名無しの(仮)ヒーロー

海月三五

和を以て貴しとなす 4

 
 私に将嗣との過去があるように、朝倉先生に他の女性との過去があったとしても仕方が無いこと。
 何がこんなにショックなんだろう?
 頭の中が、真っ白になってしまって、何も考えられない。目の前にいる真由美さんが、何か言っているのも、まるで音の出ない画像を眺めているような現実感の無さだ。

 真由美さん越しにベビーベッドが目に入る。
 妊娠8か月で亡くなってしまった朝倉先生の奥さんとお腹の中の赤ちゃん。もしかしたら 私と美優は ”その身代わり” ではないのか。
 そんな考えがふと過った。

 そんなバカな事を……と、思いながらもその思いを打ち消せないのは、自分に自信がないからだ。

 若くもない、美人でもない、いつもボロボロで朝倉先生に似つかわしくない。それなのに朝倉先生が自分と付き合っているのは? と、考えた時、その理由が見つからない。

 でも、亡くなった奥さんとお子さんの身代わりなら納得がいく。 
 そんなことを考えちゃダメなのに、一度その考えに辿り着いたら拭えなくなってしまった。

 あんなにも優しく慈しみ愛を注いでくれる朝倉先生を疑うような事を考えてはいけないのに……。
 優しさも慈しみも愛もすべて代わりに受けているようにさえ思えてしまう。
 
 部屋のドアが開く音が聞こえ、リビングに由佳さんと朝倉先生が戻ってきた。
 朝倉先生の顔を見た時、私は涙が出そうだったのをこらえて笑った。
 真由美さんから朝倉先生の過去を聞き出して、悪い考えに囚われているなんて言えない。
 
 由佳さんは朝倉先生と同じ優しい瞳で私を見ながら話し出した。
「めんどくさい弟だけど、見捨てないでやってね。よろしくね。夏希さん」
 
「こちらこそよろしくお願いします」
 私は返事をしたが、悪い考えに囚われ足元が崩れそうな今、これが正解の言葉かわからなかった。
 ほんの15分前までは、朝倉先生と熱いキスをしていたのに、今では、指先が氷のように冷え切っている。

 それでも精一杯の笑顔を繕い、由佳さんと真由美が帰って行くのを玄関先で見送った。
 扉が閉まると朝倉先生と私と美優の3人になると妙に緊張する。

「夏希さん、姉が急に来て悪かった。驚いたよね」

 心配そうな朝倉先生が覗き込まれて、その視線から逃れるように抱いている美優に視線を落とし、大丈夫ですと首を横に振った。

 リビングへ足早に戻り、美優を寝かせ、渡しそびれていたスパーリングワインを取り出した。
「お土産に買って来たんですけど、お口に合えば良いのですが……」

朝倉先生が、「ありがとう」と受け取り袋から取り出すと、片手を招くように上げた可愛いラベルのワインが出てきて、フッと表情が緩ませ「冷やしておこう」と冷蔵庫に向う。

私は、気まずい雰囲気から逃れられてホッと息をついた。

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