神島古物商店の恋愛事変~その溺愛は呪いのせいです~

大江戸ウメコ

京都にて(6)


「まぁ、きっかけは店長に誘われたからなんだよね。うちで働いてみない?って」

 神島古物商店に勤務する前、私は新卒で入社した商社で事務員をしていた。
 その商社に入社して半年経つか経たないかっていう頃、社内に恋人ができた。その彼は社内でもやり手の営業で、背が高くて顔が良く、同期の子にもきゃあきゃあと騒がれていたような人だった。とある案件で彼の補佐をすることになったのがきっかけで、ときどき、一緒に飲みに行くようになったのだ。

 プライベートのアドレスを聞かれたときは、こんな人が私を相手になんてするはずがないと思ったのだけれど、休日に誘われてデートをするようになり、あれよあれよという間に恋人関係になっていった。

 年上でバリバリ仕事をしている彼は、羽振りも良かった。入社したての私じゃあとても買えないようなブランドのバッグを私にプレゼントしてくれて、愛をささやいてくれた。
 けれども社内恋愛だったので、この関係は秘密にして欲しいと頼まれたのだ。

 わたしはもちろん頷いた。社内で恋人だなんてバレたら気まずくなるし、彼はモテるので他の子にも嫉妬されるかもしれない。私を守るためだ、なんて言われたら疑うはずが無い。
 
 けれども、彼は私に隠れて他の社員にも手を出していたらしい。
 それを知ったのは本当に偶然だった。その日、私は彼にプレゼントしてもらったバッグを持って、ショッピングにきていた。その先で、会社の先輩と仲良く腕を組んで歩く彼を見つけてしまったのだ。
 あとで確認すればよかったものを、混乱した私は二人の前に出て、どういうことかと彼につめよってしまった。

 その結果、彼はシラをきった。おそらく、私は遊びで先輩の方が本命だったのだろう。
 私は彼に横恋慕している女として、公衆の面前で罵られた。私のことなんて知らないし、彼女にした覚えもない。悪質なストーカーではないかとまで言われたのだ。
 野次馬にくすくすと笑われて、足がすくんで何も言い返せなかった。

 そのとき、私を助けてくれたのが店長だったのだ。今思えば店長は仕事の休憩時間だったのだろう。仕事で着ているようなスーツ姿で今よりほんの少し顔立ちが若かった。

「あれ、そこのキミ。こないだ僕に鑑定してくれってバッグを持ってきた人だよね?」

 彼に向かって驚いたように大袈裟にそう言って、店長は肩を竦めて見せた。

「オークションで買ったっていう、どう見ても偽物のバッグ。もちろん買取りは断ったけど、こっちの彼女が持っているヤツじゃない?」

 店長は私を庇う様に割って入って、周囲に聞こえるような声でそんなことを言った。その言葉で周囲の空気が変わった。彼は羞恥で顔を真っ赤にして、そんなわけないだろう、人違いだと言い捨てて逃げるようにその場を去っていった。

「そこに僕の店があるから。おいで」

 そう言って、店長は野次馬から私を隠すように、店へと連れてきてくれた。
 神島古物商店と書かれた店の中には、ブランド物のバッグから古びた家具まで色々な品物が置かれていた。私を相談室に案内すると、店長は温かい珈琲を出してくれた。

「偶然見ちゃったんだけど、散々な目に遭ったね」
「……あの、良かったんですか? さっきの」

 商品を売りに来た客の情報を流すような行為だ。店の評判を落とすのではないだろうか。

「まあ、あんまり良くはないんだけど。流石にちょっと見てられなかったから。それに、さっきの彼がバッグを売りに来たっていうのはウソだよ」
「え、ウソだったんですか?」
「でも、効果はてきめんだったでしょ?」

 悪戯がバレた子供ような顔で店長が笑って、私が持っているバッグに視線を落とした。

「さっき君が、このバッグは彼にプレゼントしてもらったって言っていたし、嘘をいってるように見えなかったから。それに、オークションで安く買ったっていうのは当たっていると思うよ。偽物だし、これ」

 バッグを偽物だと言われて、私はぽかんと口を開けた。どうやらそっちは嘘ではなかったらしい。私の目には本物のように見えるのだが、どうしてわかるのだろうか。

「あんまり気づかないものなんだけどね。このブランドのバッグは、本物だとここのところにシリアルナンバーが入っているんだ。あと、バッグを閉じたとき、柄がズレなく均一に配置されるようになってる。ほら、これはズレてるでしょ?」

 それは、知識のある人間が、よほど注意して見なければ分からないような差だった。よく一瞬で見抜けるものだと、思わず感心してしまう。

「よく分かりますね」
「知識と経験さえあれば誰でもできるよ。でも、知らなければ騙されるんだ。……人間と同じだね」

 それが、さっきの彼を指しているのだとわかって、私の目から涙が零れた。
 好きだと言われてその気になって、気がつけば私も好きになっていた。その気持ちが本物かどうかなんて、疑いもしなかった。

「好きだなんて言われて、舞い上がって……馬鹿みたい」

 店長は泣いてしまった私にハンカチを貸してくれて、気持ちがおさまるまでこの部屋を使って良いと言って、相談室から出て行った。一人にしてくれたのだろう。気のすむまで泣いてから部屋を出ると、彼は革製のバックの手入れをしていた。

「ありがとうございました。ハンカチ、今度、洗って持ってきます」
「気を使わなくていいのに」
「いえ、改めてお礼をしたいので」

私が言うと、店長はにこりと笑って名刺を差し出してくれた。

「じゃあ、これも何かの縁ってことで。僕は古物商をしている神島鷹志。使わなくなったブランドバッグや不要な貴金属があったら持ってきてね。そのバッグは買い取れないけど」

 赤くなった私の目は見ないふりをして、私の鞄を指しながら、彼は冗談めかしてそう言ったのだった。








「とまぁ、そういうコトがあってね。職場の先輩と色恋沙汰で揉めたから会社にも居づらくなって、転職しようかなって悩んでるときに、店長にうちで働かないかって誘ってもらったの」

 鑑定をする仕事というのにも興味があった。あのとき、さっと偽物のバッグを見抜いた店長がカッコ良かったからだ。私もあんな風に物事の真贋を見抜ける目が欲しいと思った。まったく知識がない状態での転職だったから覚えることが多くて大変だったけれど、今ではこの仕事を楽しいと思っている。

 私が話し終えると、保科くんが難しい顔をして黙り込んでいた。

「……先輩の元カレを殴ってやりたいです」
「怒ってくれるんだ、優しいね。でも、もう気にしてないんだよ。当時は腹が立って仕方なかったけど、今ではいい勉強になったって思ってる」

 優しい顔をして、甘い言葉で近づいてくる人間が良い人だとは限らない。その人の本当がどこにあるのか、きちんと見極めなければならない。
 そんな風に思えるようになったのも、店長のおかげである。彼には本当に色々と助けてもらった。

「先輩は、もしかして店長のことが好きなんですか?」
「え?」

 思いがけないことを言われて、私は目を丸くした。保科くんは不安気に私を見上げている。店長には感謝しているが、恋愛感情はない。店長もおそらくそれは同じだろう。

「人として尊敬してるよ。恩もあるし、もちろん好きだと思っているけど、恋愛感情とかじゃないかな」
「本当に?」

 恋愛感情を否定したというのに、保科くんはまだ納得していないといった様子だ。

「そんな風に助けてもらって、少しも良いなって思わなかったんですか?」
「ないよ。店長をそんな目でみたことはない」

 もしかしたら、普通は自分を助けてくれた相手を好きになるのかもしれない。だけども、私は店長を一度も恋愛対象の男性として見ようと思ったことがない。

「そもそも、店長のことが好きなら、昨日だって保科くんを家に泊めてない」
「でも、先輩は俺を好きってわけでもないですよね?」
「…………」

 保科くんの言葉に私は黙る。私は小さく息を吐いた。

「本当のことを言うとね、私、また誰かを好きになるのがちょっと怖いんだ」

 元彼に騙されてから、新しい恋人は出来ていない。仕事が楽しかったからっていうのが一番の理由だけど、恋愛に積極的なれないのはやはり、あの時のことを引きずっているからだろう。
 店長を上司としてしか見ないのも、きっとそのせいだ。万が一にも恋心を持ってしまうのが嫌だった。保科くんのことだって、こんなことが起きなければきっと意識なんてしないで、ただの後輩としか思わずにいられたのに。
 
 ブランド物のバックは真贋を見抜けるようになった。貴金属を見る目も肥えた。だけど、人の心を見る目はまだ自信がない。

「保科くんのことは素敵だと思うよ。ドキドキさせられるし、うっかり好きになりそうだって思うときもある。だけど、今の保科くんは呪いの影響で私を好きになっているだけでしょう?」

 保科くんを好きになって、それで裏切られるのはごめんだ。
 あんなみじめな思い、もう二度としたくない。

 保科くんは私の言葉を聞いて、切なげに眉を寄せ、それから首を左右にふった。

「呪いの影響が無いとはいえません。だけど、俺は呪いにかかる前から先輩のことが気になっていました。今の感情は呪われているからってだけじゃない。呪いがなくても、俺は先輩のことが好きです」

 保科くんは信じて欲しいとばかりに、真剣みのある声でそう言い募る。
 その言葉を信じたいという思いもある。だけど、私は臆病なのだ。

「元々好きだったって思いこんでいる可能性は? 呪われる前の保科くんは、全然そんな素振りなんてなかったもの。前からそうだったって、思いこまされているだけかもしれない」

 保科くんが呪われている間だけの関係。そんなふうに予防線を張っていないと、苦しいのだ。

 保科くんがくれる私を好きだって言葉も行動も、全部本物だって信じたい。
 だけどそれを信じて、心を全部預けて好きになって、なのに呪いが解けて全部なくなってしまったら?

 私はあのとき元彼の嘘を見抜けなかった。好きだって言われて簡単に舞い上がって、その気になって私も好きになっていった。
 今とあのときと何が違う。保科くんの気持ちだって呪いによる嘘かもしれないのだ。

「保科くんが呪われている以上、私は保科くんの言葉が本物だって信じられない」

 信じられないのは保科くんの言葉だけじゃない。私の気持ちだって信用できない。
 恋愛は難しい。保科くんが気になる自分と、その気持ちを疑う自分が同時に存在している。彼に惹かれているような気がするのは、呪われた保科くんに言い寄られて、それでいい気になっているだけなんじゃないだろうか。

 私の言葉に、保科くんはそっと目を伏せた。
 もしかして、彼の言葉を否定して傷つけしまっただろうか。不安に思ったとき、保科くんは顔をあげて真っすぐ私の目を射抜いた。

「わかりました。じゃあ、必ず呪いを解きましょう。呪いが無くなってから、もう一度先輩に告白します。そうすれば、先輩も信じられるでしょう?」

 保科くんの言葉に、胸のあたりのきゅっと苦しくなる。
 本当に、そうしてもらえたらどれだけ嬉しいだろうか。

「待ってる」

 保科くんは人に媚びることをしない人だ。先輩相手にだって容赦なく毒を吐くし、実力はあるくせに、自分を良く見せようという気が無い。古美術オタクであることを隠そうともしない。
 本当は分かっているのだ。保科くんは元彼とは全然ちがう。保科くんはきっと、自分を良く見せようとしてブランドバッグをプレゼントしたりはしない。保科くんが私にプレゼントをくれるなら、きっと彼が私に贈りたいと思ってくれた品なのだろう。

 だからこそ、保科くんの好きという言葉が魅力的に聞こえて、それが呪いによるものだと思うと苦しくなるのだ。

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