勇者パーティーを追い出された死霊魔術師はリッチになって魔王軍で大好きな研究ライフを送る

稲荷竜

次のリッチのプロローグ

「ハァ……ハァ……ハァ……!」

 世界には昼と黄昏、それから夜があった。

 昼の国を治めるのは、歴史に名高き『聖女』の血統。
 極めて精強なる神官戦士を統べる『なによりも尊く輝けるもの』。その身に太陽を宿したとされる神の代弁者たる『聖君』ジル三世。
『夜』『黄昏』の二国との争いを調停し世界に平和をもたらした偉大なる大ジル王の、血縁的にはひ孫であり、再び戦争を開始した新たなる太陽、その人であった。

「ハァ……ハァ……ハァッ……!」

 黄昏より現れし影は、昼と夜、二つの側面を持っているという。
 昼と夜の二国しかなかった時代、突如として出現した『新たなる国』があった。
 黄昏を冠するその国は山間より出現し、昼夜二国の争いに介入。そうして勢いのまま二国の前線を食い破り、世界の北側に自国の領土を作り上げてしまった。
 その黄昏の国の初代女王レイラは暴力を好み戦乱を愛する荒々しい面と、政治家としての二つの顔……苛烈な『昼』の顔と、穏やかな『夜』の顔があったと言われている。
 いわゆる二重人格を連想させるその初代女王は、どうやら子孫に『昼の顔』のみを受け継がせたらしかった。
 苛烈なる、苛烈なる、苛烈なる『狂王』。『戦狂いのマリアンヌ』というのは、豪奢で煌びやかで、それから敵対した者を必ず殺すという、黄昏の輝きそのもののように、苛烈な……

 大ジル王が戦争を止める以前、この二つの大国は長い時間、戦争を続けていた。
 人一人の一生が終わるよりも、ずっとずっと長い時間だ。

 その因縁は『昼の国の聖女』と『黄昏の国の初代女王』との不仲に端を発するという。
 ……しかし、時が経ちすぎていて、もはや発端などどうでもよく、それぞれがそれぞれに積み重ねた歴史が……そこで潰えていったさまざまな命が、戦争という化け物を育て、狂わせ、それからなおも成長させていた。

 徹底的に価値観も違い、不仲である昼と黄昏ではあったが、この二つの国が共通して禁じているものがある。

「ハァ……ハァ……ハァ……! くそ! どうしてだ! なにが悪い!? 大事な人を……生き返らせたいと! そう思うことの、なにが罪だ!」

 ━━死霊術。

 命を自在に支配するとされるその技術は、この二つの国家において『禁忌』とされていた。

 昼の国はその国家成立に深くかかわった『昼神教』の教義ゆえに……
 黄昏の国はその苛烈なる女王の思想により、『殺した敵がまた生き返るなんて、美しくない』という理由で……

 だから、死霊術師の居場所があるとすれば、この二つの国ではなく……

「『夜の国』……! 壁に閉ざされたあの国に入ることさえ、できれば……!」

 夜の国は異形の者どもの集う魔境だ。
 ほとんど知性なき軍団を擁する謎多き国家であり、かつては宗教思想の対立によって昼の国との戦争をしていたが、大ジル王の時代に停戦をしたあとには、国境沿いに長く高い『壁』を作り、戦争どころか交流さえも絶ってしまっていた。

 だから、不気味な噂だけが、今の世代の者たちには聞こえてくる。
 いわく、化け物どもの巣窟であり……

 その化け物たちは、いくら殺しても、蘇る。
 蘇生するのだ。死者が。

 ……死霊術は、きっと、そこにある。
 閉ざされた化け物たちの国に、きっと……

 魔王と呼ばれる国家元首は、その来歴をたどればもとは昼の国の……その前身となった国家の王の血筋なのだという。

 つまり、人だ。

 ならばきっと、人である自分も入れる。
 事情をわかってもらえば、きっと……

 その希望が、彼の足を動かしていた。

 大荷物を背負い、疲れ果てて今にも止まりそうな足を、必死に動かさせていた。

 ……けれど。

「見つけたぞ!」

 馬のいななきと叫び声がして、彼は後方を振り返った。

 そこには法衣をまとった昼の国の神官部隊と……

 ちりん、と。
 鈴の音が、響く。

「お前たち、おどきなさい。アレはわたくしが殺すと決めました」

(……黄昏の国の女王!?)

 現場主義だとは聞いていたが、まさか女王自らが部隊を率いて現れるとは。

 それに、昼の国と黄昏の国が、あんなふうに馬首をそろえて一つの敵を狙う、など……

(そこまで、死霊術を滅ぼしたいのか!?)

 彼はこの時代によくいる戦災孤児であり、昼の国の救護院で育った。
 そこには彼と同じような身の上の者がたくさんいた。

 恵まれてはいなかったけれど、困窮しているというほどでもなかった。
 昼の国の戦災孤児保護は手厚い。その恩恵を受けて彼らは育っていて、将来はきっと、この国に恩返しをするために神官になろうと、そういうことを話し合っていた。

 将来を、話し合っていた、のに。

 ある日、黄昏の国の部隊が攻め入って来て、彼のいた救護院のあたりを戦場にした。

 ……つまり、『将来』はそこで潰えた。
 国境沿いに住まう者にとってはありふれた悲劇が、彼の身にも降りかかったと、それだけの話、なのだった。

 そういうことがあった昼の国戦災孤児は、ますます黄昏の国への敵愾心を燃え上がらせ、立派な神官戦士になるべく礼拝に熱を入れる、というのが一般的だった。

 きっと彼も、そうしたはずだったのだ。

 ━━死霊術というものを、見つけなければ。

 死霊術は昼の国において秘された技術だった。
 発見できたのは偶然だった。たまたま遊び場にしていた古びた洞窟があって、たまたま、黄昏の国の部隊が攻め入って来た時に、その洞窟に逃げ込んだ。

 そうしたら、たまたま、洞窟の壁面の一部が壊れ、その中に小箱が隠されていた。

 ……小箱の中には古い文字で書かれた資料があった。
 昼の国の救護院は教育施設としての側面を持っている。彼にはその文字が読めた。

 読めてしまったのだ。
 昼の国と黄昏の国で禁忌とされ、かたく秘匿されていた、死霊術という技術を。

 そして。

 彼は、その『古く、しかし革新的な技術』に夢中になり、資料を探し回り……

 ある程度かたちになったところで、神殿に報告してしまった。
 死者を蘇らせるのは教義で禁じられていた。でも、それは『死者が蘇るなんてありえない』という前提に立脚するものだと思っていたのだ。
 それに、相談した神官様は、救護院時代に何度か顔を合わせ、そのたびに優しくしてくれた人だった。だから話せばわかってくれると、そう思っていた。

 だって、そうだろう? あれほど優しくしてくれたんだ。あれほどかわいがってくれた救護院の仲間たちが死んだんだ。蘇らせられるなら、そうしたいと思うはずじゃないか。
 それに神官様だって黄昏の国との戦いで大事な人を失っているらしいじゃないか。だったら死霊術という、死者の蘇生がかなう技術にきっと興味を示し、応援してくれるはずだと……そう思って……

 甘かった。

 ……追われることになった彼が逃げられたのは、いくつもの幸運に味方されたからに違いなかった。
 その逃避行の果てで、憎き『黄昏の国』に身を隠すことになった。

 そこでさらに死霊術についての研究を進めていく中で、彼は黄昏の国にもその技術を見つかり……

 今にいたる。

(死霊術は、希望なんだ……! 救護院のみんなを蘇らせるための、最後にして、唯一の希望……理不尽に奪われた命を取り戻すための……!)

 背後から馬が迫ってくる。

 黄昏を背負った女王マリアンヌが、巨大な剣を担ぎながら、ボリュームのある巻き毛を揺らして、迫ってくる。

 髪が揺れるたび、ちりんちりんと髪飾りの鈴が鳴る。その音が、迫ってくる。

 絶望はすぐそこに。
 引き離しようのない速度で、迫ってくる。

(ここで死ぬのか? 俺も、みんなと同じように、『黄昏の国』に……『理不尽』に、殺されるのか?)

 彼はハァハァと息を切らせながら必死に進むけれど、すでに長い距離を駆け抜けていて、いかに神官戦士を目指して礼拝を積んでいたとはいえ、もう、馬から逃げ切れそうもなかった。

 彼は足を止めた。

 あきらめた━━わけでは、なかった。

(俺しか、いない)

 指先は酸欠で痺れていたけれど、いまだかつてない力で拳を握りしめることができた。

(俺がやるしかない。俺が……俺だけが! みんなを蘇らせることができる!)

 振り返る。

 すぐそこに、戦狂いのマリアンヌの巨大剣。

「死霊術は、終わらない! 俺が、終わらせない!」

 鍛え上げた太い腕で、マリアンヌの巨大剣を撃ち落とそうとする。

 だが、相手はあまりにも強くて……

 彼は、両断された。

 マリアンヌは馬の速度を落として振り返り、胴体で両断された死体を見て、つまらなさそうに鼻を鳴らす。

「お前たち、この男の持っていたものを粉々になさい。二度と世界に死霊術などという醜いものが発見されてはなりませんよ」

 そうして、彼の背負っていた死霊術にかんするさまざまなものは、兵士たちによって念入りに破壊された。
 彼自身も火をくべられて、炭になるまで焼かれた。

 マリアンヌたちが去って━━

 黄昏の時間は、終わり。

 ━━夜が、来た。

 炭化した体がざあざあと風に吹かれて消えていく。
 あとには骨だけが残されて……

 その骨が、ぴくり、と動いた。

 両断されていた体の上下がひとりでにくっつき、彼は立ち上がる。

 燃やされた衣服がマントのように首にひっかかったまま、風にたなびいた。

「…………成功だ。……成功したぞ。俺は、俺は━━『リッチ』になった!」

 月に吠える。

 死霊術の奥義を、彼は成功させたのだ。

 ……その時、背後から、声がかかった。

「おかえりなさいませ、リッチ様」

 振り返る。

 そこには、片目を髪で隠した、理知的な容貌の女性がいた。

 まだ追手が残っていたか━━と彼は一瞬身構えるのだが……

 すぐに、勘違いだとわかった。

 その美しい人は、透き通るような、青みがかっているほどの白い肌をしていて……
 そして、足がなかった。

 スカートの下にはしっぽのような、あるいは半透明で足首から先が完全に透き通っているような、なんとも名状しがたい脚部があるだけで、地面に『立って』いなかった。

「……『ゴースト』」

 それは、夜の国にいるという異形の名だ。

 死霊術の古文書にもその存在についての記載があった。
 いわゆるアンデッド……『死霊術で蘇ったものと思われがちだが、全然違うもの』として脚注があったのだ。

 理知的な女性は……ゴーストは、目を伏せてカーテシーをして、

「いずれ戻ると仰せでしたので、あなた様の居場所はきちんと維持してあります。えらいでしょう?」

「……いや、その、俺を誰かと勘違いして……」

 やたら知り合いっぽい感じで絡んでくるので、彼は困惑した。
 だが……

(『夜の国』は今、閉鎖されている……王は人族らしいから、事情を話せば入れてくれる可能性はあると思っていたけれど……それは確実じゃない。なら、このまま勘違いしてもらっていた方が、いいんじゃないか?)

 彼の目的は、救護院の仲間たちの蘇生だ。
 その方法のヒントはいくつも得たものの、それを実際にやるためには、研鑽・研究が必要になる。

 そして彼女がリッチという存在と『知り合い』であり、リッチの使っていた施設が維持されているのだとすれば……

 そこに、仲間たちを蘇生する方法も、あるかもしれない。

(……騙すようで心苦しいけれど、勘違いに乗らせてもらおう)

 彼は、このゴーストと知り合いのリッチのふりをすることにした。

 しかし、当然ながら、彼女と知り合いであったリッチのパーソナリティについては、わからない。
 だから……

「出迎えご苦労。ああその、俺は、えーっと……記憶の一部がないんだ。だから、ちょっとおかしな行動をするかもしれないけれど……」

「だいじょうぶです。リッチ様がおかしいのは、いつものことなので」

「……そうなのか」

「はい」

 深く深くうなずくゴーストであった。

 彼は悩んでから、

「……まずは、君の名前を教えてもらってもいいだろうか?」

「リッチ様は本当に他者の名前を覚えませんね……」

「そうなのか……」

「ご自分の名前も忘れそうだから、一人称が『リッチ』だったのでしょう? 今の私は当時より頭がいいので、わかっていますよ」

「そ、そうなのか……」

 彼は一人称を『リッチ』にしようと心に決めた。

 ゴーストは柔らかく微笑み、

「私の名は……『アリス』です」

「ああ、よろしく頼むよ。えーっと、リッチは『人の名前を覚えるのが苦手』なので、色々と紹介とかしてもらうことになると思うけれど……」

「とりあえずリッチ様を発見したらドッペルさんのもとに連れて行く手筈になっていますので、これから会う人はドッペルさんです」

「わかった」

「リッチ様」

 先導するように進んでいたアリスが、肩越しに振り返る。
 ……月の光を受けて透き通るような人の浮かべる優しい微笑みに、彼は思わず、今はもうない心臓が鼓動を高めたように錯覚した。

「また、よろしくお願いしますね」

 国家を追放された死霊術師は、こうして魔王領へ……『夜の国』へと踏み入る。

 彼の物語はこうして、幕を開けた。

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