シュガーレス・レモネード

umekob.

第11話 Aさんからのメッセージ

「この前はごめんな、六藤〜!! あんま覚えてないけど! ほんとごめん!」
 翌週。出社して早々、両手を合わせて平謝りする佐伯くんに私は苦笑をこぼした。彼が酔い潰れた件については翌日の謝罪メッセージに「気にしなくていい」と返信したはずだったのだが、直接謝りたいと朝一番に出社して私を待っていたらしい。
 ほんとごめん! と何度も謝る佐伯くん。こう見えて実は繊細で気にしいな性格をしている。そのため「別に気にしてない」と説得するのも結構骨が折れるのだ。結局、自分のデスクに腰を落ちつけるまでに随分と時間を要する事になってしまった。
「はあ、朝から疲れた……」
「あ、六藤さーん」
 しかし、息をついたのも束の間。呼びかける真奈美さんの声にぎくりと肩が強張る。「は、はーい……」と取り繕った笑顔を浮かべてぎこちなく振り向けば、新色に塗り替えたばかりらしいネイルに視線を落とす彼女がこちらに一瞥もくれないまま指示を出した。
「午後のプレゼン資料のデータ、まとめてフォルダに格納しといたから先方用に印刷しといて貰えたら助かるんだけど〜」
「あ、はい……分かりました」
 ハリボテの笑顔を浮かべ、雑用押し付けやがってこの野郎! と脳内だけで悪態をつく。真奈美さんは相変わらず爪を眺め、鼻歌交じりにその場を去っていった。
 私は嘆息して指示通りに資料を確認し、コピー機へ足を運ぶ。ガシャガシャと忙しなく動作して紙を吐き出し始めた機械をぼんやり見つめている間も、頭の中を占めていたのは武藤くんの事ばかりだった。無意識に彼の事を気にしている自分にほとほと呆れてしまう。
 先日、体を重ねて共に朝を迎えたあの時。「仕事あるから帰るね」と玄関から出て行こうとする彼の背中を、私は思わず引き止めそうになった。どうしてあんなに名残惜しく思えたのか、自分でもよく分からない。
 もしかしたら、武藤くんは私の事が好きなのかも──なんて都合のいい妄想が脳裏を過ぎったせいで、思考回路が狂っておかしくなったんだろうか。ああ、うん、多分きっとそうだ。いま、私はおかしい。
(……次、いつ会えるのかな)
 だから、こんな風にらしくない考えを胸に抱いたところで、きっと何の問題もない……はず。
「連絡、してみようかな……」
 ちらり、デスク上に置かれたスマートフォンを一瞥しながら小さく呟いた。相変わらず武藤くんからの連絡が一切ないそれは、その後一日待ってみても、やはり震える事はなく。
 あっという間に夜のとばりが下りて帰宅したと同時に、私は落胆しつつベッドに倒れ込んだ。
「何で連絡こないのよぉー……」
 じたばた、足をばたつかせてクッションを抱き寄せる。深くこぼれた溜息のあと、再びスマートフォンへと視線を戻すがやはり連絡はない。
 気になるなら自分から連絡すればいい、という至極単純で明快な解は既に出ているのだ。頭ではそう理解しているのだが、妙な意地が邪魔をして電話をかける気になれないから困っているだけで。おかげさまで、今日の私は四六時中上の空。
「……武藤くんに振り回されるのは、もうやめようって決めたのに……」
 呟き、またクッションを抱き締める。先日「デートしよう」と誘われた時、本当は嬉しかった。ヤリモクではないと宣言されて、期待ばかりを膨らませてしまった。彼の一言で一喜一憂してしまって、完全に武藤くんの手の平の上で転がされている現実に頭を抱える。あの檸檬の飴玉の味が、愛おしくて恋しくなる。
「私、檸檬なんて嫌いだったはずなのにな……」
 呟き、無意識に遠くを見つめた。そう、私は元々、檸檬の味が苦手だった。あの強い酸味がどうにも受け付けられなかったのだ。なのに、今ではこんなにも恋しくなるなんて──と考えた瞬間、先日このベッドで体を重ねた事まで思い出してしまい、私は慌ててかぶりを振る。
「ああ、もうっ! 考えるのやめやめ! 今日は一人で飲んじゃえ!」
 がばっと起き上がった私は火照った顔の熱を冷まそうとキッチンへ向かい、冷蔵庫の中から檸檬のチューハイを取り出した。こんなところにまで彼を彷彿とさせる黄色いそいつが目について、むうっと表情を歪めつつプルタブを開く。
(……悔しい。何でこんなに会いたいのよ)
 かしゅ、と音を立てたそれを開栓して喉に流し込み、私は微炭酸の檸檬味をこくんと飲み込んだのだった。

 * 

 ──ヴーッ、ヴーッ。
「……んん……」
 とろりと微睡む意識の中、私はふと浅い眠りから目を覚ました。枕元では短く振動したスマートフォンの明かりが灯っている。
 缶チューハイ一本だけでもじゅうぶん過ぎるほど酔えてしまう私。お酒を呑み終えると、すぐにシャワーを浴びてベッドで横になった。
 体を温めたおかげで酔いも回ってしまったのか、覚束ない意識がいまだに脳の覚醒を阻んでいる。まるで宙に浮いた頭が、ぷかぷかとどこかをたゆたっているみたいだ。私は眠い目をこすり、メッセージの受信を報せる画面に目を向けた。
『Aさんからの新着メッセージがあります』
 視線が拾い上げたその一文。Aさんって誰? ──と寝ぼけた頭で訝しんだ直後、脳裏に浮かんだのは彼の顔だった。
「……武藤くん……?」
 半分酔った思考がそう結論を出し、すぐにメッセージを開く。
 表示された名前は〝A〟の一文字。〝綾人〟の頭文字を取って、そう記しているのだろうか。
 プロフィールに設定された写真に顔は写っておらず、確認したメッセージの文面もややラフな印象。しかし覚醒しきっていない私の頭は、メッセージの送り主を武藤くんだとすぐに決定付けてしまった。視線は再び送られてきたメッセージの内容をなぞって拾い上げる。
『久しぶり〜』
『突然だけど、明日飲みいかん? 笑』
『送り迎えするし、よかったら返事して〜』
「……久しぶり〜、って……この前会ったばっかりじゃん」
 小首を傾げ、欠伸をひとつこぼしながら改めて文面に視線を落とす。普段とは違って随分とノリの軽い文章。実際の性格とSNS上での印象に差異がある人はたまにいるけれど、武藤くんもそういうタイプなのだろうか。
 とはいえ、ようやく待ち焦がれていた連絡がきたのだ。夢見心地をさまよいながらも私は胸を踊らせ、ほろ酔いの思考を強引に働かせて確認もろくにしないまま指先で返信を打ち込む。
『うん。いいよ』
 承諾すれば、すぐに返信が来た。
『マジで!? 断られると思ってた! 嬉しい〜。明日の夜七時でいい!? 車で迎えいくよ!』
『うん。分かった。家の場所わかる?』
『あ、わかんない! 教えて!』
『住所は──』
 強い眠気が襲ってくる中、私は彼に家の住所を送る。
 その後も何度か手の中でスマホが震えていたが、そこからは酒と眠気に支配された脳が記憶をあやふやに霞ませてしまって、あまりよく覚えていない。
 数回のやり取りを経て、眠気が限界に達した私は『もう寝るね』とメッセージを送信した。すると再びスマホが振動する。
『わかった! じゃあ、明日はよろしくね!』
 軽いノリで返ってきた返信。半分も動いていない脳にその文を送り込んだ頃、私の視界はとうとう眠気に支配されて狭まっていく。『おやすみ』と辛うじてメッセージを送れば、瞬く間に既読の表示がついた。
『うん、おやすみ! また明日ね!』
 ──六藤ちゃん。
 最近どこかで耳にしたような、慣れない呼び方。それを視線がぼんやりと追いかけた頃、私の瞼はついに重みに耐えきれず、受け取ったメッセージに既読をつけたまま力無く閉じられてしまったのだった。

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