ごみ人間 『お前がおらんと、おもんない』って言わせたる♡
プロローグ
暑い夜だった…
その日は、本当に暑かった。
日中の最高気温を18年振りに塗り替えたほどなのだから、暑いと感じるのも当然である。
ただでさえ、人々はコロナによってマスク生活を余儀無くされていると言うのに。この暑さのお陰で、開放感と言うものを何処かに忘れて来たかの様だった。
寝静まった夜の街。
人の気配は感じられなかった。
それなのに、何故か、息苦しさを感じずにはいられない。
そんな夜だった。
徳島県徳島市…
海と山に囲まれ、自然が豊かである。
だから、意外と食べ物が美味しい…と言うのは、余り知られていない。夏、ともなれば阿波踊りの観光地としても有名で、多くの人がこの地を訪れる。
そんな、田舎の中の高級住宅街とされる、のどかで、静かな場所。高台には百坪を超える様な大きめの家が幾つも建っている。
そんな夜に、そんな場所で、物語は…
ひっそりと幕を開ける。
石山優斗 17歳。
少年は.コロナウィルスの所為で昨日から自宅療養と言うことになっていた。彼の余り親しく無い、学校の友人がコロナウィルスに感染した、と昨日連絡があった所為だ。
残念な事に、少年もまた、朝から微熱があった。
37度4分
格別高い訳では無かったが、明らかに平熱でも無い。若干の気怠さを感じ、トイレ以外、今日は、自分の部屋から一歩も外に出て居ない。優斗はついさっきまで、そのベッドで熟睡していた。
目が覚めたばかりなのだ。
身体が、自分のものでは無いかの様に感じていた。
「なんか、怠い…」
机の上に水筒が置いてある。
中には冷たい水と氷が入っていた。
少年はそれを手に取ってその重みで中身を確認する。それから、キャップのロックを指で外すと、カチリと蓋が開いた。
ゴクゴクと喉を鳴らす優斗。500ミリリットルを瞬く間に飲み干して、水筒の中には氷だけが残った。
「…なんか、変」
そう言うと、少年は立ち上がり、カーテンに手をかけ、そして窓ガラスを開いた。生温い湿気を帯びた夏の風が部屋の中に入ってくる。
むわっとした感じが、頬に纏わり付く。
不思議と嫌じゃ無かった。
「あれ?」
虚な目で、何かを探すように空を見上げる少年。
鼻筋が通っている。
色白で、何よりも瞳が美しい。星あかりで輝いて見える。長い睫毛が、少年の見た目により一層、華を持たせていた。
所謂、美少年という奴だ。
「呼ん…でる?」
自分の絞り出した言葉に意味が解らないと言うふうに首を捻った。
「僕は、何を言いよるん…」
そう呟いた。
ただ、夜の空を見上げていた。
長い間、30分はそうしていただろうと思う。
まるで祈るかの様に。
ともすれば、銀河鉄道の列車が轟音を上げて到着しそうな、静かで美しい夜。
星の光に吸い込まれそうだった…
無言だった。
黙ったまま、その先にある何かを探している。確かに、少年は夜空の先を、宇宙を見詰めていた…
不意に少年の背後で扉を叩く音がした。
「優くん、起きとう? 身体の調子どないえ?」
優しい声で、優斗の母親が扉を開けて、部屋に入って来た。先月、40歳になったばかり。色白でふっくらとした美人である。手にはお盆を持っていた。
お盆の上には、新しい冷たい氷水の入った水筒と、体温計。優斗の為に持って来たものだ。
「あら、起きとるんやね。新しいお水と体温計持って来たけん、熱、測りなよ」
優しい母親の声。
優斗はゆっくり振り向いて笑顔を見せた。
「元気そうで良かった。でも、無理したらあかんよ」
母親が、飲み終わった水筒と新しい水筒を置き換えて、そして机の上に体温計を置いた。
マスクをしてはいるが、優斗を見詰める目は、いつもの優しい瞳だった。
「ほな、下に降りとくけん。ちゃんと体温、測るんよ」
「うん、解った…」
優斗の声に満足気に頷くと母親が部屋から出る為に向きを変えようとした。
その時である…
少年が、意味の解らない事を口走ったのだ。
「僕はな、宇宙を飛べるんよ」
「え?」
何を言っているのか、解れという方がおかしな話である。人間はどうしたって、空なんて飛べないのだから。仮に飛行機と言う手段を用いたとしても。
少年が空を飛べると言うことでは無い。
小さな頃から優斗は、余り、自分と言うものを表現する事の無い子供だった。だから、母である秋季にとっては常に心配の種だった。
そして、だからこそ、4人の子供の中で誰よりも可愛い存在に違いなかったのだ。
「優くん?」
優斗の額に紅い光が見えた気がした。
秋季はその場に立ち尽くす。
何故なら、優斗の身体が宙に浮かび上がったから。身長170センチ体重64キロの肉体が、ゆっくりと秋季の見ている前で、浮かんでゆく。
一般家庭の天井など3メートルもあれば、高い方である。床から、足が20センチも浮けば、見間違い様が無い。
理解出来ない現実が、非日常が目の前に突き付けられた。驚くな、と言う方がどうかしているのだ。
「?」
目の前で起こる現実に理解が追いつかない。状況を理解する為に、人は考える。秋季もまたそうだった。それでも、考えは纏まらない。
自らの処理しきれない情報を前にすると、間違い無い。人は、必然的に、その場に立ち尽くす事になる。
「おかあさん、僕はな、飛べるようになったんよ」
そう言うと秋季の方を向いたまま、背中から優斗が窓の外に飛び出した。まるで背後にも目があるかのように、窓枠に掠ることも無く器用に…勢いよく。
此処は2階である。
落ちれば死にはしなくても、大怪我は免れない。嫌、後ろ向きに落ちたとしたら、打ちどころが悪ければ、最悪、死ぬこともあり得る。
手に持ったお盆を放り投げるようにして机の上に置くと、秋季は窓際に走り寄った。無意識に息子の名前を叫びながら。
「優斗ぉぉぉぉ!!」
窓の下に目をやっても優斗の姿は何処にも無かった。信じられない事。だが、それが現実なのだ。
恐る恐る上を見上げると、其処に優斗が立っていた。
厳密には、立っている訳では決して無い。
宇宙を飛んでいるのだ。
優斗の肉体を支える足場が、其処に存在しないのだから。しかし、空中に完全に静止したその姿は立っているとしか形容出来なかった。
「おかあさん、僕はな、あの人に逢いに行ってくるけん。心配せんでええけんな。僕は大丈夫やけん」
何が? 何が大丈夫なん?
秋季の頭の中でその言葉が何度も何度も響いていた。それなのに、あまりの事に言葉を発する事が出来なかった。
「…」
口をパクパクとさせている。
「すぐに帰ってくるけん。おかあさん、ほしたら、行ってくるけん。うん、行ってきます」
そう言うと、優斗は振り向いた。
優斗の背中に四つの光が見えた気がした。服の中で紅く光って、それが大きな光に。突然だった。秋季が眩しいと感じた時には、反射的に目を閉じていた。
だが、それも一瞬のことでしか無い。
気が付けば辺りは真っ暗で、秋季が、そっと目を開けると、もう、其処に可愛い息子の姿は無かったのだから。
真っ暗になった空を、呆然と秋季は見上げるしか無かった。暫くして秋季の悲鳴の様な声が響き渡った。階下で寛いでいるはずの、夫の名前を何度も、何度も叫んでいた。
その日は、本当に暑かった。
日中の最高気温を18年振りに塗り替えたほどなのだから、暑いと感じるのも当然である。
ただでさえ、人々はコロナによってマスク生活を余儀無くされていると言うのに。この暑さのお陰で、開放感と言うものを何処かに忘れて来たかの様だった。
寝静まった夜の街。
人の気配は感じられなかった。
それなのに、何故か、息苦しさを感じずにはいられない。
そんな夜だった。
徳島県徳島市…
海と山に囲まれ、自然が豊かである。
だから、意外と食べ物が美味しい…と言うのは、余り知られていない。夏、ともなれば阿波踊りの観光地としても有名で、多くの人がこの地を訪れる。
そんな、田舎の中の高級住宅街とされる、のどかで、静かな場所。高台には百坪を超える様な大きめの家が幾つも建っている。
そんな夜に、そんな場所で、物語は…
ひっそりと幕を開ける。
石山優斗 17歳。
少年は.コロナウィルスの所為で昨日から自宅療養と言うことになっていた。彼の余り親しく無い、学校の友人がコロナウィルスに感染した、と昨日連絡があった所為だ。
残念な事に、少年もまた、朝から微熱があった。
37度4分
格別高い訳では無かったが、明らかに平熱でも無い。若干の気怠さを感じ、トイレ以外、今日は、自分の部屋から一歩も外に出て居ない。優斗はついさっきまで、そのベッドで熟睡していた。
目が覚めたばかりなのだ。
身体が、自分のものでは無いかの様に感じていた。
「なんか、怠い…」
机の上に水筒が置いてある。
中には冷たい水と氷が入っていた。
少年はそれを手に取ってその重みで中身を確認する。それから、キャップのロックを指で外すと、カチリと蓋が開いた。
ゴクゴクと喉を鳴らす優斗。500ミリリットルを瞬く間に飲み干して、水筒の中には氷だけが残った。
「…なんか、変」
そう言うと、少年は立ち上がり、カーテンに手をかけ、そして窓ガラスを開いた。生温い湿気を帯びた夏の風が部屋の中に入ってくる。
むわっとした感じが、頬に纏わり付く。
不思議と嫌じゃ無かった。
「あれ?」
虚な目で、何かを探すように空を見上げる少年。
鼻筋が通っている。
色白で、何よりも瞳が美しい。星あかりで輝いて見える。長い睫毛が、少年の見た目により一層、華を持たせていた。
所謂、美少年という奴だ。
「呼ん…でる?」
自分の絞り出した言葉に意味が解らないと言うふうに首を捻った。
「僕は、何を言いよるん…」
そう呟いた。
ただ、夜の空を見上げていた。
長い間、30分はそうしていただろうと思う。
まるで祈るかの様に。
ともすれば、銀河鉄道の列車が轟音を上げて到着しそうな、静かで美しい夜。
星の光に吸い込まれそうだった…
無言だった。
黙ったまま、その先にある何かを探している。確かに、少年は夜空の先を、宇宙を見詰めていた…
不意に少年の背後で扉を叩く音がした。
「優くん、起きとう? 身体の調子どないえ?」
優しい声で、優斗の母親が扉を開けて、部屋に入って来た。先月、40歳になったばかり。色白でふっくらとした美人である。手にはお盆を持っていた。
お盆の上には、新しい冷たい氷水の入った水筒と、体温計。優斗の為に持って来たものだ。
「あら、起きとるんやね。新しいお水と体温計持って来たけん、熱、測りなよ」
優しい母親の声。
優斗はゆっくり振り向いて笑顔を見せた。
「元気そうで良かった。でも、無理したらあかんよ」
母親が、飲み終わった水筒と新しい水筒を置き換えて、そして机の上に体温計を置いた。
マスクをしてはいるが、優斗を見詰める目は、いつもの優しい瞳だった。
「ほな、下に降りとくけん。ちゃんと体温、測るんよ」
「うん、解った…」
優斗の声に満足気に頷くと母親が部屋から出る為に向きを変えようとした。
その時である…
少年が、意味の解らない事を口走ったのだ。
「僕はな、宇宙を飛べるんよ」
「え?」
何を言っているのか、解れという方がおかしな話である。人間はどうしたって、空なんて飛べないのだから。仮に飛行機と言う手段を用いたとしても。
少年が空を飛べると言うことでは無い。
小さな頃から優斗は、余り、自分と言うものを表現する事の無い子供だった。だから、母である秋季にとっては常に心配の種だった。
そして、だからこそ、4人の子供の中で誰よりも可愛い存在に違いなかったのだ。
「優くん?」
優斗の額に紅い光が見えた気がした。
秋季はその場に立ち尽くす。
何故なら、優斗の身体が宙に浮かび上がったから。身長170センチ体重64キロの肉体が、ゆっくりと秋季の見ている前で、浮かんでゆく。
一般家庭の天井など3メートルもあれば、高い方である。床から、足が20センチも浮けば、見間違い様が無い。
理解出来ない現実が、非日常が目の前に突き付けられた。驚くな、と言う方がどうかしているのだ。
「?」
目の前で起こる現実に理解が追いつかない。状況を理解する為に、人は考える。秋季もまたそうだった。それでも、考えは纏まらない。
自らの処理しきれない情報を前にすると、間違い無い。人は、必然的に、その場に立ち尽くす事になる。
「おかあさん、僕はな、飛べるようになったんよ」
そう言うと秋季の方を向いたまま、背中から優斗が窓の外に飛び出した。まるで背後にも目があるかのように、窓枠に掠ることも無く器用に…勢いよく。
此処は2階である。
落ちれば死にはしなくても、大怪我は免れない。嫌、後ろ向きに落ちたとしたら、打ちどころが悪ければ、最悪、死ぬこともあり得る。
手に持ったお盆を放り投げるようにして机の上に置くと、秋季は窓際に走り寄った。無意識に息子の名前を叫びながら。
「優斗ぉぉぉぉ!!」
窓の下に目をやっても優斗の姿は何処にも無かった。信じられない事。だが、それが現実なのだ。
恐る恐る上を見上げると、其処に優斗が立っていた。
厳密には、立っている訳では決して無い。
宇宙を飛んでいるのだ。
優斗の肉体を支える足場が、其処に存在しないのだから。しかし、空中に完全に静止したその姿は立っているとしか形容出来なかった。
「おかあさん、僕はな、あの人に逢いに行ってくるけん。心配せんでええけんな。僕は大丈夫やけん」
何が? 何が大丈夫なん?
秋季の頭の中でその言葉が何度も何度も響いていた。それなのに、あまりの事に言葉を発する事が出来なかった。
「…」
口をパクパクとさせている。
「すぐに帰ってくるけん。おかあさん、ほしたら、行ってくるけん。うん、行ってきます」
そう言うと、優斗は振り向いた。
優斗の背中に四つの光が見えた気がした。服の中で紅く光って、それが大きな光に。突然だった。秋季が眩しいと感じた時には、反射的に目を閉じていた。
だが、それも一瞬のことでしか無い。
気が付けば辺りは真っ暗で、秋季が、そっと目を開けると、もう、其処に可愛い息子の姿は無かったのだから。
真っ暗になった空を、呆然と秋季は見上げるしか無かった。暫くして秋季の悲鳴の様な声が響き渡った。階下で寛いでいるはずの、夫の名前を何度も、何度も叫んでいた。
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