名無しの(仮)ヒーロー

海月三五

ひょうたんから駒 5


 朝倉先生の手が重なり、焦っりまくって名前を呼んだ。
「あ、朝倉先生」

「夏希さん、呼び方」
 
「……翔也……先生、あの手が……」

「手が?」
 と言って、手を重ねたまま聞き返す。
 朝倉先生は、いじわるだ。
 私が決して、朝倉先生の手を払い除けたりしない事を分かっていて、聞き返すなんて……。
 
「手が……重なっています」
 
「手を離したくないんだ」
 
 重なる手、耳に届く声、心臓が早鐘を打つ。
 視線を上げると朝倉先生の優しい瞳が私を捕らえた。
 その顔がだんだんと近づき、唇に熱を感じる。
 
 嘘みたい、朝倉先生とキスをしている。

 啄むようなキスを重ねながら、厚みのある背中を抱きしめた。
 自分の心臓がドキドキする音と息遣い、そしてリップ音が聞こえる。
 
 唇が離れ視線が絡むと朝倉先生が私の頬に手を添えて、おでことおでこをコツンと合わせた。そして、そっと囁く。
「夏希さんと美優ちゃんの事、大切に思っている」
 そんな事を言われて、ギュッと心臓が締め付けられる。

 いつもいつも迷惑ばかりかけて、朝倉先生に助けてもらってばかりで、ボロボロのこんな私を大切に思っているなんて言ってもらえるなんて、夢物語のようだ。

「朝倉先生の事、好きです」
 仕事相手として、口にしてはいけないと思っていた言葉を口にすると涙がこぼれた。
 その涙を拭うように朝倉先生のキスが落とされる。

 甘い口づけに酔いしれていると、一人遊びに飽きた美優が騒ぎ出し、ふたりで顔を見合わせて、笑みが漏れる。
 「ごめん、ごめん」と美優に声を掛けベビーサークルの前に移動すると、朝倉先生は美優を抱き合あげ「美優ちゃんは、私たちの天使だよ」と抱きしめた。
 涙が出そうなぐらいの幸せの時間を噛みしめる。
 特別な言葉を交わさなくても優しい空気に包まれていた。
 
朝倉先生が真剣な瞳を私に向け言葉を紡ぐ。

「結婚を前提として、付き合ってほしい」

 朝倉先生からの誠実さに、心が震えた。

「はい、よろしくお願いします」

 とんでもない出会いで出産に付き添ってくれた事、リテイクを出されてプロの仕事を考えさせられた事、何度もピンチを救ってくれた事を思い出す。
 朝倉先生は、いつだって私の憧れのヒーローだった。
 自分には、手の届かない人だと思って、膨れ上がる気持ちが苦しかった。
 諦めるように自分に何度も言い聞かせた。
 それが、まさか、こんな事になるなんて……。
 一生分のラッキーを使い果たしてしまったのだろうか?
と、心配になるぐらいに幸せだった。
 

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