病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

病名とめろんぱん その24

 

 彼女との事件から、一週間が経過した。


 とはいっても、状況にそれほど変化があったわけではない。相変わらず、彼女は僕に対して敵対心を持っているようだ。今のところは大人しくしている・・・・・というか、無気力な感じだけれど、彼女が僕にとって危険人物であることには変わりがない。
 一度だけ、試しに会話をしようとしたら・・・・・殴られかけた。
 危ない。危ない。
 とりあえずは、彼女に近づかないようにしておいた方が良さそうだ。
 ただし、彼女の名前だけは、おきさん伝手づてに聞くことが出来た。・・・・何故か彼女は、沖さんだけには少しだけ心を開いているらしい。何があったのかは知らないが、お得意の「人助け」で、彼女の心を掴んだようだ。
 ともあれ、彼女の名前は蓮鳥はすどりはとというらしい。
 まあ逆に言えば、それ以外のプロフィールを、僕は一切知らないということなのだけれど。・・・・・せいぜい、『白縫しらぬい病院』の患者であったということだけだ。
 『白縫病院』の患者であり、脱走者である。
 『白縫病院』の連中はまだ、蓮鳥さんを探しているのだろうか?それとも、もう『海沿かいえん保育園』に保護されていることくらいは、突き止めているのか?彼女の消える『やまい』があれば、そう簡単に見つかることはないのだろうけど・・・・・それでも、なんの手掛かりも掴めていないということはないはずだ。
 そのうち、『白縫病院』が蓮鳥さんを迎えに来るつもりなのか?それとも、蓮鳥さん自身が帰りたいと言い出すだろうか?
 いずれにせよ、彼女がここを出て行くまでは、僕は気を緩められない。彼女と面と向かって話すことなんて出来ないだろうし、ましてや、親しくなることも不可能だろう。彼女が早めにここを出て行ってくれることを、願うばかりである。
 だが、そんな予想と願いは、あっさりと裏切られることになる。
 彼女と面と向かって話さなければならない時は、やってくる。
 彼女の協力を仰がなければ。
 『白縫病院』との交渉に踏み込もうとは、決断できなかっただろうから。


ゆうくん・・・・・ようやく、準備が整いましたよ。やっと、話し合いの段階に進めそうです」
「・・・・・はい?」


 沖さんの言葉に、僕はすぐには反応できなかった。
 熱々のコーヒーを飲んでいるときに、そんな脈絡もない話し出し方をされても、反応することは出来ないだろう。
 準備?
 話し合い?
 一体、何のことだ?


「『白縫グループ』との話し合いですよ。そろそろ、優くんへの警戒態勢を解いてもらわなければなりませんからね。・・・・厳密には、『白縫グループ』そのものではなく、『白縫病院』との話し合いなのですが・・・」
「警戒態勢・・・・・ですか」


 粒槍つぶやり伝治つたうじを通して、僕の命を狙っていた『白縫グループ』。彼らとの話し合いの準備が出来たということは、彼らが「交渉に応じる」という判断を下したということになる。
 しかし・・・何故、今更になって?


「蓮鳥さんの件で、『白縫病院』と、少なからず繋がりができましたからね。そのえんで、私たちの交渉に応じてもらえることになりました」
「いや・・・でも、僕を直接狙っていたのは、粒槍の所属していた『白羽しらはね病院』であって、『白縫病院』ではないんですよね?」
「ええ。それは間違いありません。しかしどうやら、『白羽病院』は、『白縫グループ』の中でも過激派な集団らしく・・・・・話し合いに踏み込むのは、難しいようなのです。『白縫病院』との話し合いを進め、彼らから、『白縫グループ』の上の方たちに進言してもらう方が、まだ希望があると判断したんですよ」
「・・・なるほど」


 つまり、アプローチを変えたということなのだろう。
 『白羽病院』も『白縫病院』も、『白縫グループ』を支える病院であることには変わりがない。
 『白羽病院』がダメなら、『白縫病院』から。
 そういうことなのだろう。
 だが・・・・・そんなに上手くいくのだろうか?
 粒槍との戦いの際、僕は、「僕が無害であることを、上の人たちに進言してほしい」と、粒槍に頼んだのだ。それが功を奏したのか、あの件以来、『白縫グループ』から、目に見える実害は受けていないのだけれど・・・・・実際にこちらから交渉するとなると、話は違ってくるのではないか?
 このまま放置しておいた方が良いような・・・・・均衡状態を保っておいた方が良いような気もする。


「沖さん。この交渉・・・どれくらい上手くいくと思います?」
「どれくらい、と聞かれると難しいところですが・・・・・私は、上手くいくと思っていますよ」


 と、沖さんは微笑んだ。


「優くんが『やまいち』の存在を言いふらすような人ではないことは、彼らにもきちんと伝わるはずです。彼らだって、無害な人間をむやみに殺すような真似は、しないと思いますよ」
「しかし、確信はないわけでしょう?交渉を受け入れるフリをして、僕らを騙そうとしているのかもしれない。のこのこやって来た僕らを捕らえようとする可能性も、ないとは言い切れないでしょう?」
「ええ・・・もちろん、確信はないのですが」


 と、沖さんは、少し困った笑顔を向ける。


「でも・・・忘れないでくださいね、優くん。『白縫グループ』は決して、人を殺すための集団ではないんです。『病持ち』を守ろうとする集団であり、傷ついた人を保護する組織であるという点では、『海沿保育園』と何も変わらないんです」


 そう語る、沖さんの顔は。
 優しげだった。
 疑いのない、晴れ晴れとした表情だった。


「彼らには彼らなりに、守りたいものがある。彼らなりの守り方がある・・・・・それを、忘れないであげてください」
「・・・優しいですね、沖さん。彼らは、僕を殺そうとした集団なんですよ?」
「それもまた、彼らなりの守り方ですよ」


 皮肉めいた僕の口調に対しても、彼の笑顔は曇らない。
 愚直すぎるほどにまっすぐな視線で、呆れてしまうくらいににこやかな笑顔で、彼は言った。


「それを否定することは、私には出来ません」
「・・・・・そうですか」


 やっぱりこの人の考え方は甘い、と僕は思ってしまう。
 ある程度は『白縫グループ』の情報を手に入れた上での意見なのだろうが・・・・・それでも、この人だって、『白縫グループ』の全てを知っているわけではないだろう。
 少し、呆れてしまう。
 蓮鳥さんを保護したことといい、今回の件といい・・・・・この人の能天気さには、ほとほと呆れてしまう。
 ・・・いや。
 と、このとき僕には、思いついたことがあった。
 蓮鳥さん。
 そうだ、蓮鳥さんだ。


「沖さん。『白縫病院』と交渉するなら、僕に一つ、提案があります」
「?・・・・なんですか?」
「蓮鳥さんに、協力をあおぎましょう」


 彼女を味方につけたなら。
 『白縫病院』の患者であり、消える『病』を持つ彼女となら。
 『白縫病院』との交渉も、有利になるのではないか?
 究極的には・・・・・彼女を交渉材料にすることも出来る。彼女を返す代わりに僕を付け狙うのをやめろと、訴えることも出来る。
 優しさの欠片かけらもない僕は、そんなことを思った。





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