シュガーレス・レモネード

umekob.

第22話 ベッドで待っててね

 手を繋いで歩く綾人くんと私は、帰り道の途中でスーパーとドラッグストアに寄り、夕食の材料とバス用品一式を購入して彼のマンションへと帰宅した。
 テキパキと料理の準備を済ませていく私。綾人くんが私にリクエストしたものは、具沢山のクリームシチューだった。せっかく好きな人に食べてもらうのだから気合いを入れようと、私は腕まくりをしてクリームシチュー作りの続きに取りかかった──というのが、もう何十分も前の話だ。
 現在、お鍋一杯に作った具沢山のシチューと厚切りバケットの並ぶ食卓を前に、綾人くんは驚いた顔で「……すげー」と感嘆して瞳を輝かせている。余った野菜は蒸してサラダにしてみた。綾人くんの表情筋は相変わらず派手に動かないが、少なからず喜んでいるようで「いただきます」と嬉しそうに手を合わせると私の手料理を食べ始める。
「うわ、めっちゃうまい! 六藤さん、料理上手すぎない……?」
「美味しい? よかったぁ……クリームシチューってね、ルーがなくても小麦粉と牛乳で意外と簡単に出来るんだよ」
「えっ、これルーで作ったんじゃないの? ていうかシチューって小麦粉なの?」
「あれ、そこから?」
 意外そうに目を丸めている綾人くんはまるで子供みたいで、思わず「ふふっ」と笑ってしまう。すると彼はほんのりと頬を赤らめて目を逸らした。
「……笑うなよ」
「ふふふ……っ、ごめん、つい可愛くって」
「俺のどこが可愛いの……別に何も可愛くないし」
「可愛いよ、なんか子供みたい」
「……俺はカッコイイって言われたい」
 か細く呟いた彼。拗ねたようなその顔がまた可愛くて、自然と頬が緩んでしまう。悟られないようはにかみつつ、「……大丈夫、ちゃんとずっとカッコイイから」と小さく彼に言い聞かせれば、また驚いたように綾人くんは目を見張った。
「……っ? あ、あのさ、六藤さん……やっぱ今日、何か変じゃない? ほんとにどうしたの……」
「え……変? そうかな」
「そうだよ……普段、そんな風に俺に笑いかけてくれないし……」
「ええっ!? そんな事ないよ!」
「ある……佐伯さんには楽しそうにニコニコするのに、俺に対してはいつもびくびくして、愛想笑いばっかして……ずーっと両手握って不安そうにしてた。やっぱ、俺がいつも強引だったから、嫌われてんのかなって……」
 眉尻を下げ、への字に曲げた口でシチューを食べ進めながらぼやく綾人くんを見つめ、私はきょとんと目を丸めた。どこか不貞腐れているようにも見える彼は、まるで飼い主に放っておかれた子犬さながら。
 確かに、彼といる時はいつも緊張していたし、笑顔もぎこちなかったように思う。けれど今思えば、それは彼に対して恋心を抱いていたからであって……決して嫌っていたわけではないのだ。
「……嫌いじゃないよ」
 控えめながらもはっきりと告げ、残り少ないシチューをスプーンで掬い上げる。すると綾人くんの視線は私へと戻された。
「もし嫌いだったら、こんな風に頑張ってお料理なんてしないし……喜んでる顔見て、ホッとしたりもしないし……」
「……」
「……綾人くんの名前を呼ぶ度に……こんなにドキドキしたりも、しない……」
 か細く呟いて、最後の一口となったシチューを自らの口に運ぶ。しかし冷静に今の発言を思い返すと急激に恥ずかしくなってきて、空いたお皿を手に取った私は「ごちそうさま!」と逃げるように席を離れた。
 カウンターキッチンのシンクに皿を重ね、蛇口を捻って水を出す。しかしそのまま皿を洗おうとスポンジに手を伸ばしたところで、追いかけてきた綾人くんの手が不意に私を掴んだ。
 強く引き寄せられた私の身体は、気が付けば彼の腕の中。背後からぎゅうと抱き締められ、首筋に押し当てられた唇が動く。
「……そういう言い逃げは、ずるくない……?」
「……っ」
「俺、そういうの期待するんだけど……」
「あ、綾人くん……」
 震えそうな声で呼びかければ、綾人くんは私が手に取ろうとしていたスポンジを先に奪い取った。ハッと顔をもたげた瞬間、今度はぽんと頭を撫でられる。
「……洗い物は俺がやっとくから。六藤さんは、今のうちにお風呂入って来なよ」
「え……っ? い、いいよ、私やるし……」
「大丈夫、気にしないでいいから。……その代わり、戻ってくる時は覚悟して戻ってきてね」
 ──ベッドで待ってるから。
 最後に一言、小さな声で付け加えて、武藤くんは私を解放した。
 今しがた囁かれたその発言に息を呑んだ私は、胸を大きく跳ねさせながら頬を赤らめる。やがて唇をきゅっと結び、おずおずと彼の服の裾を引いた。
「!」
「……うん。あの……」
「……」
「ちゃんと、用意してくるから……ベッドで待っててね……」
 他に誰かがいる訳でもないのに、秘密を告げるように耳打ちした言葉。途端に硬直した綾人くんからぱっと離れた私は、羞恥によって赤く染まる頬を隠したまま彼に背を向けて駆け出した。
 どくどくどく、必要以上に早鐘を刻む胸がうるさい。
 私はただ、自分の胸の奥にあった感情の名前を自覚しただけ。ただそれだけだ。でも、ただそれだけなのに、恋ってすごいなあと思う。
 だって、君の事が好きだと思うだけでこんなにも大胆になれるんだから。まるで私が私じゃないみたい。
(……で、でも、あの答えでよかったのかな? 引かれてたらどうしよう……あいつ欲求不満かよ~とか思われてたらやだなあ……)
 そんな一抹の不安を抱えつつ、私は自室に畳まれていた綾人くんのスウェットを手に取り、紅潮する顔をそれに深く埋めたのだった。

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