病名(びょうめい)とめろんぱん
病名とめろんぱん その1
時刻は、早朝五時。
昇っていく朝日が、あらゆるものを明るく照らしていく。動物を、植物を、人を、犬を、猫を、有機物を、無機物を、気体を、液体を、個体を。平等に照らし出していく。
そして、ここにもまた、朝日に照らされながら、ベランダで紅茶を啜る男がいた。椅子に座りながら足を組み、紅茶を上品な仕草で飲む彼の姿は、どこか神秘的な雰囲気を醸し出している。
(やっぱり、早朝の静かな時間に飲む紅茶は最高だ。他の、どんな時間帯に飲む紅茶よりも美味しい)
そんな風に心の中で感想を述べながら、彼は紅茶を味わっていた。
(それに、このメロンパンにも良く合う)
お皿に載っている小さめのメロンパンを持ち上げ、端の方をかじる。
(美味しい。メロンパンの甘みが、紅茶の僅かな渋みと混ざり合って、バランスの良い風味だ)
最高の朝食だ。朝食に甘いパンは合わないと言う人もいるらしいけれども、その意見にはぜひ反対したい。メロンパンだってこの通り、立派な朝食になる。一日の始まりに、糖分の補給は必要不可欠だ。
と、男がメロンパンに舌鼓を打っていると、その男の元へ、一人の訪問者が現れた。スーツを少しも乱すことなく着こなした、いかにもキャリアウーマンといった風の女性だ。
「シシ先生。Cチーム、ただいま戻りました」
「ありがとう。朝までご苦労様だったね」
シシ先生と呼びかけられた男は微笑みながら、彼女の方に向き合った。
「コウさんも、紅茶とメロンパンはいいかがかな?徹夜の仕事で、お腹も空いただろう?」
「いえ・・・お気持ちは嬉しいのですが、今はあまりお腹が空いていませんので」
「そうかい?残念だなぁ・・・」
少し肩を落とすシシに対して、コウと呼ばれた女性は微笑み返した。
「また、別の機会にいただきますよ。近々、またパーティーを開催するのでしょう?」
「おっと。バレてしまっていたかい?サプライズパーティーにするつもりだったんだけれど・・・」
「すいません、なんとなく分かってしまって・・・いつもいつもありがとうございます。楽しい食事会を開いてくださって」
「いやいや、君たちに感謝をしなければならないのは、僕の方さ。いつも、皆さんにはお世話になっているからね。これくらいはしないと、罰が当たってしまうよ」
「お優しいですね、シシ先生」
「優しくなんてないさ。あんまり褒めないでくれ。照れてしまうよ」
微笑みながら、シシはもう一度、紅茶に口をつける。「ふう・・・」と小さく息を吐いた後、「そろそろ、本題に入ろうかな」と切り出した。
「今回の仕事、首尾良くいったかな?」
「ええ。仕事中に見られることもなく、情報漏えいの危険性もないと思われます」
「えっと・・・それも大事なんだけど」
ポリポリと頭を掻くシシ。
「僕が心配しているのは、君たちの身の安全のことだよ。怪我をしたメンバーはいなかったかい?誰一人欠けることなく、仕事を終えられたかい?」
「・・・ええ。メンバーの身にも、問題はありません」
「しかし、シシ先生」とコウは続ける。
「いつも申し上げていることですが、こういった危険な仕事を請け負っている以上、毎回私たちが無事で帰って来られる保証はありません。大怪我をすることもあるでしょうし、その、なんというか・・・・犠牲になってしまうメンバーが出てしまうこともあり得る、ということです」
「そう・・・そうだね。理解しているつもりなんだけれど、ついつい心配してしまってね。君たちに誰一人として、危険な目に遭ってほしくないんだ・・・これも、毎回言っていることだけれどね」
「お気遣いいただき、ありがとうございます。私たちの身を慮っていただける、シシ先生の考え方には、いつも感謝しています」
「いやいや、君たちの上に立つ人間として、当然の考え方だよ。それも、わざわざ礼を言われるようなことではないね。・・・それより、今回の報告をお願いしてもいいかな?」
「はい。承知しました」
コウは、手に持ったビジネスバッグからタブレットを取り出し、その画面をシシに見せ始めた。タブレットには、二つの組織名と何人かの人間の顔写真が映し出されている。
「今回の、『海沿保育園』と『シンデレラ教会』の一件。基本的には平和裏に解決したようです。機桐莉々が『シンデレラ教会』に移動することもなく、元の状態に戻っただけともいえます。死傷者は、疫芽忠と詩島志吹の二名で、両名とも『シンデレラ教会』のメンバーです。疫芽忠は現在、行方不明になっていますが、詩島志吹の方は・・・残念ながら、確実に死んでいるようです」
一気に話し終えたコウに対し、「そうか・・・」と、シシは短い返答をした。一旦、コウから目を離し、外の風景に目を向ける。
揺れる木々。
小さく波立つ湖。
囀る小鳥。
それらが、シシの心の中を満たしていく。
死。死という、荒々しく刺々しい事実を、受け入れやすいものにしてくれる。
(これまで、どれだけの人間が『病』に関わり、そして死んでいったのだろう・・・)
思いを馳せたところで、死んだ人間が戻ってくるわけでも、生きている人間が死ななくなるわけでもない。自分たちに出来ることは、だから、活動し続けることだ。たくさんの人の命を救うため、多くの人間の人生をより良いものにするため、そのために、自分たちは存在しているのだから。
「確か、『海沿保育園』には、新しいメンバーがいたはずだね?」
「ええ。柳瀬優、ですね。彼も、この事件には巻き込まれたようです。『病持ち』でないにも関わらず、この戦いの最中で命を落とさなかったのは、幸運と言えるでしょう」
「そうだね・・・。なんにしても、この事件が大きな戦いに繋がらなくて良かったよ。この二つの組織は、リーダーは穏やかだけれど、メンバーには気性の激しい人もいるからね。少し、ヒヤヒヤしていたところだよ」
「特に『海沿保育園』は小さい組織ながらも、大きな影響力を持っていますからね。今回の事件が、他の組織に何らかの悪影響を及ぼさなければいいんですが・・・」
「いすれにしても、これからの彼らの動向には、今まで以上に気をつけて監視をしなければならないようだね・・・。引き続き、これらの組織の観察と疫芽忠の行方の調査、それから、詩島志吹の死亡による情報漏えいが起こらないように、よろしく頼むよ」
シシが微笑みかけると、コウは「承知しました」と深々と頭を下げる。
「もちろん、君たちの安全を最優先でね。彼らの調査や情報漏えいよりも、そっちの方がよほど大事だよ」
「心得ております・・・・。では、今回はこの辺りで」
「うん。これからも、よろしくお願いしますね。コウさん」
「もちろんです。よろしくお願いします」
「それでは・・・失礼します」ともう一度、小さく頭を下げ、コウはその場を離れる。後に残ったシシは三度、紅茶を啜った。
「ふう・・・」
と、一息ついた後、彼もまた立ち上がる。今日の仕事の準備を始めるのだ。
シシとコウ。そして、彼らの組織。
人を守り、『病持ち』を守ろうとする、彼らの戦いは。
静かに、始まろうとしていた。
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