病名(びょうめい)とめろんぱん

ぢろ吉郎

病名とめろんぱん その3

 
 その教会の奥に、彼はいた。
 どうやら、今日の僕の勘は冴えているようだ。
 彼はテーブルの前に座り、庭園を眺めながらティーカップをすすっている。こんな真夜中に何をしているのだろう?と、思ったが、この人も人間だ。真夜中に一人で、紅茶を飲みたくなる心情になるときもあるのだろう。出来れば、眠っていてもらった方が、こちらとしては楽だったのだけれど・・・。
 優しそうな横顔。
 穏やかそうな雰囲気。
 世の中の人間を「善人」と「悪人」に二分するならば、彼は間違いなく「善人」に区分されるのだろう。そう断言できるだけの雰囲気を、彼はまとっている。
 しかし、彼がどれだけ「善人」であろうとも、彼を殺すという目的には変わりがない。「善人」だろうが、「悪人」だろうが、死は平等だ。死に方が不平等なだけで、死そのもの、死ぬという事実については、何一つ変わりがない。
 ちょうど今夜は、月明りもない真っ暗な夜だ。人を殺すにはうってつけなこと、この上ない。
 僕は、微かな物音さえも立てないように気を付けながら、教会の奥へと進んだ。相変わらず、彼がこちらに気付く様子はない。
 きっと彼は、何も気付くことなく、何も理解することもできないまま、死んでいくのだろう。・・・哀れな男だ。
 ドキドキと、ここまでくると、僕の心臓の鼓動も速くなる。ふところに、きちんとナイフが収まっていることを何度も確認する。


(・・・・・・)


 祭壇のすぐ下辺りまで来たところで、僕は一旦足を止め、もう一度ターゲットの顔を確認する。距離が縮まったおかげで、先ほどよりも男の顔がはっきりと見える。
 彼は、なんだかうれいを帯びた表情をしていた。先ほどまで口をつけていたティーカップは、手に持ったまま宙で停止しているし、庭園の方を見つめる視線もどこか虚ろだ。特にどこかを見ているという風ではなく、適当に視線を泳がせているという感じに見える。
 ・・・何を考えているのだろうか?
 いや、何も考えていないのか?
 何も考えない瞬間、考えたくない瞬間というのは誰にでもあるものだ。組織のリーダーを担う人間であっても、それは例外ではないだろう。ただ、今の状況では、それは大きな隙になる。思考停止状態のときにナイフを突き立てられて、反応できる人間がいるだろうか?・・・いや、まず無理だろう。
 彼を殺すことの意味を、自分の中でもう一度組み上げる。人を殺すには、意味が必要だ。少なくとも、この僕には。
 意味は、あるのだ。無意味な殺しではない。この男を殺すことによって、達成したい目標に、叶えたい目的に、一歩近づく。
 その目的のために。
 彼には死んでもらう。
 僕は祭壇に足を掛け、その上へと登る。さすがに、ほんの少し床がきしむ音が鳴ったものの、彼は気付かなない。
 まあ、気付くはずもないのだが。
 彼のすぐ側まで歩を進め、懐からナイフを取り出す。
 いよいよだ。
 いよいよ、彼にナイフを突き立てる。
 心臓の鼓動が、先ほどよりもさらに速くなる。
 ようやく分かった。僕は、殺人衝動で心が躍っているわけでないのだ。
 欲しかったものを手に入れる。もしくは、ずっとやりたいと思っていたことを、やる。
 欲求を満たすという、ただただ当たり前のことを、嬉しく思っているだけなのだ。
 なんだ。
 それだけのことか。
 気付いてしまうと、なんだか少し冷めてしまったような気がする。さっきまでは、誰も成し遂げられないことを成就するみたいな気持ちでいたが、こんなものは、誰だってやっていることなのだ。
 うん。
 ならば、さっさと済ませよう。


 さよなら。


 機桐はたぎり


 男の首筋に、あらん限りの力を籠めてナイフを突き刺した。


「!?」


 男は、わけが分からないという表情で、首を押さえたまま、その場に倒れた。持っていたティーカップが、真っ逆さまに床へと落ちる。倒れた彼に追い打ちをかける形で、心臓めがけて、もう一本のナイフを突き立てる。


「ぐっ・・・・!」


 男はうめき声を上げながら、激痛に顔をゆがませる。彼の口から、首から、心臓から、大量の血液が流れ出した。
 おっと、危ない危ない。
 あまり、返り血は浴びたくないものだ。


「・・・・・誰だ?」


 困惑した声で、彼はこちらを見返す。ただ、その視線は、僕の顔より数十センチほど、上の方を見つめていた。つまり彼は、僕を捉えられてはいない。
 まあ、そうだろう。
 そうなるだろう。
 見えるはずがないのだ。彼が、僕を見つけられるはずがないのだ。


「一体・・・誰、なんだ・・・?」


 息も切れ切れになりながら、彼はもう一度呟く。繰り返されるその質問に、僕は「ふぅ・・・」と小さくため息をついてしまう。
 やれやれ。
 そんなに知りたいのならば、仕方がない。教えてあげようじゃないか。


やなゆうだ」


 僕が名乗った瞬間、彼の目は、驚愕に見開かれる。驚きのあまり、一瞬、抵抗が止まったほどだ。
 だが、すぐに「あり得ない・・・」と呟く。


「そんなはずが、ない・・・・。そんな、はず・・・・・」


 と、彼は服の内ポケットに手を突っ込み、スマートフォンを取り出した。
 なんだ?
 誰かに連絡をとるつもりならば、そうはさせない。
 僕はすぐさま、そのスマートフォンを奪い取り、彼の手にもナイフを突き立てる。馬鹿な人だ。そんな弱った状態でスマートフォンを取り出したところで、奪い取られるのが関の山だと分からないのか?
 が、しかし、僕がそのスマートフォンを手にした瞬間、スピーカーから、けたたましいサイレンのような音が響いた。
 なるほど。これを狙ったのか。こんな音が響き渡ってしまえば、他の住人が駆け付けてきてしまうだろう。
 なら、グズグズしてはいられない。
 既に、彼は虫の息だ。
 抵抗はしているが、その力は弱々しい。
 そろそろ、トドメを刺す頃合いだろう。


「君が・・・どこの誰なのかは、知らないが・・・・」


 これだけの致命傷を負いながらも、彼は話そうとする。


「・・・もしも、娘に・・・会ったら、『ずっと、愛している』と・・・伝えて、おくれ・・・」


 彼は力なく微笑む。
 ・・・こいつは、今にも自分を殺そうとしている相手に対して、何を言っているんだ?
 お前の娘なんか知らないし。
 そんな言葉を伝えるつもりも、ない。
 さっさと死んでくれ。
 その頭部に、僕は、なんの躊躇ちゅうちょもなくナイフを突き刺した。
 深々と。
 もう二度と、抜けないんじゃないかというくらいに。
 人を殺した。


・・・・・」


 と、一言を言い残して。
 彼は、動かなくなった。





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