記憶をなくした超転生者:地球を追放された超能力者は、ハードモードな異世界を成りあがる!
第111話 時計塔殺人事件
ー
ーー
ー
「ぅ、うぅ」
まどろみの中、眠気を押して意思の力でゆっくりとまぶたを持ち上げていく。
眠りから目覚める時はいつもこうだ。
少年はそう活動を拒否する脳で何となしに思考する。
「もう朝かぁ」
布団からひょこっと顔を出して、窓外から差し込む青白い光を見て呟く少年。
分厚い布団の中から固い決意を持って、彼はもぞもぞと動きベッドからおりた。
途端、ひんやりとした床の冷たさが素足に直接伝わってくる。
「ひぃ!」
少年は足を下ろす位置を間違えたと思い、慌ててスリッパに足を突っ込み事で事なき得た。
危うく足裏が凍りついてしまうところだった、と床のを睨みつけて戦慄。
この頃のローレシアは本格的に寒くなって来ている。
朝起きるための試練を乗り越えるだけでも本気を出していかなければいけない。
出ないと一生布団の中から出てくることのできないミノムシになってしまう事だろう。
少年はそう思いながらほっと一息つき立ち上がった。
部屋を出て廊下へ。
共同の洗面所に向かい冷たい水で顔を洗う。
寝ぼけた思考、ふやけた視界が一気に覚醒していくのを実感する。
濡れた顔を柔らかいタオルで拭きながら、鏡に映った自分の顔を見据えた。
明るい茶色の髪に同色の瞳。
良くも悪くもこの異世界では至って普通な、整った顔の少年。
少年の名はゲンゼディーフ。
才能溢れる友人たちに囲まれたことをコンプレックスに感じ始めた年頃の若き学生魔法使いだ。
「よし、今日も頑張るぞ!」
自身に言い聞かせるようにして頬を思いっきり叩く。
「ぁ、ぅ、結構、痛い……」
以前アーカムのやっていた動作をまねしたゲンゼディーフだったが、思ったよりも痛かったらしい。
目尻に雫を潤ませた情けない顔をして、後悔している様子。
ため息をつき、自分に少々抜けたところのある事にきづていない少年は、赤くなった頬を抑えながら部屋へと戻った。
本日は12月18日。
最優秀決闘サークル決定レトレシア杯の2日前だ。
「エルトレット魔術師団」の部員として、下克上を狙うサテラインの事を少年は支えなければいけない。
とは言っても、正直な話、彼に出来ることは大してありはしなかった。
せいぜいサンドバックがわりにサテラインに魔法を撃ってもらう事にくらいだ。
「でも、僕にやれる事はしっかりやって2人の役に立たないと!」
少年は自分にとっては偉大すぎる2人の親友の姿を思い出し、実に楽しそうに微笑んだ。
彼、ゲンゼディーフはサテラインとアーカムの事が大好きなのだ。
言わずもがな魔術の大天才サテライン・エルトレット。
火でも水でも風でも土でも、神秘属性だって超高レベルで扱うことの出来る稀代の英傑。
杖を一振りすれば雨を降らせ、空を自由に泳ぎ、万物の自然現象をその手に収める。
歴史に名を残すことを約束された大魔術師ーーそれが少年の幼少の頃からの友人サテラインという人物なのだ。
そして幼少期からずっと同じ時間を過ごしてきた幼馴染。
ゲンゼディーフにとって彼女は雲の上の存在であると同時に、母親と同じくらい身近で大きな存在だ。
そしてもう一人の親友アーカム・アルドレア。
自身をいじめっ子たちから助け出し、なんでも完璧にこなす事の出来るスーパーヒーロー。
万人が苦手とする神秘属性の珍しい魔法、聞いたこともないようなーーマイナー魔法、不人気ーー魔法を次々に使えるようになる天才。
さらに彼の凄いところは魔術だけではない。
徒手でだって実に多種多彩な武芸を身につけており、剣気圧を非常に高い次元で扱う事ができるのだ。
聖獣を片手で持ち上げ、一足で魔術大学の屋上に舞い上がり、汗ひとつかかずに疾風の如く大地を駆け抜け、魔法だって見てからでも避けれる。
鉄鋼の土魔法を受けたって傷一つつかない。
並の人間では到底辿り着けない境地の超人的な身体能力を既に持っているのだ。
少年は友人のサムラが「アーカムの剣の腕はなかなかのモノ」と言っていた時の事を回想する。
最強の申し子である勇者にさえ認められるアーカムはやっぱり凄い人なんだ。
ゲンゼディーフはそんな彼のスーパーヒーローの親友でいれることに誇りを感じているのだ。
「へへ、カッコよくて、強くて、いつも勉強教えてくれてーー」
ゲンゼディーフは大好きな親友たちの姿を思い描きながら、学校へ赴く準備をする。
今日は休日。
だが、もう2日後にはレトレシア杯があるので当然のように決闘サークルの集まりがある。
自分は戦力としては役に立たないのだから、早めに言ってお茶でも沸かしておくくらいした方が良い。
そうじゃないときっとあの2人に愛想をつかされてしまう。
ゲンゼディーフにはそんな言い知れぬ不安がある故に、少しでも役に立てるように在ろうとしていた。
自分では対等な友達にはなれないのだからーー。
しかし、少年の抱える不安はそれだけではない。
ロープに着替えるため、寝間着を脱いだゲンゼディーフは自身の体を見下ろした。
「これなぁ」
ゲンゼディーフはわずかに膨らんだ自分の胸に手を当てて困惑的な顔をした。
事実、彼は困っている。
「どうしよう」
眉根を寄せて微妙にくびれた腰に手を当てる。
彼にとってこれは非常にまずい事態なのだ。
「やっぱり、もう隠せないかな」
ため息をつきながら今まで問題を先送りにしてきた過去の自分に呪詛を詠唱する少年。
ゲンゼディーフ今年で12歳。
来年の3月になれば13歳だ。
「言わないと、だよね」
言葉を発して自身の秘密を打ち明ける覚悟を己に促す。
生まれてこの方ずっと隠してきた秘密。
幼馴染のサテラインでさえ知らない秘密。
「僕が女の子ってこと」
薄暗い室内で少年は大きく息を吸い、そして吐き出した。
紐を手に取り軽く髪の毛をまとめてみる。
そうして鏡を見れば……ふむ、やはり女の子になってしまった。
ゲンゼディーフは寒さなどお構いなしにさっと寝間着を脱ぎ捨てて外服に着替えた。
彼の、いや彼女の髪色と同色の明るい瞳にはすでに決意が固まっている。
今日こそは秘密を打ち明けよう。
ー
心機一転してなにやら腹をくくった顔の女子がひとりレトレシア区の通りを歩いている。
今朝方覚悟を決めたばかりのゲンゼディーフだ。
ゲンゼディーフの足取りは軽快で、まったく止まる気配などはない。
早朝の冷たい空気を肩で切りながらどんどん歩いていく。
まるで一度でも足を止めて仕舞えば、もう進めなくなってしまうと言わんばかりに。
「キャァァォアア!」
「ッ!」
しかし、そんなゲンゼの決意は第三者によって簡単に踏みにじられた。
無視できないほどの悲鳴が一本となりの通りから聞こえてきたのだ。
早朝とは言えぽつぽつと人影のある大通り。
通りを歩く人間は皆、今しがた響き渡った悲鳴の方向へ注意を向けていた。
声に含まれた恐怖の感情に、ただ事じゃないと察したゲンゼはローブを翻してすぐさま駆け出した。
整備された石畳みの道を駆け、建物と建物の間の薄暗い路地を抜けて隣の通りへと踊り出る。
噴水のある広場と時計塔が隣接した通りだ。
荒く乱れた呼吸を整えながら視線を振れば、そこには既にたくさんの人が集まっている事がわかった。
早朝から日々の営みに従事する者たちが皆集まっているのだ。
ゲンゼディーフは首振ってあたりを見渡し、状況を確認しようと試みる。
そして数瞬の後に気がついた。
皆の視線が上に向いている事に。
「一体なにが……」
人々の視線を追って噴水前の遥かなる時計塔を見上げる。
そして、気がついた。
そこにいた人間にーー。
「ぅ、ぁ、あぁ……」
時計塔の上にいたのは人間。
正確には人間たちだ。
皆仲良く手を繋いで虚ろな瞳でこちらを見下ろして来ている。
ゲンゼディーフは驚愕の光景に腰を抜かして尻餅をついた。
時計塔の外壁をしたたり落ちる赤い塗料。
未だ乾いていない艶々として粘性のある赤は、荘厳な彫刻の施されながらも親しみのわく時計塔を真紅に、そしてどす黒くく染め上げる。
突如していつも住んでいる街に入り込んだ、日常とは程遠い異常な光景の過酷。
その常軌を逸した恐怖にゲンゼディーフは声を出す事が出来なかった。
時計塔の上にいる人間たち。
彼らは皆、死んでいたのだ。
胸部を巨大な杭で時計塔外壁に打ち付けられていた彼らは、だらりと生気のない腕を隣の打ち付けられた死体の手と仲良く手を繋がされていた。
あまりにも狂気的。
あまりにも猟奇的。
あまりにも非人道的。
その有り様、まさに悪魔の所業。
ー
ーーアーカム視点ーー
ー
「アーカム! 殺人事件だって! すぐそこだよ!」
中庭で「行ってきますのポチいじり」をしていると背後から焦りを含んだ声が聞こえてきた。
騒がしさを感じながら耳をぐしゅぐしゅしてモッフニウムを摂取し続ける。
そうしてうちの子に1日を頑張る活力を貰いながら俺は聞き返す。
「殺人事件?」
片眉あげてぴょんぴょん跳ねて自己主張してくるマリへと問い返す。
今日は珍しく早起きして俺より先に学校に行っていたと思ったのだがな。
どうやら最新のニュースを引っさげて戻ってきたらしい。
張り切るマリは手で招くような動作をしている。
「そう! ねぇねぇ見に行こうよ!」
「殺人事件かぁ」
顎に手を当てて少し思案してみる事にした。
エキストラ的な立ち位置の事件現場を傍観する群衆となるのも面白いかもしれない。
前世じゃ事件現場なんて遭遇した事が無かったからな。
「よし、ちょっと行ってみるか」
「わぉわぉ」
「おう、それじゃなポチ」
「わぉわぉ♡」
鼻をこすり付けて甘えてくるポチをひと撫でして、もっと愛でたい衝動を抑えながら背中を向ける。
「お、ところでそのユニフォームヴァンパイアの?」
「あっ気がついた〜?」
真っ赤なロングコートを着たマリを見て咄嗟に悟った。
およそ決闘サークルのユニフォームだと。
色合いからヴァンパイアかと思ったが、案の定クリムゾンヴァンパイアのユニフォームらしい。
「そりゃ気づくだろ」
「へへ、だよねぇ」
マリの傍まで来て、少女が髪の毛にゴミをくっつけている事に気づく。
黙って軽く払い落としておく。
「ねぇねぇ、似合ってる?」
マリの頭にゴミを落とすべく近づけた手に白く細い指を重ねられる。
マリは頬を染めて恥ずかしそうに聞いてきた。
ふん、その質問は既に学習済みなんだ。
俺に死角はない。
「あぁマリの明るい茶髪がより際立って見える。とっても似合っているよ」
ついでに歯を光らせながら軽く頭を撫でておく。
必殺「服装は髪の毛と一緒に褒める、と子供は頭を撫でておけ」の術。
「ぁ、しょ、そうかな? 似合ってるかぁ〜、そっかぁ、ふふ」
「あぁすごく似合ってる」
「うへへ、ありがと」
マリの機嫌をとるべく盛大に持ち上げながらトチクルイ荘を後にした。
ー
「うっわぁ、これはひどいね」
「やばいだろ、何だよこれ」
血に濡れた時計塔を見上げてあまりの惨状に眉をひそめてしまう。
殺人現場と聞いて興味本位でやってきた。
だが、そこは想像を遥かに超える悲劇が待っていた。
警察ドラマなどのようにブルーシートで現場が隠されてるわけではない、完全にモノが晒された状態。
目を細めて頭上十数メートルの位置を見定める。
時計塔の頂上付近の外壁に貼り付けにされているのは人間の遺体。
幼い子供、ペアルックの上着を着たーーカップルだろうか? ーー若者たち、壮年に老年の男女。
殺されている人物たちに特に特徴がある訳ではない。
皆一律に胸部のど真ん中を巨大な黒色の杭で貫かれ時計塔の外壁に打ち付けられている。
よく見ると黒色の杭には模様が彫ってある事がうかがえた。
目を細める。
何かしら魔術的、あるいは呪術的な意味や効果があるのだろうか?
血に汚れた杭は見辛くここからでは詳しくはわからなかった。
「最後は手を繋いで仲良くゴール、か」
「もう、不謹慎な事言わないでよ」
「マリも殺人現場見に行こうとか言ってたろ」
マリの肘に脇腹を小突かれ、たしかに不謹慎だったと臨場された方々に手を合わせておく。
「いやはや、酷い事件ですなぁあ〜」
「ん?」
ただ今不謹慎を反省したところへ陽気な口調が聞こえてきた。
声の発生源はすぐ隣。
「そうは思いませんぅう?」
首を捻って顔を向ければそこには白塗りピエロメイクの男がニヤニヤと笑いながら立っていた。
不気味になまでに高い鼻。
三日月を連想させるほどに広く裂けた口からは綺麗な歯がずらりと並んで見える。
服装は真っ黒な喪服のようなもの。
身長は高く体は細く。
枝のように細長いイメージを受ける男だった。
かつて遭遇したマフィアの用心棒ラストマンを連想させる。
暗い服装の割には奇抜で派手なハットを被っているあたり、ファッションセンスは死んでいると見てまず間違い無い。
言ってることとは裏腹に全然事件のことを憂いていないのが顔に書かれていることからマトモでもないだろう。
「あぁ酷い事件だよ。どうすりゃ人があんた高さで張り付けになるんだろうな」
年のわかりにくい白塗りの男を見上げながら当たり障りのない疑問を投げかける。
だが、実際のところ俺にはなんとなく予想はつく。
こんな事は犯人が人間じゃないと仮定するなら大して難しい事じゃない。
「えぇ本当ぉに不思議ですねぇえ〜」
「はぁ……あんた少しは空気読んだ方がいいぜ」
「おじさん回り見た方がいいよ?」
相変わらずニヤニヤと口を広げて笑いながら、楽しそうにしているピエロ男に注意を呼びかける。
あのマリだったちゃんと雰囲気を察してぴょんぴょんしてないんだ。
「そうですねぇぇえ〜、人間がたくさん集まってきてますねぇぇえ〜」
「いや、そこじゃなくて、空気を察しろってこと」
マリの忠告通りに首を回してぐるりと噴水前広場を見渡す男。
周り見ろって言ったけどそういうことじゃないんだよなぁ。
「察してますともぉお。空気には人一倍敏感なんですぅぅう」
男はそう言うと両の手を胸前で合わせた。
もぞもぞと手もみしたかと思ったら、ゆっくりと手と手の間の距離を空けていく。
「なっ!」
「ははぁあ」
何をするのかと見ていれば、なんと男の合わせた手の間から細長いステッキがにゅにゅっと現れたのだ。
「我輩は手品師なんですぅよぉお。ピエロかと思ったでしょぉぉお? わかりますぅう、空気が見えてるんでぇぇえ〜」
「マジシャンか」
「え、すごぉー! おじさんどうやったの!?」
男の手品に圧倒的な食いつきを見せるマリ・トチクルイ。
なんだよ、さっき不謹慎がどうとか言ってたのはどこのトチクルイだ。
「ははぁあ、これは手品ですのぉでぇ、簡単にタネを教えてあげることはぁ出来ませぇんぅう〜」
「えぇーいいじゃん! 教えてよ!」
マリがぴょんぴょん跳ねそうになるのを肩を抑えて阻止する。
「無理ですぅう〜」
「いいじゃん!」
「無理ぃい、無理ぃい〜」
負けじと食い下がるマリに対し男は指を振って「ノンノンノン」と言いたげにムカつく顔をしている。
「ただぁあ〜、ひとぉつだけ教えてあげてもいいですよぉ〜」
「あ、やった!」
「おじいさんの名前ぇぇえ〜」
「いやいや、別にいいよそんなのー。教えてもらっても仕方ないし」
男の返答に盛大にズッコけるマリ。
転びそうになるマリを片手で支えておく。
まったく、世話のかかる子供だ。
それにこの長身のおっさんもおっさんだ。
頼むからマリをわくわくさせないでくれよ。
「我輩の名前はぁあーー」
「いや、だからいいって別に」
誰も聞いていないのに勝手に名乗ろうとしてくる男。
ステッキを掲げてただでさえ高身長で目立つ風態をさらに主張しだした。
やっぱコイツ見た目通りの変人だな。
さっきの手品は魔力を感じなかったから、まったくもって凄い技術だとは思うけど性格に難ありって感じのタイプの人間だ。
ニヤつく男に対する人物評価を下していると、長身の男は腰を折って顔を急激に下げ始めた。
「すぅいぃ〜」
「うわっ、なんだよ!」
ステッキを掲げて名を高々に名乗るのかと思ったら、急に顔を耳元に近づけてくる。
わけのわからない奴だ。
一体何がしたいんーー。
「我輩の真の名をーー」
ピエロ男は耳元で囁くように、嫌らしい声音で自身の名前を言おうとしている。
ただそれだけのことなのに、何故か妙な心地よさを感じてしまい男の声に耳を傾けてしまう。
やけにゆっくりと流れる時の中、男の声音ははっきりと明瞭に耳の奥を振動させて伝わってきた。
なんでだろうか、絶対に聞き逃してはいけないような、そんな気がするのは。
「デァ・ビー・ラァ・ァダス・ベスト・ソロモン」
何もかもが鈍重に動き、時でさえ重たい腰を上げようとしない空間の中、男は噛みしめるように、
言い聞かせるように、約束するように、魂に口づけするように、優しくただひたすらに優しく、その名を脳裏に染み込ませてくる。
「あんたはーー」
ゆっくりと流れ行く時がだんだんと加速していく。
それに伴い俺は言い知れぬ恐怖と焦りから、すぐ傍の男の顔を見ようとしてーー。
「はい、正解、悪魔でござますぅ〜」
「嘘だろ……ッーー」
その瞬間ーー世界が反転した。
コメント