勇者パーティーを追い出された死霊魔術師はリッチになって魔王軍で大好きな研究ライフを送る
81話 聖女に必要なもの回
「女王出てこーい!」
「東門の『死の軍勢』をどうにかしろー!」
「あんなものがいたんじゃ怖くて眠れねーよ!」
「あの連中、気に入らないことがあるとすぐに人殺しをするんだぞー!」
「女王として国民を守れー!」
王都、城門前━━
ランツァがエルフと会話をしているころのことだ。
いつも王族が謁見の時に出てくるバルコニーに、王都の民たちが詰め寄っているところだった。
知っての通り政権放送などは空に映像を投影する技術を用いて行われるのだが、その映像の『生』の現場こそが王城のバルコニーである。
王族人気は高かったので、『生王族を見よう』とバルコニーに人が押し寄せることも少なくはなかったのだが……
今の人の詰めかけかたは、ランツァがよく政権放送をやらされていた十二歳当時でも考えられないほど多く、異様な熱気を帯びていた。
暴徒とでも呼ぶべき、人の群れ……
そこに、
「━━ともがらよ」
……そこに響いた声はあまりにも静かで、集った群衆のざわめきにかき消されてしまうほどささやかだった。
にもかかわらず群衆たちはその静かな女性の声をはっきりと耳にし、王城の壁の上、バルコニーに向けていた視線を下ろして、声の出どころを探り始めた。
そして、群衆のうちいくらかは、聖女の姿を発見する。
「あ、お、おい! あれ、見ろよ! 聖女様が━━聖女様が……聖女様が……」
聖女様が〇〇してる! と言いたかったのだが、群衆の多くは聖女がしていることを表すための言葉を持ち合わせなかった。
聖女ロザリーは高い場所に立ち、祈るように手をこまねいている。
ただ、その立っている『高い場所』というのが、なんとも表現しがたいものだったのだ。
強いて言えば━━人。
もっと強そうに言えば、筋肉。
聖女ロザリーは側近たる昼神教信者を四つん這いにし、その上にさらに四つん這いになった人を乗せ、さらにその上にまた四つん這いになった人を乗せ……というものの上に立っていた。
それは筋肉を柱とした、人でできた塔……筋人塔とでも呼ぶべきモノであった。
その頂点に立ったロザリーは、揺れやすく不安定な足場なのにおそるべき体幹の強さでまったく姿も声もぶれさせず、さらに言葉を重ねた。
「ともがらよ、お聞きなさい。女王ランツァはあなたたちを見捨てたわけではなく、東門外にいる死の軍勢に対し、なにもしていないわけではないのです」
人の上に立つ者(物理)の唐突な出現に面食らって勢いを削がれていた人々は、その発言で、勢いを取り戻す。
「王城なんていう安全な場所に閉じこもっている女王が、いったいなにをしてくれてるって言うんだ!?」
「そうだそうだ! 俺たちは死の危機にさらされてるのに、女王は安全な場所にいるじゃないか!」
群衆はわめく。
聖女ロザリーはこれを一切止めず、それどころか穏やかな笑みをたたえたまま一方的に言葉を受け続け、時には肯定するようにうなずいてさえ見せた。
その様子に人々は次第に勢いを削がれていく。
筋人塔の上に立っているのはたしかに異様だが……
ロザリーという女性の、美しく、簡単に手折られそうにも見える儚げな様子は、強い言葉を一方的に浴びせかける者に罪の意識を覚えさせるのに充分な効果を発揮したのだ。
また、大きな声を出し続けて冷静になった人の中には、あの大人しく可憐で儚い印象の女性が、その気になれば瞬きの間にこの場にいる全員を素手で皆殺しにできる事実を思い出して正気度喪失3/1d10。
群衆の言葉がやんだタイミングで、ロザリーは再び口を開いた。
「この中で、日々、礼拝を欠かしていない者、その場にしゃがみなさい」
なんだ、なんだ? と顔を見合わせたあと、とりあえず群衆の中でも比較的いい体をした数十名がその場にしゃがみ込んだ。
ロザリーはにこりと笑い、
「立っている中で、一度でも武器をとって敵に立ち向かい、聖戦に参加したことのある者、しゃがみなさい」
さらに数十名がしゃがみこむと、群衆たちの中で立っている者は全体の三分の二ほどになった。
ロザリーは立っている者たちに向けて微笑み、
「この中で神殿が主導する礼拝運動に一度でも参加したことのある者、しゃがみなさい」
今度は先ほどまでより多くの者がしゃがみこんだ。
立っている者はついに数十名ほどになり、少数派となった彼らは居心地悪そうに同じように立っている者や、すでにしゃがんだ者を見回す。
ロザリーはさらに、言う。
「今、立っている中で、神殿に行かずとも個人で、一度でも体力の限界まで礼拝したことのある者、しゃがみなさい」
すると数名がしゃがみこみ、おおよそ二十名ほどが立ったまま残された。
ロザリーは立っている者を順番に見回して、
「さて。礼拝もせず、戦いもせず、一度たりとも限界に挑んだことのない者たちよ。━━あなたたちの筋肉を試します」
瞬間、聖女の姿は筋人塔の上から消えた。
次にロザリーが出現したのは立っている者の目の前であった。
そばでしゃがんでいた者の頭部に着地したロザリーは、重さをまったく感じさせない足取りで柔らかくしゃがんでいる者の頭部を踏みながら、握り拳を立っている者へと打ち込んだ。
立っていた者は「う」とうめきながら腹部を押さえてくずおれる。
また瞬きをする間にロザリーが移動し、立っている者の腹筋の確認作業を行っていった。
その結果、対応できた者も、立ったまま耐えきれた者も、一人もいなかった。
ロザリーは筋人塔にジャンプしてのぼると、言う。
「あなたたちの体に筋肉は宿っていなかった。……さて、女王ランツァが死の軍勢に対しなにを行っているのか、あなたたちに教えましょう。女王ランツァは━━筋トレをしているのです。神を戴く国の元首として、この危機を前に、神に祈っているのですよ」
※今は別に祈ってません。
「い、祈ってるだけで、なにが、変わるんだ」
腹パンされたうち一人が、口からよだれをこぼしながらも、弱々しい声音で反論めいたことを言う。
その時に空気が冷えたのは、ロザリーのことを詳しく知っている者がいくらか群衆に含まれていたからである。
ロザリーは『世界がフレッシュゴーレムという脅威にさらされ、人類がその数を減らしてしまったので、信仰の質を上げるために強度の高い筋トレを山籠りしてやってた。その礼拝が神に届き、世界は救われた』というロジックの世界に生きている者である。
ロザリーはにっこり笑って、腹パンにえづく者を見下ろす。
「今の筋肉確認は、女王ランツァであれば耐えられる程度のものです」
昼神教とかいう筋肉集団に『正しい礼拝を毎日やれ』と強要されているランツァは、現段階でそこそこの肉体を手に入れていたのだった。
「祈りはあなたの肉体を変えます。祈りはあなたに力を与えます。力がその身にあるならば、みっともなく他者に解決を求めるようなことはせずとも、己の身に宿る筋肉を頼りに、恐怖をうち払えるでしょう。あなたの恐怖心は、信仰の不足によるものです」
「きょ、恐怖がなくたって、解決はしないじゃないか……王族は俺たちの血税で生きてるんだから、解決するのが、仕事、だろ……!」
周囲の群衆がちょっとだけ『あいつ、勇気あるな』という目になった。
ロザリーは相変わらずニコニコしている。
「王族の仕事は我らの救済ではありません。人類の救済は神のなさることです」
「じゃあ、なんのために王族なんているんだよ!」
「率先して礼拝をし、人々に神との付き合い方の手本を示すために存在します」
「…………」
「あなたたちの血税はすべて、筋肉になるのです」
もうここらへんで人々は例外なくきょとんとしている。
ロザリーは全然気にしたふうもなく、話を続けた。
「『祈っているだけでなにが変わるのか?』……なるほど、これを問う者はあまりに多い。けれどわたくしはこう答えましょう。『あなたたちはすでに、祈りの果ての「善い暮らし」の中におり、その善さの中にあるせいで、善さに気付けないのだ』と」
ロザリーが、筋人塔を一段一段降りていく。
「筋肉のない暮らしが想像できますか?」
誰もが想像できなかったので、誰もなにも答えられない。
「もしも人に筋肉なかりせば、すでに我らは魔族との戦争で滅びていたでしょう。もしも人に筋肉なかりせば、日々の糧さえも食卓に並ばないでしょう。━━人は、筋肉なしには、一歩たりとも前へ進めないのです」
誰も━━
誰も、反論できなかった。
だって、たしかにそうだから……
ロザリーが筋人塔を降りきると、その視線の先にいた群衆が横へと避けていく。
仕込みがあったわけではない。
人はその場の支配者であるロザリーの意図を自然と察し、左右に分かれたのだ。
ロザリーは人の空けた道をゆっくり歩みながら、
「我らの今いる地面は、多くの先人の筋肉でできている」
踏みしめるのは、石畳。
王都の舗装された道━━筋肉により固められた、都市の大腿筋。
「わかりますよ。歯痒いのでしょう? 東門の外に布陣する神敵に対し、なにもできぬ時間が。わかりますとも。うずいているのですね? あなたたちの礼拝の果てに手に入れた筋肉が」
そうかな……そうかな……そうかも……という空気が広がっていく。
ロザリーのしゃべりかたと声には不思議な説得力があり、これは多くの人を相手にした時に異常な効果を発揮する。
対アンデッドの戦線において実力と姿以上に効果を発揮し、兵を奮起させたのが、この声だった。
「あなたたちは、迷っているのです。礼拝によって得た肉体……その力を……他者を傷つけてしまうかもしれない恐るべき力を発揮していいのか。優しい人々よ。筋肉の中で育ったあなたたちは、筋肉の強さと、他者をいたずらに傷つけることへの忌避感を、生まれつき持っているのです」
ロザリーが通り過ぎたところの道が閉じ、道を形成していた人々がロザリーの背に続く。
それはロザリーが小さな声でささやくようにしゃべるから、話を聞くためにそうしているだけなのだが……
動機はともかく、それは、ロザリーを先頭にした、長い長い列として形成されていく。
その列を成す人々に向けて、ロザリーは言う。
「いいですよ」
距離に関係なく、耳元でささやかれているように感じるような、特殊な声だった。
「あなたたちが鍛え上げた筋肉によって暴力を振るうことを、神は赦すでしょう。━━これは聖戦なのです。我らの命を守るために筋肉を振るうことを、神はお赦しになるでしょう」
人々のあいだにざわめきが広がる。
ロザリーは足を止めて人々を振り返り、
「誰かを思い切り殴ったことのある者、この中にいますか?」
思い切り━━という言葉に、兵役経験のある者さえもが、返事をためらった。
敵を剣で斬ったり、槍で突いたり、矢で射ることはある。
けれど戦場において『殴った』ことは、そういえばなかった。
ロザリーはすっと右腕を上に掲げると、
「みな、拳を握りなさい」
拳を固める。
群衆は戸惑いつつも、その動きにならった。
「拳を腰につけなさい」
ロザリーがするようにする。
「あとはこれを、前に突き出すだけです。ただ、目標となる者まで、まだ距離がありますね。では、行きますか」
ロザリーは再び群衆に背を向け、歩いていく。
人々は拳を腰だめに構えたまま、その背についていく。
……あまりにも静かに、けれど、整然と。
こうして王城に詰めかけた群衆は、ロザリーに率いられて東門方向へと進撃していく。
この異様な集団を冷静な人々が遠巻きにながめて首をかしげ、集団を形成する人々さえ『自分たちはいったい、なにをしているんだろう』という顔をする者もあったが……
誰も、列から離れない。
なぜか、離れることができない。
━━勇者パーティーを形成していたはみ出し者たち。
その中で、勇者の死後も唯一人族社会で活躍を続ける『聖女』の、説明できない不可思議な力。
声音、視線、動きによって『人々を一つにする』恐るべき力が、死の軍勢にゆっくりと向かって行った。
「東門の『死の軍勢』をどうにかしろー!」
「あんなものがいたんじゃ怖くて眠れねーよ!」
「あの連中、気に入らないことがあるとすぐに人殺しをするんだぞー!」
「女王として国民を守れー!」
王都、城門前━━
ランツァがエルフと会話をしているころのことだ。
いつも王族が謁見の時に出てくるバルコニーに、王都の民たちが詰め寄っているところだった。
知っての通り政権放送などは空に映像を投影する技術を用いて行われるのだが、その映像の『生』の現場こそが王城のバルコニーである。
王族人気は高かったので、『生王族を見よう』とバルコニーに人が押し寄せることも少なくはなかったのだが……
今の人の詰めかけかたは、ランツァがよく政権放送をやらされていた十二歳当時でも考えられないほど多く、異様な熱気を帯びていた。
暴徒とでも呼ぶべき、人の群れ……
そこに、
「━━ともがらよ」
……そこに響いた声はあまりにも静かで、集った群衆のざわめきにかき消されてしまうほどささやかだった。
にもかかわらず群衆たちはその静かな女性の声をはっきりと耳にし、王城の壁の上、バルコニーに向けていた視線を下ろして、声の出どころを探り始めた。
そして、群衆のうちいくらかは、聖女の姿を発見する。
「あ、お、おい! あれ、見ろよ! 聖女様が━━聖女様が……聖女様が……」
聖女様が〇〇してる! と言いたかったのだが、群衆の多くは聖女がしていることを表すための言葉を持ち合わせなかった。
聖女ロザリーは高い場所に立ち、祈るように手をこまねいている。
ただ、その立っている『高い場所』というのが、なんとも表現しがたいものだったのだ。
強いて言えば━━人。
もっと強そうに言えば、筋肉。
聖女ロザリーは側近たる昼神教信者を四つん這いにし、その上にさらに四つん這いになった人を乗せ、さらにその上にまた四つん這いになった人を乗せ……というものの上に立っていた。
それは筋肉を柱とした、人でできた塔……筋人塔とでも呼ぶべきモノであった。
その頂点に立ったロザリーは、揺れやすく不安定な足場なのにおそるべき体幹の強さでまったく姿も声もぶれさせず、さらに言葉を重ねた。
「ともがらよ、お聞きなさい。女王ランツァはあなたたちを見捨てたわけではなく、東門外にいる死の軍勢に対し、なにもしていないわけではないのです」
人の上に立つ者(物理)の唐突な出現に面食らって勢いを削がれていた人々は、その発言で、勢いを取り戻す。
「王城なんていう安全な場所に閉じこもっている女王が、いったいなにをしてくれてるって言うんだ!?」
「そうだそうだ! 俺たちは死の危機にさらされてるのに、女王は安全な場所にいるじゃないか!」
群衆はわめく。
聖女ロザリーはこれを一切止めず、それどころか穏やかな笑みをたたえたまま一方的に言葉を受け続け、時には肯定するようにうなずいてさえ見せた。
その様子に人々は次第に勢いを削がれていく。
筋人塔の上に立っているのはたしかに異様だが……
ロザリーという女性の、美しく、簡単に手折られそうにも見える儚げな様子は、強い言葉を一方的に浴びせかける者に罪の意識を覚えさせるのに充分な効果を発揮したのだ。
また、大きな声を出し続けて冷静になった人の中には、あの大人しく可憐で儚い印象の女性が、その気になれば瞬きの間にこの場にいる全員を素手で皆殺しにできる事実を思い出して正気度喪失3/1d10。
群衆の言葉がやんだタイミングで、ロザリーは再び口を開いた。
「この中で、日々、礼拝を欠かしていない者、その場にしゃがみなさい」
なんだ、なんだ? と顔を見合わせたあと、とりあえず群衆の中でも比較的いい体をした数十名がその場にしゃがみ込んだ。
ロザリーはにこりと笑い、
「立っている中で、一度でも武器をとって敵に立ち向かい、聖戦に参加したことのある者、しゃがみなさい」
さらに数十名がしゃがみこむと、群衆たちの中で立っている者は全体の三分の二ほどになった。
ロザリーは立っている者たちに向けて微笑み、
「この中で神殿が主導する礼拝運動に一度でも参加したことのある者、しゃがみなさい」
今度は先ほどまでより多くの者がしゃがみこんだ。
立っている者はついに数十名ほどになり、少数派となった彼らは居心地悪そうに同じように立っている者や、すでにしゃがんだ者を見回す。
ロザリーはさらに、言う。
「今、立っている中で、神殿に行かずとも個人で、一度でも体力の限界まで礼拝したことのある者、しゃがみなさい」
すると数名がしゃがみこみ、おおよそ二十名ほどが立ったまま残された。
ロザリーは立っている者を順番に見回して、
「さて。礼拝もせず、戦いもせず、一度たりとも限界に挑んだことのない者たちよ。━━あなたたちの筋肉を試します」
瞬間、聖女の姿は筋人塔の上から消えた。
次にロザリーが出現したのは立っている者の目の前であった。
そばでしゃがんでいた者の頭部に着地したロザリーは、重さをまったく感じさせない足取りで柔らかくしゃがんでいる者の頭部を踏みながら、握り拳を立っている者へと打ち込んだ。
立っていた者は「う」とうめきながら腹部を押さえてくずおれる。
また瞬きをする間にロザリーが移動し、立っている者の腹筋の確認作業を行っていった。
その結果、対応できた者も、立ったまま耐えきれた者も、一人もいなかった。
ロザリーは筋人塔にジャンプしてのぼると、言う。
「あなたたちの体に筋肉は宿っていなかった。……さて、女王ランツァが死の軍勢に対しなにを行っているのか、あなたたちに教えましょう。女王ランツァは━━筋トレをしているのです。神を戴く国の元首として、この危機を前に、神に祈っているのですよ」
※今は別に祈ってません。
「い、祈ってるだけで、なにが、変わるんだ」
腹パンされたうち一人が、口からよだれをこぼしながらも、弱々しい声音で反論めいたことを言う。
その時に空気が冷えたのは、ロザリーのことを詳しく知っている者がいくらか群衆に含まれていたからである。
ロザリーは『世界がフレッシュゴーレムという脅威にさらされ、人類がその数を減らしてしまったので、信仰の質を上げるために強度の高い筋トレを山籠りしてやってた。その礼拝が神に届き、世界は救われた』というロジックの世界に生きている者である。
ロザリーはにっこり笑って、腹パンにえづく者を見下ろす。
「今の筋肉確認は、女王ランツァであれば耐えられる程度のものです」
昼神教とかいう筋肉集団に『正しい礼拝を毎日やれ』と強要されているランツァは、現段階でそこそこの肉体を手に入れていたのだった。
「祈りはあなたの肉体を変えます。祈りはあなたに力を与えます。力がその身にあるならば、みっともなく他者に解決を求めるようなことはせずとも、己の身に宿る筋肉を頼りに、恐怖をうち払えるでしょう。あなたの恐怖心は、信仰の不足によるものです」
「きょ、恐怖がなくたって、解決はしないじゃないか……王族は俺たちの血税で生きてるんだから、解決するのが、仕事、だろ……!」
周囲の群衆がちょっとだけ『あいつ、勇気あるな』という目になった。
ロザリーは相変わらずニコニコしている。
「王族の仕事は我らの救済ではありません。人類の救済は神のなさることです」
「じゃあ、なんのために王族なんているんだよ!」
「率先して礼拝をし、人々に神との付き合い方の手本を示すために存在します」
「…………」
「あなたたちの血税はすべて、筋肉になるのです」
もうここらへんで人々は例外なくきょとんとしている。
ロザリーは全然気にしたふうもなく、話を続けた。
「『祈っているだけでなにが変わるのか?』……なるほど、これを問う者はあまりに多い。けれどわたくしはこう答えましょう。『あなたたちはすでに、祈りの果ての「善い暮らし」の中におり、その善さの中にあるせいで、善さに気付けないのだ』と」
ロザリーが、筋人塔を一段一段降りていく。
「筋肉のない暮らしが想像できますか?」
誰もが想像できなかったので、誰もなにも答えられない。
「もしも人に筋肉なかりせば、すでに我らは魔族との戦争で滅びていたでしょう。もしも人に筋肉なかりせば、日々の糧さえも食卓に並ばないでしょう。━━人は、筋肉なしには、一歩たりとも前へ進めないのです」
誰も━━
誰も、反論できなかった。
だって、たしかにそうだから……
ロザリーが筋人塔を降りきると、その視線の先にいた群衆が横へと避けていく。
仕込みがあったわけではない。
人はその場の支配者であるロザリーの意図を自然と察し、左右に分かれたのだ。
ロザリーは人の空けた道をゆっくり歩みながら、
「我らの今いる地面は、多くの先人の筋肉でできている」
踏みしめるのは、石畳。
王都の舗装された道━━筋肉により固められた、都市の大腿筋。
「わかりますよ。歯痒いのでしょう? 東門の外に布陣する神敵に対し、なにもできぬ時間が。わかりますとも。うずいているのですね? あなたたちの礼拝の果てに手に入れた筋肉が」
そうかな……そうかな……そうかも……という空気が広がっていく。
ロザリーのしゃべりかたと声には不思議な説得力があり、これは多くの人を相手にした時に異常な効果を発揮する。
対アンデッドの戦線において実力と姿以上に効果を発揮し、兵を奮起させたのが、この声だった。
「あなたたちは、迷っているのです。礼拝によって得た肉体……その力を……他者を傷つけてしまうかもしれない恐るべき力を発揮していいのか。優しい人々よ。筋肉の中で育ったあなたたちは、筋肉の強さと、他者をいたずらに傷つけることへの忌避感を、生まれつき持っているのです」
ロザリーが通り過ぎたところの道が閉じ、道を形成していた人々がロザリーの背に続く。
それはロザリーが小さな声でささやくようにしゃべるから、話を聞くためにそうしているだけなのだが……
動機はともかく、それは、ロザリーを先頭にした、長い長い列として形成されていく。
その列を成す人々に向けて、ロザリーは言う。
「いいですよ」
距離に関係なく、耳元でささやかれているように感じるような、特殊な声だった。
「あなたたちが鍛え上げた筋肉によって暴力を振るうことを、神は赦すでしょう。━━これは聖戦なのです。我らの命を守るために筋肉を振るうことを、神はお赦しになるでしょう」
人々のあいだにざわめきが広がる。
ロザリーは足を止めて人々を振り返り、
「誰かを思い切り殴ったことのある者、この中にいますか?」
思い切り━━という言葉に、兵役経験のある者さえもが、返事をためらった。
敵を剣で斬ったり、槍で突いたり、矢で射ることはある。
けれど戦場において『殴った』ことは、そういえばなかった。
ロザリーはすっと右腕を上に掲げると、
「みな、拳を握りなさい」
拳を固める。
群衆は戸惑いつつも、その動きにならった。
「拳を腰につけなさい」
ロザリーがするようにする。
「あとはこれを、前に突き出すだけです。ただ、目標となる者まで、まだ距離がありますね。では、行きますか」
ロザリーは再び群衆に背を向け、歩いていく。
人々は拳を腰だめに構えたまま、その背についていく。
……あまりにも静かに、けれど、整然と。
こうして王城に詰めかけた群衆は、ロザリーに率いられて東門方向へと進撃していく。
この異様な集団を冷静な人々が遠巻きにながめて首をかしげ、集団を形成する人々さえ『自分たちはいったい、なにをしているんだろう』という顔をする者もあったが……
誰も、列から離れない。
なぜか、離れることができない。
━━勇者パーティーを形成していたはみ出し者たち。
その中で、勇者の死後も唯一人族社会で活躍を続ける『聖女』の、説明できない不可思議な力。
声音、視線、動きによって『人々を一つにする』恐るべき力が、死の軍勢にゆっくりと向かって行った。
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