神島古物商店の恋愛事変~その溺愛は呪いのせいです~

大江戸ウメコ

いにしえの想いと結婚式(1)

「先輩。門崎さんからメールが届いていましたよ」

 翌朝、ホテルのレストランで朝食を済ませて部屋に戻ると、タブレットを触っていた保科くんが私を手招きした。

「昨日、俺達が送った情報を参考に、華族の梶原さんの子孫を探したそうです。そうしたら、東京に住んでらっしゃるかたが見つかったって」
「え、もう? 早くない?」
「華族って身分は無くなりましたけど、今も財界や政治家にその血筋の人は多いらしいですね。そういう関係筋からの情報だそうです」
「なるほど」

 私は思わずうなった。門崎さんがどういった人に依頼したのか知らないが、財界にツテのある自分物だったらしい。

「それで、話を聞かせてもらうアポイントメントが取れたそうですよ。ただ、場所が東京なので、できれば俺達に向かって欲しいとのことでした」
「アポはいつなの?」
「今日の十六時です」

 日程を聞いて私は目を瞬いた。

「えらく急だね」
「忙しい方らしくて、今日しか予定が空かないそうです」
「まぁ、待たされるよりは良いか。急いで東京に戻らないと」
 
 今から向かえばどうにか約束の時間に間に合うだろう。保科くんは頷いてタブレットを鞄にしまう。私も急いで荷物の整理をした。

「もう少し京都を満喫したかったんですけど、残念です。京都美術館に行きたったなぁ。上村松園の記念展があるんですよ」
「仕方ないよ。急いで準備して駅に向かおう」

 慌ただしくホテルのチェックアウトを済ませて、私たちは新幹線に乗るべく京都駅へと向かった。夕方の約束に間に合わせるにはゆっくりしてはいられない。京都駅で簡単な手土産を購入して、慌ただしく新幹線へと飛び乗った。

 新幹線の中でもう一度アポ先の情報を確認する。約束相手は梶原道子さんで、六十四歳の女性だ。ご主人は元参議院議員らしい。オカルトの類の話が好きで、今回の相談をもちかけたところぜひ協力したいと乗り気だったそうだ。

「もしかして、呪いについて色々聞かれるんですかね?」
「そういう覚悟をしておいた方がいいかもね」
「……無難に話せる内容を考えておきます」




 梶原さんのお宅は目黒区の青葉台にあるらしい。地図を見ながら大きな家が立ち並ぶ住宅街を進むと、生垣が美しい瓦屋根の立派なが見えた。あれが梶原さんのお宅のようだ。

 呼び鈴を押すとすぐに道子さんが応答してくれて、家の中へと招き入れてくれた。道子さんは六十四歳には見えない、品のある美しい女性だった。きちんとまとめられた白髪交じりの髪には清潔感があり、育ちが良いのだろう、ひとつひとつの所作が美しい。

 引き戸を開けて入った玄関には立派な花瓶が飾られていて、思わず保科くんが食いついた。

「わぁ、美しいですね。柿右衛門様式の花瓶!」
「さて、主人の趣味でして。私はあまり詳しくないのですよ」
「向こうの周文様式の山水図も見事ですね、素晴らしい!」

 目を輝かせる保科くんを見て、道子さんはおっとりと笑った。玄関先には他にも美術品が並んでいて、うずうずとしている保科くんの脇腹を私は軽く突いた。

「保科くん。今日はお仕事じゃないよ?」
「分かってますよ、見ているだけです」

 名残惜しそうな保科くんを促して、応接間へと入る。そこにも立派な大皿が飾られていて、またしても私は気をとられる保科くんを注意するはめになった。

「保科くん」
「わ、分かってますって。見に行ったりしませんよ」

 手土産を道子さんに渡して、まずは今日のお礼を告げる。事情は既にある程度聞いているらしい。挨拶もほどほどに、道子さんは早速本題に入ってくれた。

「それで、梶原家の家系図があれば見せて欲しいとのことでしたね?」
「はい。二十世紀の初めあたりに、梶原顕正という方がいないかを調べたいのです」
「ええ。事情は伺っております。梶原家には古文書はたくさん残っているんですよ。ただ、私には中をめくってみても、何が書かれているかあまり判別できなくて」

 そういって、道子さんは沢山の紙束を持ってきてくれた。茶色く変色した古文書はどれも年代を感じさせる品物だった。

「拝見させていただいても?」
「もちろん」

 私と保科くんは手分けして古文書を見分していく。数が多いので、とりあえず表紙などで年代や内容を判別して関係のなさそうなものは横に避ける。様々な資料が残っているようだった。土地の契約書や、日記。手紙がたくさんはいった箱もある。それらを端から確認して、中でも少し立派な装丁の冊子に私は目をとめた。

「あ、保科くん。これ過去帳だよ!」

 過去帳は亡くなった人間の情報を記した帳面のことだ。亡くなった方の戒名と日付、生前の名前が書き連なったもので、浄土真宗の位牌代わりに使用される。家系図がなくても、この中にもしかしたら顕正さんの名前があるかもしれない。

「拝見させていただいても?」
「ええ、もちろんどうぞ」

 古びた紙をめくると、ずらずらと名前が並んでいる。戒名と並んでいて読みにくいが、ちゃんと俗名も記載されていた。記載は昭和の中頃で終わっていて、そこから年代を遡っていく。
 
「あった! 大正三年九月二十八日、俗名 梶原顕正。いたよ!」

 私が言うと、保科くんが横から覗き込んでくる。

「本当に見つかるとは。命日があの手紙のだいたいひと月後ですね」

 手紙を送ったすぐ後に亡くなったという、門崎さんの言葉とも合っている。婚約者との結婚を夢見ながら死んでいった青年に思いをはせて、私の胸が少し切なくなった。

「先輩、これ!」

 保科くんが慌てた声をあげて、すぐ近くにあった名前を指した。命日が大正五年一月二十日、秋光院高吟道花大姉という部分は法名だから戒名だろう。俗名は梶原民と書かれていた。

「民さんですよ。名前。手紙の受取人、婚約者の人と同じ名前です」
「あ、本当だ。……あれ? でもまだ結婚してなかったはずだよね?」

 顕正さんが亡くなったのなら、民さんとは結婚していないのではないだろうか。それなのに、ここに梶原民として名前があるのは不自然だ。

「同じ名前の別人とかかな?」

 民なんてその時代にはよくある名前だ。同じ名前の別人ではないかと思ったが、保科くんの考えは違うらしい。

「この時代、結婚は今と違って家と家の結びつきでしょう? 顕正さんが亡くなってしまったのであれば、別の兄弟と……という風になった可能性もあります」
「まさか」

 思わず否定しまったが、けれど時代は大正だ。このころ、結婚相手は親が決めるのが当然だったはず。しかも、華族のように身分のある家ならば余計に家同士の結びつきは大事だっただろう。だとすれば民さんもそれなりの家の人間だったと考えられるし、顕正さんの死後に別の兄弟との縁談があった可能性はゼロではない。

「もうちょっと情報が無いかな。他のその年代の資料も探してみよう」

 もう少し手掛かりを探るため、私たちは他の古文書も引っくり返した。そして、沢山積まれた手紙の束の中に、民さんが受け取ったと思われる手紙を見つけたのだ。

「保科くん、これ!」

 私は手紙を開いて保科くんと二人で中を覗き込む。その手紙は民さんの実家からのものだった。近況や体調などを気遣う文で始まり、けれども内容は顕正さんのことは残念であったが、いただいたご縁を大事によく夫に仕えるように、というようことが書かれている。

「間違いなさそうですね」

 手紙を読んで保科くんは複雑そうな顔をした。私も同じ気持ちだ。手紙には民さんの体調を気遣う文面があったが、それによると民さんは懐妊したものの気鬱でずっと床に臥せっていたらしい。無事に出産できたのかどうかは分からないが、過去帳によれば顕正さんの後を追うように顕正さんの死後二年後に亡くなっている。

「意図せず婚約者の墓が分かりそうですが……どうします?」

 問いかけられて私は黙ってしまった。もし民さんが顕正さんの兄か弟と結婚したのであれば、顕正さんと民さんは同じ墓に入っている可能性すらあるのだ。しかも、自分の兄弟の奥さんとして。そんな場所に簪を捧げたとして、はたして顕正さんの気持ちは納得できるのだろうか。


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