病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

病名とめろんぱん その23



「・・・・ばたさんは、どう思う?」
「はい?」


 場所は『海沿かいえん保育園』のホール。時間帯は夕方。
 透明人間との命を賭けた戦いを終え、一息ついた頃だった。おきさんとちゃんが彼女の手当てを行い、その間、僕と炉端さんはホールで雑談を繰り広げていた。
 沖さんと炉端さんの協力でなんとか生き延びたとはいえ、思い返してみると、本当に無茶な戦いだった。
 消える人間とあいたいするだなんて。
 もう、二度とやりたくない。


「あの子が言っていたことだよ。えーっと・・・」


 と、ここで初めて、僕は彼女の名前すら知らないことに気付いた。
 名前も知らない人間に、命を狙われることになるとは。
 世の中、どこで誰の恨みを買ってしまうか、分かったもんじゃない。


「『正しさ』が何か・・・みたいな話ですか?」
「うん。それ」


 正しさって、なんですか?
 彼女の質問だ。
 僕が答えることが出来ず、そして、おそらく一生、答えることの出来ない質問だ。・・・・・いや、正確には、最低限の答えは返したのだけれど。
 「知らない」と。
 正直に返答をしたんだけれど。
 僕と一緒に彼女の質問を聞いていた炉端さんは、一体、どんな感想を持ったのだろう?


「あの子と年の近そうな炉端さんなら、あの子があんなにも『正しさ』に執着していた気持ちが、分かるんじゃないかと思ってさ」
「年が近そうって・・・・・やなさんだって、そんなに年は離れていないでしょう?せいぜい、5、6歳の差じゃないんですか?」
「5、6年も違ったら、全然違うさ」


 僕はすでに、高校生のときの記憶なんてほとんど残っていない。楽しい思い出も、辛い思い出も、とっくの昔に忘却の彼方かなただ。
 僕に、高校生だった頃なんてあったっけ?
 それくらいの感覚だ。
 それに僕には、彼女の気持ちがまるっきり分からない。
 『正しさ』だかなんだかのために、罪を犯し、人を殺す。それに何の意味があるのか、僕にはさっぱり分からないのだ。
 どうかしている、狂っている、とさえ思ってしまう。
 若さ故の過ちとは、ああいうことを言うんだろうか?


「私にだって、彼女の気持ちは分かりませんよ。『正しさ』が何かなんて、私も考えたことがありませんし」
「・・・まあ、そうだよね」
「でも、彼女にとっては、それが自分の全てだったんじゃないですか?『正しさ』を追い求めることが、彼女にとって、唯一無二の青春だったのかもしれません」
「青春、ね・・・・」


 だとすれば、随分と無駄な青春を過ごしたものである。そんな答えのないものを追い求めることよりも、もっと有意義なことがたくさんあっただろうに。


「そういう青春は、炉端さんにはなかったのかい?」
「なかったですねー。私の青春は・・・・もっと、なんていうか・・・・無気力な感じでした」
「無気力?」
「無気力で、無意味。そんな感じです」
「・・・ふーん」


 炉端さんは炉端さんで、複雑な青春を送ってきたようだ。
 ・・・そういえば炉端さんは、少し前まで、「死にたがっていた」んだっけ?
 前に、しんじょうさんがそんなようなことを教えてくれた気がする。
 今、聞くべきこと・・・・・ではないんだろうけど、気になることではある。一体、どんな経験をすれば、「死にたい」だなんて思えるのだろう?
 それも、僕には分からない感覚だ。


「第一、柳瀬さん。彼女の気持ちが知りたいだなんて、本当に思っていますか?」
「いや、全然」
「・・・・・やっぱりですか」


 「そうでしょうね」とばかりに、炉端さんは苦笑いを浮かべる。
 別に、彼女の気持ちを理解してあげようとか、彼女の思いをきちんと知ろうとか、そんな殊勝なことを考えているわけではないのだ。
 ただ単純に、彼女のことを少しは分かっていないとマズいと、そう感じたのだ。僕の身が危ないと、そう思った。
 『正しさ』を求めた末に、彼女は僕に襲いかかってきた。「知らない」と言われたのがよほど悔しかったのか、あまりにも僕に失望したのか・・・・・本当のところは、本人に聞いてみないと分からないが。
 だが、彼女が僕を殺そうとしたのは、紛れもない事実なのである。その上、彼女はまだ、この『海沿保育園』の屋根の下にいるのだ。沖さんがいる限り、彼女をここから追い出すような真似はしないだろう。
 ならば、警戒を怠るわけにはいかない。
 彼女のパーソナリティを、少しだけでも知っておかなければ。
 今度こそ、殺されかけない。


「まあ、私にも、彼女の質問に答えることは出来ませんけど・・・・・それでも、あんな言い方をされれば、やっぱり、怒るのは当然だと思います」
「・・・・・やっぱり?そうかな?」
「はい。折角ここまで来たというのに、『知らない』なんていっしゅうされたら、そりゃ怒っちゃいますよ」
「うーん・・・・そういうものかな?」
「そういうもの・・・・・なんだと思います」


 やはり、あの受け答えはマズかったのか。
 失敗。失敗。
 またしてもああいう展開になったときは、もう少し真剣に話を聞く・・・・・フリをしよう。それで寿命が延びるというなら、儲けものだ。


「・・・・なんか柳瀬さんって、少しだけ似てますよね」


 苦笑いを引っ込め、少し真面目な顔になりながら、炉端さんは言った。


「うん?似てるって、何に?」
「あの・・・・・怒らないでくださいね。先に謝っておきます」


 ペコリと頭を下げる、炉端さん。
 なんだ?
 一体、何を言うつもりなんだ?


「・・・・・おりさんに」


 少しトーンを落として、彼女は言った。


「氷田織さんに少しだけ似てるなって・・・・そう、思ったんです」


 ピクリと自分の眉毛が動くのが、僕には分かった。


「それは・・・・・それはどうかな。炉端さん」


 僕も、少し声を低くして言う。


「気のせい・・・・・じゃ、ないかな?」
「ええ。多分、気のせいなんだと思います」


 言いながら、炉端さんは肩をすくめる。


「忘れてください」
「うん・・・。そうするよ」


 いくら、僕が不誠実であろうと。
 他人の気持ちを理解できない奴であろうと。
 自分のことしか考えていない奴であろうと。
 氷田織さんに似ている、なんてことはない。
 決して。





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