シュガーレス・レモネード

umekob.

第7話 きっと遊ばれてるだけ

 ──ヴヴッ。
 時刻が午後を回り、デスクの上で自作の弁当を広げる。しかしその時、膝に置いていたスマホが震えたことで、私は卵焼きを口へ運ぶ事も忘れて即座に画面を確認してしまった。
 本日何度目かになるこの行為。だが通知はやはり期待したものと違い、肩を落とした私は、これまた何度目かになる深いため息をこぼした。
「……何だ。アプリの通知か」
「誰からの連絡を期待してんだァ? 六藤〜」
「ぐえっ!?」
 独り言を呟いた瞬間、がしりと背後から首に回された腕。可愛くない声が漏れたと同時に豪快に吹き出され、笑い出した彼に頬が熱くなる。
「ちょ、ちょっと、佐伯くん!」
「ウケる、カエルみたいな声出た! ははは!」
「急に首絞めるからでしょ! ばか!」
「いやあ〜、悪い悪い。逐一期待した顔でスマホ見るけど、その度にしょぼくれてる六藤があんまりにも健気でねぇ。ちょっかいかけたくなるわけよ」
「な……!!」
 一連の動向が筒抜けになっており、元より熱かった頬は更に温度を上げる。「愛しのダーリンからの連絡はこず?」とニヤつく彼の揶揄に、「ばか!」と私は顔をそむけた。
「ち、違うから! 別にあの人からの連絡待ってるわけじゃないから!」
「あの人って誰っすかぁ? やっぱ誰か意識してんじゃん」
「ち、違うったら……!」
「どうせ綾人さんだろ。先週なんかあった?」
 小声で告げられた名前に、びくりと肩が跳ね上がる。「わっかりやす」と笑った佐伯くんを睨むが、彼は怯む気配もなく私の隣の椅子に腰掛けた。
「恋する乙女は大変ですなァ、あんな才能溢れるイケメン狙ってんの? 不毛だわ〜」
「だから違う! 武藤くんの事は別に何とも思ってないってば!」
「いや〜、どうだか。でもさ、あの感じは相当遊んでるっしょ。キープのセフレとかめちゃくちゃ居そう」
「いっ……! る、と思う……」
 デリカシーに欠ける佐伯くんの発言に一瞬反論しようとした私だったが、否定しきれず呆気なく認めてしまった。私は俯き、スマホの画面を見つめる。着信履歴に彼の名前はない。
「……遊ばれてるだけだと思う?」
 ぼそりと問いかければ、佐伯くんは「さあ〜」と肩を竦めた。みなまで言わずとも、どうせ男女間の何かがあった事ぐらいは見透かされているのだろう。
「どこまでヤッたんだよ。最後まで?」
「……あんまり覚えてなくて」
「ワァオ、都合のよろしい女っすねえ。酔った勢いでゴリ押しされたんか。ちなみに次会う約束は?」
「されてない……」
「じゃあほぼ確定的にヤリモクだろ」
 ばっさり。最も懸念している結論をストレートに投げ掛けられ、私は肩を落とした。
 一週間前、『ずっと六藤さんの事が可愛いと思ってた』と武藤くんに告げられた時、正直かなり動揺した。そして少しだけ嬉しいと思ってしまった。
 けれど、私達はもう大人。中学生の紡ぐ『可愛い』という一言と、成人男性の使う『可愛い』の一言では、意味合いも重みも全く異なる。
「私も、キープのうちの一人なんだろうな……」
 小さく呟き、止めていた手を再び動かして甘い卵焼きを口に運んだ。佐伯くんはじっと私を見つめ、口を開く。
「なあ。今夜飲み行こうぜ、六藤」
「……え」
「好きなもん奢ってやんぞ。何がいい?」
「……やきにく」
「え、思ったよりガッツリいくじゃん。可愛げねーな」
 呆れた顔をされたが、すぐに頭をぽんと撫でられる。「りょーかい、残業になんなよ」と悪戯に笑う彼に何だか気恥ずかしさを感じて、「そういうの、イケメンしかやっちゃだめなんだよ」とか細く告げれば「じゃあ問題ねーじゃん」と調子のいい口が生意気にのたまった。
 終始調子のいい彼に少し呆れる。けれど、佐伯くんと話すと心が軽くなるのも事実。男友達って今まで居た事なかったけれど、居たらこんな感じなのかな……とぼんやり考えながら、私はまたお弁当を口に運んだのだった。

 *

「なー、六藤、もう一軒だけ! もう一軒だけいこ!」
「えー? もうやめときなよ、佐伯くん……足元ふらふらしてるじゃない」
「お願い! 一生のお願い!」
「もー……」
 仕事終わりに焼肉屋へと赴き、食べ飲み放題のコースを頼んでから早二時間。会計を済ませて店を出た頃、佐伯くんはすっかり出来上がってしまっていた。そして現在、二軒目に行きたいと駄々を捏ねる彼に私は困り果てている。
「ワイン飲みてえんだよ〜! そこのイタリアンバルいこーぜ、六藤! ほらほら!」
「ちょっとぉ! 行かないってばー!」
 強引に肩を抱いて誘導しようとする佐伯くん。「いーじゃん、俺まだ帰りたくねーんだもん! 一人暮らし寂しいんだよぉ!」と私に擦り寄って喚いている。知るか! と私は彼を突き飛ばしてみたが、件の酔っ払いはニヤつくばかりで話にならない。
 飲み屋街の真ん中で小競り合いを続ける私たちには、道行く人々からの視線も当然集まるわけで。私はとうとう佐伯くんを強く押し返した。
「もー! いい加減にしてったら!」
「あ、六藤の髪の毛いい匂いする〜。なにこれ、シャンプー? 女の子っぽくていいじゃーん」
「こ、こらぁ! ばか、そういうのセクハラ──」
「──何してんの」
 直後。背後から耳に届いた第三者の声。
 約一週間ぶりに聞いたその声に、私の胸は跳ね上がった。振り向けば、やはり予想とたがわぬ彼の姿。
「……っ! 武藤、く……」
「あー! 綾人さん!!」
 しかし、私よりも先に佐伯くんが反応した。彼はぱっと表情を綻ばせ、「お仕事帰りっすかぁ!? ぐーぜん! なあ!」と私の背中をバシバシ叩く。
「あっ、そうだ! 綾人さんも今から一緒に飲み行きましょうよ! それなら六藤も来るだろ!」
「……はあ!?」
 続いて、とんでもない提案をした佐伯くん。何言ってるの! と即座に彼を咎めようとしたが、私よりも先に武藤くんが答えた。
「いいよ」
「……っ、え……?」
「ちょうど飲みに行きたいなと思ってたし」
 スニーカーの爪先をとんとんと鳴らし、武藤くんは無表情に頷く。佐伯くんは顔を上げ、「マジすか! さすが綾人さん!」と武藤くんの肩を引き寄せた。
「あそこのバル行きましょー! ワインが安くてうまいんすよ! ほら、六藤も! 何ぼんやりしてんだよ、置いてくぞ!」
「……あ……」
 佐伯くんに手招きされ、私はたじろぐ。どうしよう、どうしよう、と躊躇っていた私だったが、不意に振り返った武藤くんと視線が交わった事で──なぜか、体が勝手に動いてしまった。
 とんと地を蹴り、踏み出した一歩。夜の飲み屋街で一際目立つ檸檬色が、視線の先でゆらり、揺れる。
「う、うん! じゃあ、もう一軒だけ……」
 武藤くんにとって、私なんて、どうせ遊び相手の一人。それでも彼がいるというだけで、不思議と帰りたいとは思えなくて。
 私は顔を上げ、前を歩く二人の姿を追いかけて行ったのだった。

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