神島古物商店の恋愛事変~その溺愛は呪いのせいです~

大江戸ウメコ

いにしえの想いと結婚式(6)

 保科くんと同棲生活を経て数日。今日はいよいよ挙式の日だ。式の予約は今日の午後一時からだったけれど、私たちは朝八時に家を出た。着付けやヘアセットなどを行う時間が必要だからだ。
 保科くんの車に乗り込んで、ブライダルサロンへと向かう。

「いよいよですね、先輩」

 ハンドルを握る保科くんは機嫌が良さそうだ。

「楽しそうだね」
「実際、楽しみですから。先輩の白無垢、絶対に綺麗だろうな」
「保科くんの紋付も、きっと格好いいと思うよ」

 私がそういうと、保科くんは目を丸くした。

「え。先輩、俺のこと格好いいって思ってくれているんですか?」
「ぎゃっ! 保科くん、前みて前!」

 一瞬車体がふらついて、私は慌てて悲鳴をあげた。

「すみません、動揺しました」
「このくらいのことで?」
「だって先輩、俺のこと格好いいって言ってくれるの、初めてじゃないですか?」

 そうだっただろうか。そういえば、思うことは何度かあっても口に出したことはなかった気がする。保科くんは私を可愛い、可愛いと言ってくれるのに、私からは言わないのは悪かったかもしれない。

「保科くんは格好いいよ」
「っ!」

 キュキュっとブレーキがかかって、シートベルトに身体が食い込む。前をみれば赤信号だ。ちらりと横をみると、保科くんが真っ赤な顔で私を見つめていた。

「先輩、もう一回言ってください」
「車を降りたらね」
「今すぐ聞きたいです」
「運転に集中できないみたいだからダメ。ほら、もう青になるよ」
「えぇ~」

 唇を尖らせてハンドルを握る保科くんの耳が、微かに朱色に染まっている。それを見て私はふわふわしたような気分になった。
 幸せだなって思う。こんな時間がずっと続けばいいのに。
 そう思うと同時に、じわじわと不安が湧き上がってくる。

 今日は挙式の日だ。上手くいけば、今日で呪いが解ける。
 呪いが解けてしまっても、こんな風に保科くんと一緒にいられるのだろうか。
 いや、考えるのはよそう。保科くんは前から私を好きだったと言ってくれていた。その言葉を信じるんだ。



 ブライダルサロンについて駐車場に車を停める。助手席のドアを開けようとしたら、突然運転席から腕を引かれて、かるくキスをされた。

「好きですよ、立花」
「っ、名前!」

 突然名前で呼ばれて、私は顔を赤くする。

「新郎が新婦を先輩、なんて呼んでいたらおかしいでしょ?」
「そ、そうかもしれないけど」
「先輩も、今日は俺のことを隼人と呼んでください」
「は、隼人……くん」

 保科くんを名前で呼ぶのは、なんとも気恥しい。けれども、呼ばれた保科くんは嬉しそうに笑うと、今度は私の頬にキスをした。

「それじゃあ、行きましょう。俺の愛しの奥さん」

 私がぼうっとしていると、保科くんは車を降りて助手席に周りドアを開けてくれた。エスコートするみたいに私の手をとって、二人で一緒にブライダルサロンへと入って行く。




「ご結婚おめでとうございます。いよいよですね」

 プランナーさんにそんな挨拶をされ、私は保科くんと別れて控室へ入る。
 服を脱いでこっちを着て、ここに座って上を向いてなど、細かく指示されながら着々と準備は進められていく。普段のメイクの何倍も丁寧に顔を塗りたくられて、唇に赤い紅をひいた。真っ赤な紅は少し派手すぎないかと思ったのだけれど、白無垢と合わせると丁度いいらしい。ヘアセットが終わったら長じゅばんを着て、掛下やら半襟やら、美容師さんに言われるままに装着していく。ぎゅうぎゅう帯を締めつけられて、着替えるだけで重労働だ。

 メイクとヘアセット、着替えが終わって、フラフラしながら鏡を覗き込むと、清楚で美しい花嫁がいた。

「わっ……すごい」

 我ながらよく化けたものだ。それとも、白無垢効果なのだろうか。とにかく美人に見える。派手だと思った赤い紅は、白い衣装のなかですっと目を引いて美しく、確かに白無垢によく映えていた。濃いメイクも気にならない。

「お美しいですよ」

 褒められて思わず嬉しくなる。これは偽の結婚式だけれど、こんな風に綺麗にしてもらえるのは嬉しいものだ。

 保科くんも、綺麗だって思ってくれるかな。
 えらく乙女な思考が浮かんで、私は慌てて考えを打ち消した。ほんとうの結婚式ではないのだ。呪いを解くための式なのだから、保科くんに可愛いと思ってもらう必要なんてない。必要ない……のだけれど、せっかくこんなに綺麗な服を着たのだ。やはり、良く思われたいという欲はむくむくと湧いてくる。

「それでは、旦那さんを呼んできますね」
「いや、あの……!」

 私が止める間もなくプランナーさんは部屋を出て行ってしまう。しばらくすると、コンコンと部屋のドアがノックされた。

「準備ができたと伺いました。入りますね」

 保科くんの声が聞こえて、緊張で声が詰まる。今の自分を見て欲しいような、やはり恥ずかしいような複雑な気分で、ゆっくりと開くドアを見守った。
 現れた保科くんは黒羽二重くろはぶたえの紋付袴を着ていた。私とは対照的に黒色で、すらりと背の高い保科くんによく似合っている。袴は黒の縞模様で、普段は無造作にしている髪も、ワックスをつけて少し後ろに流している。整った顔立ちがはっきりみえて、普段よりも数倍凛々しく感じた。格好いいと思って見とれていると、保科くんはこちらを向いたまま息を飲んだ。

「綺麗です。……とても」

 シンプルだけれども心の籠った言葉で褒められて、私は詰めていた息をほっと吐く。

「ありがとう。ほし……じゃなくて、隼人くんもすごく格好良いよ」
「俺はオマケみたいなものですから。でも、立花と並んで恥ずかしくないようになっているなら、嬉しい」

 砂糖菓子を溶かし込んだような目で見つめられて、胸が高鳴る。これは偽の式だって分かっていても、本当に今から夫婦になるんじゃないかって気持ちにさせられる。

「立花、これを」

 そう言って保科くんはあの簪を取り出した。今日使うと話していたのに、着付けのときに出てこなかったから不思議に思っていたのだ。

「無理を言って、俺につけさせてもらうよう頼んだんです」

 保科くんは簪を手に私に近づく。美しいあめ色のべっ甲は、変わらず黒いモヤを放っていたけれど、心なしかその色が薄くなっているようにも見えた。もしかして、本当にこの挙式が呪いに効いているのだろうか。

 私の今日のヘアスタイルは、伝統的な高島田たかしまだではなく綺麗に結い上げた洋髪だ。というのも、あの簪が婚礼用の品ではなかったからだ。簪に合うヘアスタイルにしてもらったので、綿帽子や角隠しもつけないことになっている。
 保科くんは角度を調整しながら、私の髪に簪をさした。今の私と保科くんは、結ばれなかった顕正さんと民さんの代理だ。それが分かっていても、保科くんの指が髪にふれるたびにどきどきと心臓が高鳴った。

「あなたと結婚できる日を、待ち望んでいました」

 頭の上で簪が揺れる。不思議な気分だった。目の前にいるのは保科くんのはずなのに、何故か違う男性のようにも思える。私もずっと、長い間、彼と結ばれることを待ち望んでいたかのような、おかしな気持ちになる。





 準備ができた私たちは、車に乗って神社へと向かった。たどり着いたのは都内にあるこじんまりとした、けれども落ち着いた神社だった。ふたりだけの式だし、儀式は最低限で良いと伝えてあるので参進の儀などはない。斎主に案内されるまま本殿へと上がらせてもらう。

 本殿は広く厳かな雰囲気だった。天井は高く、祭壇の手前には紫色の染幕そめまくが飾られている。板張りの床には小さな椅子が二つ並んでいて、促されるままその左側に座った。
 斎主が大幣おおぬさを握り、私たちに向かって振るう。連なった紙束がシャラシャラと綺麗な音を立てると、髪飾りからつるつると黒いモヤが大幣へと吸い込まれていった。

 今度は祝詞のりとの奏上だ。本殿を向いた斎主がはりのある声で神様に祈りを捧げていく。なぜか分からないが、祝詞を聞いていると目から涙が零れそうになった。

 ああ、私はずっとこの人と結婚したかった。この日を待ち望んでいた。

 心に浮かんだのは、私であって私ではない誰かの感情だった。簪を身に着けているからだろうか。まるで私が民さんになって、顕正さんと結婚しているような気分だった。

 不思議な感覚にひたっていると、朱色に塗られたお銚子ちょうしさかづきが用意された。三々九度の儀だ。美しい朱色の盃にお神酒が注がれる。盃はまず保科くんへと渡された。保科くんが一口お酒を口に含むと、またしても黒いモヤが薄くなる。
 杯は次に私に渡った。透き通ったお神酒を口に含むと、すっと身体が軽くなったような感じがする。小さな盃での儀式が終わり、次は中くらいの盃にお神酒が注がれる。今度は私が先のようだ。お神酒を一口飲んでから保科くんへと杯を回す。

 保科くんに繋がっている黒いモヤは、もうほとんど見えないくらいに薄くなっていた。結婚式をして本当に呪いが解けるのかと思っていたけれど、驚くくらいに効果てきめんだったらしい。これなら安心できる。私がほっと息を吐くのと、保科くんが二度目の杯を口に含むのはほほ同時だった。

 ガシャンと、私の隣で大きな音が鳴った。
 お神酒を口に含んだ瞬間、保科くんがの身体がゆっくりと傾いていって地面に倒れたのだ。

「保科くん!?」
「なんだ、何が起こった!?」

 神聖な結婚式の雰囲気は吹き飛んで、場が騒然とした。私は慌てて保科くんの身体を揺するが、保科くんは意識を失っているようでぴくりとも動かない。

 結婚式は中止になって、神社には救急車が呼ばれた。私も保科くんにつきそいたかったが、白無垢で病院に向かうわけにはいかなかった。救急隊員の手によって保科くんは元の服に着替えさせられ、病院へ運ばれていく。私も婚礼衣装を脱がせてもらうと、保科くんの車を借りて彼が運ばれた病院へと向かった。

 引き抜かれた簪からは、もう黒いモヤは出ていなかった。


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