勇者パーティーを追い出された死霊魔術師はリッチになって魔王軍で大好きな研究ライフを送る

稲荷竜

121話 準備完了回

「先生、降霊術の最適化についてなんですが……」

「先生、レイレイの魂についてですけど……」

 白を基調とした色調の、壁に沿うように整然と道具棚の並んだ、いくつもの机をくっつけて一つの長机にしている部屋━━

 ここは隠れ里に建てられたリッチ研究室であった。

 なぜ隠れ里にあるのかというと、基本的には死霊術を研究する場所なので、人目につくと誤解を受けることもやるので、女王ランツァが配慮した結果の土地選定なのだった。

 その後には偽死霊術騒動があったり、『死の即位式』だの『死の戴冠式』だの呼ばれるものがあったり、ますます人目にさらしちゃいけない感じになってきたので、あたり一帯にはもうリッチたちしかいない。

 ともあれここにいるのは死霊術の深奥にいたらんとするともがらたちであり、全員がすでにいっぱしの研究者としてそれぞれのテーマを持って日夜研究をしている。

 リッチはたしかにこの研究室のおさではあるのだが、正式な肩書きは『室長』であり、『先生』と呼ばれるのは実のところ間違った呼称なのだが……

 研究員たちは幼いころからリッチの生徒をやっている者たちのみであり、そのころの慣習から全員がリッチのことを『先生』と呼んでいるのだった。

 研究員たちはテーブルで『人体』をこねていくリッチの左右から別々な話をする。

 リッチの右に立つのはクリムゾン (クリムゾンではない)であり、こちらは主に降霊術最適化に関する報告をしているところだった。

 左に立つのはビリジアン (ビリジアンではない)であり、こっちはレイレイの魂にまつわる研究……二重人格者の魂にかんする研究の報告をしているところだ。

 研究室の面々がカラフルなことを利用して体毛色で呼びかけるのが、この研究室の特徴だった。

 さすがにリッチも研究員たちの名前ぐらい覚え…………覚えている? のだけれど、もはや慣例化していて、今では名前で呼ぶ方が違和感があるぐらいだ。

 研究員たちも増員がないし、みんな研究室の外の世界とかかわりが全然ないので、今では名前で呼びかけられると一瞬自分が呼ばれているとは気付かないほどなのであった。

 獣人の少年少女からの報告をいくつか同時に聞きながら、自分も自分でテーブルの上に広げた紙にペンで理論を書いていきながら、応答していく。

 この研究室はこのようなマルチタスクを『できて当然』みたいにやっているので、今さら誰もおどろかないし、気もつかわない。

「ふむ、死霊術はやっぱり『重さ』に干渉するものだね。引力、斥力……そちらのアプローチで降霊術の負担も軽減できるだろう。レイラについてはレイレイの魂を抜いたあとまだ目覚めないのか。魂はあるのに、興味深いね。こちらももっと死霊術的観点によらないアプローチが必要だろう」

「ところで先生はなにをやってるんですか?」

 真っ赤な体毛色に赤い瞳の少女……クリムゾンがリッチの手元をのぞきこむ。

 かつて活発な印象の女の子だった彼女は、今では髪はぼさぼさ、目の下にはクマが標準装備、猫背気味であり、さらにいつも着ているせいでヨレヨレの白衣のポケットは色んなものが詰まっていてデコボコしていた。

 研究員たちにポケットつき衣類を渡すとたいてい限界許容量を超えて物を入れ始めるので、全員のポケットがそれぞれパンパンでありデコボコなのだ。

 知らない者には無秩序なポケット使いに見えるのだが、本人たちの中では左右のポケットそれぞれに厳格な収納物ルールがあり、クリムゾンなんかは左ポケットに雑多な物を入れるが、右ポケットにはお菓子しか入れない。

 そのお菓子はクリムゾンにとって『食事』であり、糖分だけをとりながらまともなものは食べず何日でも研究に没頭する姿は、親御さんが見たら『ちゃんと食べて寝なさい』と言いたくなる有様であったし、実際に言われている。

 しかしクリムゾンもすっかり研究室に『染まって』いるので、すでに十代中盤という年齢もあり、最近では親の口うるささに辟易し、親元に顔を出すモチベーションもなく、ますます研究室に入り浸る……という悪循環の中にいるのだった。

 リッチはクリムゾンの疑問に答える前に数秒、沈黙する。

 それは返答に窮しているというよりも、端的に説明する言葉を探している様子だった。

 昔のリッチならとりとめもなくダラダラと話し始めたのだが、最近はコミュニケーション能力が育って来ているので、まずは主題を定めて見出し的な言葉を探す傾向があった。

「これは『魔王の殺し方』だね」

「魔王の?」

「うん。まあ、まだ魔王に死霊術を向けたことはないのだけれど、エルフと同じようなものだと仮定している。つまり……一体に死霊術を向けたら死ぬのはその一体のみで、全体を一度に殺すことはできない━━という仮説だね」

 魔王は増えるし、増えた魔王全員を殺し尽くさないと、生き延びてまた増える。

 単純な戦闘能力で言えば、おそらく弱い。

 もちろん一般の人が倒せる程度ではなかろうが、たぶん一対一なら勇者でも倒せる相手だ。

 あれのもっとも厄介なところは増殖能力であり、人の社会に溶け込む力なのだ。

「まあ、だから『全員を殺す』ために、ランツァやエルフが魔王の居場所を内偵しているところだったのだけれど……その方法で全員を殺し尽くせるとは思えないんだよね。だから、一網打尽にする方法をこっちでも考えておこうとは思っていたんだけど……」

「作戦決行まであと七日? 六日? でしたっけ? 今になって始めるんですか?」

「第一に『降霊術』の研究で忙しかった。第二にこの研究はぶっつけ本番でやるしかないもので、早い段階から準備していても実験ができなかった。エルフで試すわけにもいかないしね」

 エルフはとても便利な存在なのだ。

 愛着があったりとかそういうわけではないのだが、ランツァのこれからの治世にはたぶん必要になるし、生命体として希少なのもあり、いたずらに殺したくはない。

「第三に、最近のリッチは政治的、というのか……研究以外の仕事が多かったものだから、時間的余裕がなかったし」

「ああ……研究者を政治利用するところありますからね、ランツァ」

 クリムゾンとランツァはライバル関係……というほどでもなく、なにをやっても優秀なランツァにクリムゾンが一方的にライバル意識を燃やしている感じの関係性だ。

 この二人の関係はランツァの対応が大人なこともあって険悪というわけではなく、仲良くケンカしている、というか……
 クリムゾンの対抗心が全然相手にもされてない、みたいな感じだ。

 なのでクリムゾンがランツァについて語る時にはじゃっかんの棘がある。
 嫌ってはいないようなのだが悪く言うという、リッチには理解が難しい関係性なのだ。

「まあ、そういうわけでようやく腰を落ち着けられたので、かねてからの懸案事項を潰してみるか、みたいなところで、こうして理論をまとめていたという感じだね」

「なるほど。確かにエルフとかも面白いですよね。魂はそれぞれにあるのにリーダー以外はあまり自我がないというか……あれも憑依術の一種なのかもしれません」

「ふむ? どういう意味かな?」

「同じ種族のあいだで経路みたいなものがつながってて、そのあいだだと距離や時間といった制約がなく記憶と魂を移動できる、みたいな」

「……なるほど。リッチはあれを『無限に分裂できる一つの命』と認識していたけれど、『たくさんの命が魂と記憶のやりとりをしている』という見方もあるか」

「ええ、まあ、雑感ですけど」

「たしかに死霊術的な見方をするなら、命は『肉体』『精神』『魂』『記憶』で構成されている……『魂』と『記憶』まで同一なのであれば、それは一個の命という見方も可能だ。なるほど、なるほど。君の着眼点は面白い。そうなると……ああ! なるほど!」

「なにかブレイクスルーがありました?」

「いや。ブレイクスルーどころじゃない。おそらく完成だ。……なんということだ。今までのリッチは凝り固まっていた。『死のささやき』において魂を抜き出すことばかりを『殺す』と呼称していたけれど、命とは魂の比重ばかりが大きいわけではないんだよ。魔王全部を一個の生命とするならば、その根幹を成す要素は……」

 ぶつぶつつぶやきながら、リッチは紙にどんどん書き込んでいく。

 研究員たちはリッチが集中モードに入ったのを見て、それぞれのテーマへと戻っていく。

 研究室はマルチタスクができて当たり前みたいな空間ではあるのだが、こうして『没頭状態』に入った人には話しかけないという暗黙のルールもあるのだった。

 しばらくして、リッチのもとから響いていた『カリカリ』という文字を書く音が止まる。

 そうして自分の書いたものを持ち上げ、しげしげとながめて、リッチはつぶやく。

「━━完成だ。魔王を倒す準備は、これで整った」



 一方そのころ━━

 王城・謁見の間でランツァが採決が必要な書類に景気良く玉璽ぎょくじを押していると、大きな扉の片隅に設置された小さな扉が開き、そこからエルフが現れる。

「女王陛下、こちらの領地に根を下ろした魔王のコミュニティの内偵が終了しました。ほとんどの『魔王』の居所がこれで判明したと言えます」

 ドアを閉めるなりそう報告するエルフは、どことなく達成感のある表情をしていた。
 黒色とがり耳の中性的なこの存在は、本来、なかなか感情を顔に表すことがない。
 それは情緒が未発達だったからなのだが……ランツァのもとで仕事をこなすうちに、だいぶ精神が育っているのだった。

 それにしてもここまでの内心をあらわにするのは珍しい。

 それはエルフがよほどの大仕事を終えたことを意味していた。

 ランツァもまた安堵の息をついてから、

「……こちらも、『例の商会』……魔王の手にある商会の経済的影響力を除く下準備はできているわ。食糧自給を人族の手に取り戻す━━これは、人族が絶対に達成すべき悲願だもの」

 もっとも、多くの者は食糧生産が魔族の手にあるとは気付いてさえいないだろうが……

 ランツァは立ち上がり、エルフに告げる。

「決行まであと少し。さあ、いよいよ魔王を倒しましょう」



 魔王城。

 大陸東に位置するその場所には雲に閉ざされた暗い大地があり、そこには不気味な古城がそびえ立っている。

 がらんどうのような玉座の間には大きすぎる椅子に腰掛けた褐色の少女がおり、白い髪の生えた頭の左右には、大きな角が生えていた。

 少女は楽しい夢でも見ているように、目を閉じ、かすかにうなずくような動作をしたり、たまに微笑んだりしていた。

「っていうかさ、『陰謀』の年季が違うんだよね」

 誰もいない空間で一人つぶやく。

 くすくすと笑い、

「いいじゃん、やろうか」



 大陸中央━━

 人族の領地と魔王の領地のあいだにある広大な荒地をさまよう一団があった。

 人に数倍するサイズの、ヒトガタの生き物の群れだ。
 ただしその表面は柔らかな皮膚ではなく、岩肌のようにゴツゴツしたものだった。

 その一団は地響きを鳴らしながら猛進しながら、叫ぶ。

「『魔王領に帰れ』と言われ放り出されたけれど……帰り道がわからない!!!!!」

 巨人将軍レイラにくっついて人類領に来たはいいものの、リッチに殺され、蘇生されたあと放逐され……

 帰り道がわからない。

 特に遮蔽物も障害物もないだだっぴろい平野ではあるのだが、その集団は勢いだけで生きているので、気になることがあるたび方向転換し、自分たちが最初どの方向に進んでいたのかすっかり見失っていたのだった。

 たまに人類軍がいるので踏み荒らしたりもしているのだが、どうにも大きな音がするたび音の方向に向かうせいで進路を見失い続け、レイラがロザリーをぶん殴りに行こうとしていたあの時から迷い続けていた。

 巨人たちは無事に帰ることができるのか━━

 さまざまな思惑が交差し、世界が揺れていく……

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