病名(びょうめい)とめろんぱん
病名とめろんぱん その29
「・・・けっこう立派なホテルじゃないですか。沖さん」
「せっかくの遠出だというのに、肩身の狭い思いはしたくありませんからね。そこそこの宿泊施設を、予約させていただきましたよ」
町に着く頃には、すでに辺りは真っ暗になっていた。しかし、久し振りに帰って来たこの町は相変わらず人工の光で満ち満ちていて、駅からホテルまでの道のりで迷うことはなく、無事にチェックインの時間までに到着することが出来た。
沖さんが予約してくれたホテルは、『白縫病院』に程近いところに建っている、なかなか高級なホテルだった。町一番とは言えずとも、五本の指くらいには入るかもしれない。
「あの・・・沖さん」
と、後ろから、蓮鳥さんが声をかける。
「なんでしょう?蓮鳥さん」
「私・・・あんまり、お金は持っていないんですけど・・・」
「いやいや、心配することはありませんよ」
と、沖さんは微笑む。
「宿泊代は、『海沿保育園』の方で持ちますから。安心してください」
「そうですか・・・」
ホッとしたような表情を浮かべる蓮鳥さん。・・・が、その表情は、いまいちよく見えなかった。実を言うと表情どころか、彼女の全身が、僕たちにはよく見えていないのだ。ホテル内から漏れている光や、周りの街灯に照らされた部分が、かろうじて見えている程度だ。言うなれば、半透明人間といった感じである。
『鳥目の病』、と言うらしい。彼女によれば、周りが暗いところでは、彼女の姿は消えてしまうそうだ。
彼女の意志には、関係なく。
夜はもちろん、日陰の中であっても、その効果は発揮される。タネを明かされれば、『海沿保育園』で戦ったときに彼女が姿を消した理由も、単純なものだった。
建物の影の中に入る。
ただそれだけのことで、僕たちは彼女を見逃してしまう。
「少し休憩したら、ロビーで落ち合いましょう。ホテル内のレストランに、夕食を食べに行きますよ」
集合時間を決め、僕らは各々の部屋へと入った。
綺麗な部屋だ。
洗面所やトイレ、浴室にも掃除が行き届いていて、使うのが惜しくなってしまうくらいだ。これで夕食付き、朝食付き。望めば、簡易的なマッサージやエステなどのサービスも利用できてしまうというのだから、至れり尽くせりである。
(・・・とりあえず、シャワーでも浴びようかな)
このホテルまでの道のりは、なかなか遠かった。『海沿保育園』から最寄りの駅まで二十分ほど歩き、段々と混んでいく電車に一時間半ほど揺られ、町の駅からこのホテルまで、さらに二十分ほど歩いた。一日分の宿泊に必要な道具と、交渉に必要な道具諸々を詰め込んだバッグを背負っての移動だったので、疲労感を感じているのも事実だ。熱い湯を浴び、久し振りに湯舟に浸かって、ゆっくりしたい。
(ふう・・・・・)
浴槽の中で手足を伸ばしながら、一息つく。
同時に、彼女の『病』について考えていた。彼女の、『鳥目の病』について。
自分の姿を消せる彼女の『病』は便利なものだが、自分の意志とは関係なく消えてしまうというのは、少しだけ不便かもしれない。炉端さんの『自然態症候群』のように、自由自在とはいかない。・・・いや、彼女の『病』だって、動くとバレやすいとか、自分が何に擬態しているのか彼女自身は自覚できないといった、難点もあるのだが。
何にしても、炉端さんに協力を仰ぐことは出来なかったので、この辺りの違いはどうでもいい。炉端さんは炉端さんで、仕事があるそうだ。
信条さんや氷田織さんは・・・・・論外。
まあ、今回の作戦では、蓮鳥さんの『病』よりも、どちらかといえば、彼女の知識が役に立つはずだ。『白縫病院』で生活していたという、その経験と知識。それが、何よりも僕の助けになってくれる・・・はず。
(・・・ん?)
お風呂から上がり、髪を乾かそうとドライヤーを手に取り、その熱風を頭に感じていたとき・・・・・あることに気付いた。
部屋の出入り口。その扉の前。
一通の封筒が落ちている。
「・・・・・」
思わず、ドライヤーのスイッチを切ってしまう。風の音が止み、辺りはシン・・・と静かになる。
この部屋に入ったときはもちろん、あんな封筒は落ちていなかった。落ちていたならば、さすがに気付いていたはずだ。疲れていたとはいえ、そこまで注意力散漫になっていたとは思えない。・・・・・ということは、僕がお風呂に入っていた間に、あの封筒は部屋の中に入れられたということになる。
まさか、部屋の中に誰かいるのか?いや・・・封筒を部屋の中に入れるだけならば、扉の下の隙間から投げ入れることも、出来なくはないが・・・・・。
一応、確認しておこうか。
机の下、ベッドの下、トイレの中。果てには冷蔵庫の中も確認したが、人間の姿はない。鍵は机の上に置いたままになっているし、扉もきちんとロックされているので、やはり、人は侵入していないのだろう。・・・・・完全には、安心しかねるが。
(開けるべき、か?)
ひとまず封筒を拾い上げ、表と裏を注意深く観察する。封はきちんと糊止めされているが、差出人も宛先も、書かれていない。
『白縫病院』が先手を打ってきた、ということはあり得るか?だとすれば、絶対にこの封筒を開けるべきではないのだろうけど。けれど・・・手紙に何かを仕込むなんてこと、出来るのだろうか?
封筒を部屋の明かりに透かしてみると、中には手紙が一枚だけ入っているのが分かった。それ以外には、何も入っていないようだ。手触りからも、手紙以外の物は感じ取れない。
「・・・・・」
警戒心を保ったまま、恐る恐る封を切り、中身の手紙を取り出す。手紙を開くと、紙の真ん中に一文だけ、文字が書かれていた。
『急がば急げ。夜のうち』
手書きではなく、パソコンで打たれた文字だ。それ以外には、本当に何も書かれていない。表にも裏にも、何もない。
(・・・・・うん)
この文章が何を指し示しているのかは分からなくもなかったが・・・もし、僕が考えている通りならば、この手紙は、思っていたよりも無害だ。
(とりあえず、夕食を食べに行こう)
手紙をポケットにしまい、僕は立ち上がる。そろそろ集合時間だし、お腹も空いてきた。考えるのも行動を起こすのも、腹ごしらえをしてからだ。
(確かに、ご飯は大切だな・・・)
空炊さんの言葉を思い出しながら、僕はそんなことを考えたのだった。
「それでは、また朝に。準備は整っていますし、しっかりと体を休めて、交渉に臨みましょう。明日、再び、このロビーに集合ということで。柳瀬くんも蓮鳥さんも、明日はよろしくおねがいしますね」
「ええ。よろしくお願いします、沖さん。では・・・お休みなさい」
「・・・・・お休みなさい」
夕食後、蓮鳥さんと沖さんに別れを告げ、僕は自室へと戻った。
夕食のときにそれとなく探りを入れてみたが、沖さんも蓮鳥さんも、封筒は受け取っていないようだ。あの不可解な文章の書かれた手紙を手に入れたのは、僕だけらしい。
僕はもう一度手紙を取り出し、その文章をチラリと見る。
(・・・・・よし)
数時間後。
僕は、部屋を出た。
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