました」


 と、僕は席を立つ。
 責任、か。
 数々の事件を引き起こし、機桐はたぎりを殺した責任・・・。


「あの子には、もう会うこともないだろうからね。・・・君とは、近いうちにまた会いたいところだ」
「・・・機会かあれば。いずれ」


 僕は彼女に背を向け、部屋を出る。
 「近いうち」がいつになるのかは分からないが、ひとまず、彼女との会話はここまでだ。僕が、『病』との縁を切ろうとする以上、彼女との繋がりは大切にするべきだろう。
 この業界を抜け出すまでは。生きて、社会復帰するまでは。
 濱江しゅうという名前を、忘れないようにしよう。
 一度も口をつけなかったコーヒーは、いつの間にか冷めきっていた。




 プルルル・・・プルルル・・・。
 やなゆうが去った物置部屋に、着信音が響き渡った。濱江は再び白衣のポケットに手を入れ、スマートフォンを取り出す。


「・・・もしもし。濱江だ」
「お疲れ様です、総務課のわたりです。そろそろ交渉が終わる頃だと思い、電話をさせていただきました」
「ああ。無事に終わったよ。交渉の方は」


 無事には、終わった。大成功したとは・・・少し、言い辛いが。


「無事に終えられたということは・・・例の彼と、コンタクトがとれたということですね」
「そうだ。代表には、良い報告が出来そうだよ」


 少なくとも、自分の役割は果たせた。代表に、失敗の報告なんかをする羽目にならなくて良かった。とりあえず、一安心だ。


「では、予定通り、計画を次の段階に進めるということですね?次に、彼と接触を計るのは・・・」
「おいおい。あんまり、計画のことをペラペラと喋るんじゃないよ。このご時世、どこで誰が聞いているか、分からないんだからさ。計画が他の組織に伝わったりすれば、私たちの首も危ない」
「・・・すいません」
「いや・・・それより、そっちの作業はどうなっている?順調に進んでいるかい?」
「はい。予定より、少し早めに作業が進みました」
「よし・・・なら、今晩中に、移動は済ませてしまおう。徹夜の移動になってしまうかもしれないが、移動さえ済めば、とりあえずは一休みだ。よろしく頼むよ」
「承知しました・・・それでは、また後ほど。私は作業に戻ります」
「ああ。後ほど」


 必要な会話を終え、濱江は通話を切る。


(・・・今夜はまだ、休めそうにないな)


 外の景色に目を向けると、相変わらず、深夜の暗闇が広がっている。まだまだ、夜明けは遠そうだ。


(後は、君に任せるよ。優くん。私なりに、助け船は出したつもりだ。利用されるか、利用し返すかは・・・君次第だ)


 柳瀬優との交渉において、濱江側に旨味がなかったのかといえば、もちろんそんなことはない。
 柳瀬優と直接、接点を持てた。そして、一対一で会話をすることが出来た。
 それだけでも、濱江にとっては大きな成果だったのである。


(信用・・・は、されてないだろうね。あの表情を見るに)


 柳瀬との会話を思い出しながら、彼女は考える。


(あの子の性格から考えて、あれ以上の信用を勝ち取るのは難しかっただろう。・・・出来るだけのアドバイスはした。彼がそのアドバイスに従ってくれることを、祈るしかないね)


 カップに僅かに残ったコーヒーを一気に飲み干しながら、彼女は立ち上がる。
 チラリと、柳瀬の前に差し出したコーヒーカップを見る。


(・・・・・本当に、疑い深い子だ)


 『白縫病院』院長、濱江愁子。
 『病』の業界に身を置き、多くの人を助けてきた彼女であっても。
 柳瀬優という男だけは、助けられないのかもしれなかった。





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