名無しの(仮)ヒーロー

海月三五

沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり 3

 
お店の個室のドアを開けると編集と思しき人が既に到着していた。
 
「あの谷野夏希と申します。この度は、お声掛け頂きありがとうございました」
 
「あ、谷野さん。先生もうすぐ来るって、座って!」
 
 形ばかりに名刺を交換して席に着き、作家先生より先に飲むわけにもいかず、お冷やを口にする。
 すると個室の扉が開き、背の高い男性が入ってきた。
 鬼リテイクの作家先生 朝倉翔也だ。

 私は、立ち上がり名刺を差し出しながら
「谷野夏希と申します。この度は、お声掛け頂きありがとうございました」
 と、頭を深く下げ、馬鹿の一つ覚えのセリフを言った。

「谷野さん? あ、お疲れ様です。大変だったと思うけど期待に応えてくれたね。ありがとう」
 朝倉翔也の意外なセリフに私は驚いた。

 てっきり、仕事が遅いだの、何回言ってもわからないヤツだの、嫌味をタラタラ言われるものだと思って今日は覚悟をしてきたのだ。まさかお礼を言われるなんて、鬼だの悪魔だの言って恨んでいたが、良い仕事をするためのリテイクだったんだ。自分の仕事の甘さを全部、朝倉翔也先生のせいにして恨んでいたなんて、私はとんだ甘ちゃんだ。

「こちらこそ今回のお仕事は勉強になりました。ありがとうございました」
 と言ってから、ずっと下げたままの顔を起こした。

 朝倉翔也先生と視線が合った。
 あれ? なんだか、懐かしい感覚。
 
「谷野さん、また、次回もお願いするから」

「えっ!?」

「厳しい、要求にも文句一つ言わずについて来てくれたからね。安心して仕事を頼めるよ」

「あ、ありがとうございます」
 再び、平身低頭で感謝の気持ちを表す。
 
「そんなにかしこまらないで、もっとフランクに行こうよ」

えっ? 思っていたのと違う。もしかして優しい人なの 
 
 朝倉翔也先生と編集2人と私の4人で打ち上げと称した食事会が開かれて、朝倉翔也先生を嫌味タラタラな男のイメージでいたのにとっても良い人だった。
 そして、家にあった本の小さな全身写真では良く分からなかったが、目の前にいる本人は、背も180cm位ありそうな高さで、俳優でもやっていけそうなイケメン、切れ長の涼し気な目元、鼻筋の通った鼻梁、薄い唇、ザ・クール系男子、また声も低ボイスで色気があるイケボ。はぁ~、尊い。
 こんなイケメン一度見たら忘れられないってぐらいのレベル。

 あれ? 何か前に会った事があるようなデジャブを感じる。
 眺めすぎていたのか、朝倉先生と目が合った。

「先生と何処かでお会いしたことありましたか?」

「えっ、ナンパされている?」

 朝倉先生は、ハハハっと笑った。ナンパなんてそんなつもりの無かった。私は焦って違う言い訳をした。

「なんで、無名の自分に人気作家の朝倉先生の表紙のお仕事が舞い込んだのか不思議だったんです」
 
「うちの姪っ子が、谷野さんにイラストを描いてもらったことがあるんだ」

 意外な話にビックリ。
「えっ? 誰だろう?」

「ペンネームがアルファベットの小文字でmayuyu」

 その名前には心当たりがあった。
「mayuyuさん、ファンタジー小説の表紙を頼まれて鳩が飛び立つ背景に女の子を書いたのを覚えています」

「そう、その表紙を見て、いいなって思ったんだ」

 今まで、無名の自分がどうして人気作家の表紙に指名されたのか、不思議で仕方が無かったが、やっと納得がいった。そして、地道な活動が拾われて実を結んだことがとても嬉しかった。
 感激のあまり思わず涙腺が緩んでしまい涙がポロリと落ちた。

「あー、先生。谷野さんを泣かしてダメじゃないですか」

「いや、今? 泣かすような事言った?」

「谷野さんは貴重な人材なの、先生の鬼リテイクを文句言わずに直してイメージ通りにしてくれる人は、なかなかいないんだから! 最近の人はすぐにキレるからね。貴重な人材を虐めないでくださいよ。これからは、先生以外の仕事もお願いすることになるんですからね」

「発掘した人に優先権があるんだよ」

「先生の仕事もしてもらいます。他の仕事もしてもらいます。いいですね谷野さん」

 なんだか夢みたいな話で感激して涙が止まらない。精一杯の気持ちを込めて返事をした。
 「はい、頑張ります」

  ハンカチで涙を抑え、俯いていると朝倉先生が呟いた。
「あれ?どこかで会ったような……」

 その言葉を聞いて、思わずプッと吹き出し。
「もしかして、私、ナンパされてますか?」
 と、笑った。

「いや、あれ? なんだろう?」
 朝倉先生は顎に手を当て考え込んでいる。

「朝倉先生、そこは噓でもいいから何か言ってくれないと、私がフラれたみたいになるじゃないですか」
 
「あ、ごめん。ごめん」
 と、朝倉先生も笑い出した。

「あー、フラれた」
 と、言って笑った。

「ごめん」
 
「いや、そんなに謝られると、ホントにフラれたみたいだから止めてくださいよー」
 先生も編集の人も私もドッと笑った。

 感激して涙を流したり、可笑しくてお腹を抱えて笑ったり、朝倉先生が良い人で良かった。
 今日は、緊張してこの打ち上げに参加したけれど、次の仕事にも繋がったし、朝倉先生とも打ち解けて話せるようになったし、女としては、完璧ではない80点の私でも上出来の結果だと思う。
 
 

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