羽柴弁護士の愛はいろいろと重すぎるので返品したい。
12章:外堀の埋まる音がする(1)
あれから夢の中でも先輩が出てきて、先輩がいない日々だというのに、毎晩ウンウンうなされている。そのせいか、先輩がいないときも抱きしめられてるみたいな感覚だけがいつも残っていた。
「って、生霊か!」
朝、私がそう叫んでガバリと起き上がると、部屋のドアから父が心配そうに顔を出した。
「何叫んでんの……。大丈夫?」
「お、お父さん。ごめん」
「ご飯できてるよ」
父はにこりと笑った。最近忙しくしているのに疲れた様子も見せずにいつも優しい父はすごいと思う。
父は生活安全課に所属していると聞いているが、忙しくて一週間くらいほとんど帰ってこないこともあるのだ。ただ、いくら忙しくても、私が起きて家を出るまでの朝の時間だけはわざわざ帰ってきてくれている、ということを私はいつも感じている。
「……ありがと」
私が言うと、父はまたにこりと笑って、早く着替えてリビング来なよ、と言う。ちょっと頼りないけど優しい父といると安心する。
でも先輩といると、ドキドキしてばかりで落ち着かないし、まったく平穏ではない。
そんな人と結婚なんて……。先輩はいつもそういう事言うけど、やっぱり本気なのかな。
―――みゆのことは絶対に離さない。それでも、もし、みゆが俺から離れようとするなら、みゆの意見なんて全部無視して、結婚も、子どもも、こっちのペースで無理やり進めるよ。
怒った時の先輩の声を思い出すと、ゾクリと身体が冷える。あれってつまり、先輩は普段、私のペースを待ってくれてると言う事だろうか……。
待ってもらっても私は……先輩と結婚する、なんて結論をいつまでも出せないような気がする。
私がリビングに行くと、庭先にスーツの男性が一人見えた。
先輩かと思ったけど、背格好が違う。その人はどうも鯉の世話係として餌やりに来ているようだった。
私はちらりと世話係代役の男の人を見る。先輩より年上に見えたし、着ているスーツも高級そうに見える。まさか法律事務所の人じゃないだろうな……とそんなことを思って、さすがにちがうよね、と一人ごちだ。
そして、庭に立つその人がなんとなく気になってしまい、
「あの、良ければ一緒に朝食食べませんか?」
と声をかけた。
男の人は驚いたように振り向く。あ、ちょっと怖そうな顔だった。
「いえ、結構です」
「おいしいですよ、父の卵焼き。それに私はご飯炊くのはうまいんです」
コメは夜に炊飯器にセットしておくのだが、私は米を洗うのも、水加減もばっちりなのだ。これは、母が亡くなってから忙しい父に代わって自分にできることを考えた末、小学生の時から必死に練習してこつこつと上達してきたという背景がある。
それを聞いて、男の人は笑う。
「『ご飯を炊くの上手』って人、初めて聞きました」
あ、笑うと、表情柔らかくなるのね。少しほっとする。
そう思っていると、父も、どうぞ、と言って、半ば無理矢理に私たちは三人で食卓を囲った。
食事の時少し話して、その人は自分が『眞城』という名で、先輩の会社の人ではないようだった。
それ以上は話してくれなくて、ますます謎ではあるが、眞城さんはやけに礼儀正しく、米粒一つ残さず食べると
「確かに炊き方ひとつでこんなに違うものなのですね。勉強になります」
と優しく笑った。
眞城さんとの出会いなど生活には多少の変化はあったけど、大きな変化の一つはやはり先輩がいないことだ。
先輩は電話をくれたが、夜遅かったりして行き違ってしまい、少しのメールのやりとりだけで、まったく先輩とは話しもできないまま日々が過ぎた。
そして木曜日の午後、ふと、宮坂さんが私の首の後ろを指さした。
「これ、羽柴先生でしょ。今、出張中じゃないの?」
そう言われて、ふと、日曜のことを思い出す。
そういえばたくさん自分のものだと言うシルシをつけられた。もう3日も経ってるし消えてると思って油断して、少し首の開いている服を着たのは失敗した。前はしっかりチェックしたのだが……。
「まさか、まだ残ってるなんて……」
私が首元を手で隠しながら悲壮な顔で言うと、宮坂さんは自分のスカーフを貸してくれた。やはり持つべきものは宮坂さんだ。
「羽柴先生って結構粘着質よねぇ。あっさりしてるように見えて」
そして宮坂さんは続ける。「新田先生も『あの人の愛って狂気だよね』って言ってたわよ」
何ですか、それ。
そんな怖いこと言わないでほしい。ただでさえも、羽柴先輩の愛は、重い気がしているのだ。
「でも、愛が重くて押しつぶされそうになってるのかと思ってたけど、なんだか違うようね?」
宮坂さんは言う。
「え?」
「羽柴先生がいないの、寂しそうだから」
正直、先輩の出張を最初聞いたときは嬉しかった。
嬉しかったけど、4日経った今、嬉しくはない。
なんだか先輩の顔が見れないと落ち着かない。先輩の熱を思い出して、それをどう発散していいのかもわからずに、一人悶々としている。変な夢もやたら見るし……。
やっぱり生霊だろうか。お祓いとか行った方がいいのだろうか……。
「彼氏の不在が寂しいなんて、もうすっかり普通のカップルねぇ」
「そうなんですかね……。やっぱりいないといないでちょっと寂しい……のかもしれません」
これは認めるしかないのだろう。完全に毒されている気がしないではないが……。
宮坂さんは意外そうに私の顔を見る。
「あれ、今日はやけに素直ね」
「……ちょっと前まではラッキーって思ってたんですけどね。これだけ会わないの初めてだし、やっぱり離れてると違和感あると言うか……」
もしかしたら、あの金曜から日曜のサバイバルな3日間のせいかもしれない。
先輩と一緒にいると離れたくなるのに、不思議と、先輩といるのが当たり前になってきていて、先輩がいないと自分の身体の一部がないみたいに感じる。
身体が、記憶が、全部先輩を覚えてる。
ほんと、こんなこと今までなかった。自分で自分が怖い。
「じゃ、結婚する覚悟はできたの?」
そう宮坂さんは聞いてきた。
「結婚は……まだ早すぎると思うし。やっぱり恐れ多いって言うか。家系がちがいすぎるって言うか」
私は続ける。「だって先輩は昔から『特別』だし」
「まぁ、ハイスペックなのは確かだけど。でも同じでしょ? それにあっちが、いいって言ってんだからいいじゃない」
「とはいってもそんなすぐに結婚しようとは決断できないですよ」
私が言うと、宮坂さんは呆れたようにため息をついた。
「それ、ほんと贅沢な悩みよ。うじうじしている間に、春野に取られても知らないから」
「それは……」
それはいやだ。それだけはわかる。
私の今の正直な気持ちは、やっぱりただそばにいたいだけだ。
そうするのに、結婚とかそういう形は本当に必要なのだろうか。
「って、生霊か!」
朝、私がそう叫んでガバリと起き上がると、部屋のドアから父が心配そうに顔を出した。
「何叫んでんの……。大丈夫?」
「お、お父さん。ごめん」
「ご飯できてるよ」
父はにこりと笑った。最近忙しくしているのに疲れた様子も見せずにいつも優しい父はすごいと思う。
父は生活安全課に所属していると聞いているが、忙しくて一週間くらいほとんど帰ってこないこともあるのだ。ただ、いくら忙しくても、私が起きて家を出るまでの朝の時間だけはわざわざ帰ってきてくれている、ということを私はいつも感じている。
「……ありがと」
私が言うと、父はまたにこりと笑って、早く着替えてリビング来なよ、と言う。ちょっと頼りないけど優しい父といると安心する。
でも先輩といると、ドキドキしてばかりで落ち着かないし、まったく平穏ではない。
そんな人と結婚なんて……。先輩はいつもそういう事言うけど、やっぱり本気なのかな。
―――みゆのことは絶対に離さない。それでも、もし、みゆが俺から離れようとするなら、みゆの意見なんて全部無視して、結婚も、子どもも、こっちのペースで無理やり進めるよ。
怒った時の先輩の声を思い出すと、ゾクリと身体が冷える。あれってつまり、先輩は普段、私のペースを待ってくれてると言う事だろうか……。
待ってもらっても私は……先輩と結婚する、なんて結論をいつまでも出せないような気がする。
私がリビングに行くと、庭先にスーツの男性が一人見えた。
先輩かと思ったけど、背格好が違う。その人はどうも鯉の世話係として餌やりに来ているようだった。
私はちらりと世話係代役の男の人を見る。先輩より年上に見えたし、着ているスーツも高級そうに見える。まさか法律事務所の人じゃないだろうな……とそんなことを思って、さすがにちがうよね、と一人ごちだ。
そして、庭に立つその人がなんとなく気になってしまい、
「あの、良ければ一緒に朝食食べませんか?」
と声をかけた。
男の人は驚いたように振り向く。あ、ちょっと怖そうな顔だった。
「いえ、結構です」
「おいしいですよ、父の卵焼き。それに私はご飯炊くのはうまいんです」
コメは夜に炊飯器にセットしておくのだが、私は米を洗うのも、水加減もばっちりなのだ。これは、母が亡くなってから忙しい父に代わって自分にできることを考えた末、小学生の時から必死に練習してこつこつと上達してきたという背景がある。
それを聞いて、男の人は笑う。
「『ご飯を炊くの上手』って人、初めて聞きました」
あ、笑うと、表情柔らかくなるのね。少しほっとする。
そう思っていると、父も、どうぞ、と言って、半ば無理矢理に私たちは三人で食卓を囲った。
食事の時少し話して、その人は自分が『眞城』という名で、先輩の会社の人ではないようだった。
それ以上は話してくれなくて、ますます謎ではあるが、眞城さんはやけに礼儀正しく、米粒一つ残さず食べると
「確かに炊き方ひとつでこんなに違うものなのですね。勉強になります」
と優しく笑った。
眞城さんとの出会いなど生活には多少の変化はあったけど、大きな変化の一つはやはり先輩がいないことだ。
先輩は電話をくれたが、夜遅かったりして行き違ってしまい、少しのメールのやりとりだけで、まったく先輩とは話しもできないまま日々が過ぎた。
そして木曜日の午後、ふと、宮坂さんが私の首の後ろを指さした。
「これ、羽柴先生でしょ。今、出張中じゃないの?」
そう言われて、ふと、日曜のことを思い出す。
そういえばたくさん自分のものだと言うシルシをつけられた。もう3日も経ってるし消えてると思って油断して、少し首の開いている服を着たのは失敗した。前はしっかりチェックしたのだが……。
「まさか、まだ残ってるなんて……」
私が首元を手で隠しながら悲壮な顔で言うと、宮坂さんは自分のスカーフを貸してくれた。やはり持つべきものは宮坂さんだ。
「羽柴先生って結構粘着質よねぇ。あっさりしてるように見えて」
そして宮坂さんは続ける。「新田先生も『あの人の愛って狂気だよね』って言ってたわよ」
何ですか、それ。
そんな怖いこと言わないでほしい。ただでさえも、羽柴先輩の愛は、重い気がしているのだ。
「でも、愛が重くて押しつぶされそうになってるのかと思ってたけど、なんだか違うようね?」
宮坂さんは言う。
「え?」
「羽柴先生がいないの、寂しそうだから」
正直、先輩の出張を最初聞いたときは嬉しかった。
嬉しかったけど、4日経った今、嬉しくはない。
なんだか先輩の顔が見れないと落ち着かない。先輩の熱を思い出して、それをどう発散していいのかもわからずに、一人悶々としている。変な夢もやたら見るし……。
やっぱり生霊だろうか。お祓いとか行った方がいいのだろうか……。
「彼氏の不在が寂しいなんて、もうすっかり普通のカップルねぇ」
「そうなんですかね……。やっぱりいないといないでちょっと寂しい……のかもしれません」
これは認めるしかないのだろう。完全に毒されている気がしないではないが……。
宮坂さんは意外そうに私の顔を見る。
「あれ、今日はやけに素直ね」
「……ちょっと前まではラッキーって思ってたんですけどね。これだけ会わないの初めてだし、やっぱり離れてると違和感あると言うか……」
もしかしたら、あの金曜から日曜のサバイバルな3日間のせいかもしれない。
先輩と一緒にいると離れたくなるのに、不思議と、先輩といるのが当たり前になってきていて、先輩がいないと自分の身体の一部がないみたいに感じる。
身体が、記憶が、全部先輩を覚えてる。
ほんと、こんなこと今までなかった。自分で自分が怖い。
「じゃ、結婚する覚悟はできたの?」
そう宮坂さんは聞いてきた。
「結婚は……まだ早すぎると思うし。やっぱり恐れ多いって言うか。家系がちがいすぎるって言うか」
私は続ける。「だって先輩は昔から『特別』だし」
「まぁ、ハイスペックなのは確かだけど。でも同じでしょ? それにあっちが、いいって言ってんだからいいじゃない」
「とはいってもそんなすぐに結婚しようとは決断できないですよ」
私が言うと、宮坂さんは呆れたようにため息をついた。
「それ、ほんと贅沢な悩みよ。うじうじしている間に、春野に取られても知らないから」
「それは……」
それはいやだ。それだけはわかる。
私の今の正直な気持ちは、やっぱりただそばにいたいだけだ。
そうするのに、結婚とかそういう形は本当に必要なのだろうか。
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