視線が絡んで、熱になる

夜桜 ゆーり

episode2-4


「…あの…化粧品を、」
こんな時にどうだっていいことを口にしていた。柊の足が止まった。苛立ったように琴葉を見下ろし「何だ?」という。

「化粧品を…買いたいんです。さすがにほぼスッピンで営業活動は…」
「あぁ、そんなことか。だったら今担当してる理道の商品を買ったらいいじゃないか」
「…はい、そのつもりです」
「百貨店だったら今からでもタクシー拾えば間に合うな」
「百貨店?いえ、そんなに高いものは…だって仕事のためにちょっとだけするだけだし」

琴葉の話を無視して、柊は琴葉の手首を掴んだまま駅を抜けると道路を走るタクシーを拾う。
半ば無理やりに近い形でタクシーに乗せられる。
柊が行き先をタクシー運転手に告げ、後部座席で揺られながら目を閉じた。
過去を知る柊に対して警戒心は未だに強い。
しかしあの鋭くて力強い瞳に見つめられると動けなくなる。流されるように彼の家に行っていいのか今更悩むがもう発進してしまった車内ではどうすることもできない。

「着きましたよ」

車内ではお互い無言だった。
タクシー運転手のやけにのんびりした声で顔を上げた。
ドアが開き、先に琴葉が降りる。そのあとに支払いを終えた柊が続いて降りてくる。

百貨店に訪れたのは久しぶりだった。
隣を歩く柊が琴葉を気にするように歩く。視線を感じるなと思い、チラッと見上げると彼に見られていることを知りすぐに顔を下げる。
柊の目が苦手だった。すべてを見抜かれているようで、逃げ出したくなる。
まるで過去の自分と対峙している気分だった。
百貨店の一階にある理道系列のブランド“シラユキ”に到着する。真っ黒でシンプルな制服を着た女性がこちらへ目を向ける。

「いらっしゃいませ、何かありましたら遠慮なくお声掛けください」

にこやかに笑うポニーテールの女性に琴葉も作り笑いを浮かべる。
店頭に並ぶ煌びやかな化粧品を見ると気持ちがときめいた。しかし、“あの事”が脳裏に浮かびやはり一歩踏み出せない。
とりあえず、ファンデーションだけ購入して帰ろう。
それを店員に伝えようとすると、柊が口を開く。

「一通りメイクをしてあげてください」
「はい、かしこまりました!ではこちらへ」
「え?!いえ、私は…―」
「いいからしてもらってこいよ」

美人の美容部員にこちらへと言われるがまま椅子に座らされる。ケープを掛けられて、「何か気になる商品はありますか?」と化粧をされる前提で会話が進められる。
「ありません…」と今にも消えそうな声で答えた。
目の前の鏡に映る自分の顔は隣にいる美容部員の女性と比べると雲泥の差と言われても仕方がないほどに女性らしさが欠けていた。
この女性も綺麗になる努力をしたって意味がないと思っているのではないか、そう思ってしまう。

「では、はじめていきますね」

他人に化粧をしてもらったことはなかった。だから美容部員の女性に肌に触れられた瞬間、全身に緊張が走る。
それが隣の女性にも伝わったのか、「大丈夫ですよ」とにっこりと笑ってくれた。

肌に合うリキッドファンデーションをブラシで乗せる。くすみが一気に消えていく。
コンシーラーやフェイスパウダーなど、使ったことのない化粧品を丁寧に説明しながら肌にのせてくれた。
琴葉も徐々に緊張が解けていき、自然に笑い返せるようになっていた。

「これが、新発売のアイシャドウです。赤みブラウンでお客様によくお似合いになると思いますよ」
「そうですか…」

慣れた手つきで琴葉に魔法をかけていく。全てが終わる頃には鏡の前の自分が“知らない自分”へと変化していた。
あまりの変わりように開いた口が塞がらない。

「素敵です。そこまで濃いメイクはしていないんですよ。アイラインはひかないで、アイシャドウで陰影をつけました。お客様は目鼻立ちがはっきりしてらっしゃるので、濃いメイクをしなくても十分ですね。それからこちらの口紅ですがオフィスでも使えるベージュ系の色を選んでみました。でも普通のベージュだと味気ないので、アイシャドウと合わせて赤みのあるものを選びました。でも口紅だけもう一色と迷ってるんです。こっちのブラウン系のものです。こちらも今つけているものと絶妙に色が違うんですよ。そうだ、旦那様にも見てもらいましょう」
「…だ、旦那じゃありません!」

知識豊富な美容部員の女性に反発するように声を張り上げるとクスクスと女性が笑う。

「じゃあ、彼氏さんですか?素敵な彼氏さんですね。化粧品を買うのにわざわざついてきてくれるなんて!」

目を細めてまるで微笑ましい家族を見るように言われて首を振る。

「どうだ?終わったか?」
すると、柊が琴葉に近づいてくる。
「来ないで下さい!」
「うふふ~仲がいいですね」

柊に化粧をした顔面を見られるのが恥ずかしくて俯いたまま、そう言った。しかし美容部員の女性は笑いながら的外れなことを言う。

「いいから見せてみろ」
「いやです!!」

どうせ、笑われて終わるだけだ、そう思った。
「いいから、」そう言って無理やり琴葉の顎を掬うと熱のこもった目が合う。

「…っ…やめ、…」

一瞬、柊の綺麗な切れ長の目が大きく見開かれた。
それがどういう意味なのかわからずに泣きそうになった。見られたくない、見ないで。

「似合ってる」
「…え?」
「誰よりも綺麗だよ」

嘘とは思えなかった。それほど、柊の口から出た言葉には力があった。

「嘘だ…」
至近距離で見つめ合って羞恥心がないわけなどない。むしろそれで脳の全てが侵食される。それなのに、柊は平然と言う。

「嘘じゃない。本当だ。ほかの男には見せたくないくらいに綺麗だ」
「…」

ようやく顎を掬っていた手を離すと一歩離れたところにいる美容部員の女性に柊が目をやる。
「これ、一式全部ください」
「わ、わかりました。えっと、そうですね、あの、リップだけどちらの色にするか決めていないので。せっかくだから旦那様に選んでもらいましょう」

女性の頬が何故か少し赤いのはこの場面を間近で見たからかもしれない。

「じゃあ、今つけているリップ、とりますね」

彼女はそういうとおそらくクレンジングだと思うがそれを含んだ上質なコットンで唇に乗る色を落としていく。そして素早く悩んでいたというもう一色のリップを琴葉の唇にリップブラシを用いてのせていく。先ほどの色とは見た目はそこまで違いがわからなかったが、唇に乗せると印象が大きく変わった。後者の方が圧倒的に妖艶に見えた。


「こちらもお似合いですね!」
目を輝かせるようにそう言った女性に「ありがとうございます」というとすぐに柊が琴葉の顔を覗き込む。

「こっちの方がいいな」
「あら!じゃあこっちにしましょうか」
「…はい」

弾んだ声に流されるようにして頷いた。本当は柊が選んだ口紅を買うことは癪だった。
それでも、“こっちの方がいい”と誰かにアドバイスをされた経験のない琴葉にとってそれは少しばかりの嬉しさを胸に運ぶ。

「お支払いは…―」
「あ、えっとカードで」

相当な額になりそうだがここまでメイクを施してもらいながら購入しませんとは言えなかったし、普段とは違う自分を見てみたいという欲求もあって購入することにした。
しかし、すかさず柊がカードを女性に差し出す。

「これで」
「かしこまりました」
「不破さん!いいですって…私が、」
「いいんだよ。これ買ったら三階に行くぞ」
「…え?」
「案内カウンターに聞いたら女性ものの下着は三階にあるらしい」
「……」

笑顔を崩さずに柊からカードを受け取るとそのままどこかへ消えてしまう女性の背中を見ながら柊の言葉を反芻してみる。
(下着、下着?下着とは…?)
固まったまま、瞳をしばたたかせて柊を見上げる。

「なんだよ」
「…下着って」
「今日替えの下着、持ってきてないだろ。ブラウスもあれば買っていくか」
「何を言って…」
「お待たせしましたー!」

美容部員の女性が軽やかな声を響かせて柊に近づく。カードと明細を彼に手渡すと既にまとめられていた化粧品の入った紙袋を手にして「お出口まで」というので促されるようにカウンターを出る。
「ありがとうございました。また何かあればいらしてくださいね」
「ありがとうございました…」

化粧品売り場を出ると、出口へ向かうのではなく柊はエスカレーターで上の階へ行く。やはり先ほどの“下着を買う”というのは本当だったらしい。
「あの!化粧品ありがとうございました。大切にします!でもこれで失礼します」
「はぁ?腕時計取りに来るんだろ」
「だって…下着って…」
赤面する琴葉に呆れたように息を吐いていう。

「諦めろ。お前を離す気はない。お前みたいな鈍感な女は多少強引にいかないと視界にすら入れてくれないからな」
「……」
「それ、貸せ」
「どうしてですか」
「いいから、」

何が何だかわからない。ここまで強引な人物に出会ったことのない琴葉はただただ困惑して彼に流される。琴葉の手から化粧品の入った紙袋を取り上げる。
慌てふためく琴葉に柊は
「重たいだろ」
それだけ言って正面を向く。
不意に見せる優しさにドキドキしている自分がいた。それは自分に男性への耐性がないだけだ、そう思った。
しかしこの胸がきゅうっと締め付けられるような感覚を知っているような気がした。

まさか、そんなわけない。一瞬浮かび上がる感覚を否定して下唇を噛んだ。
結局柊の言われるがまま、下着と仕事用のブラウスなどを購入させられて(柊は女性ものの下着売り場に入ることを躊躇しない鋼のメンタルを持った男だと判明した)百貨店を出た。


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