瞼の重み

圓道義信

最終話

彼は32歳まで勤めていた、運送会社を辞め、現在は介護ベッドの販売員として、家々を回っている。ターゲットを確定しないために、いつのタイミングで使えるかわからない英会話教室に通い、時間があればテープに耳を傾ける。
 大型トレーラーで、全国を有名なバンドと一緒に回っていた彼は、父親の脳挫傷をきっかけに、ハンドルを置き、介護の勉強を始めた。
 義務教育は小学校までで終え、中学からは専ら裏業界の勉強に勤しんだ彼は、15で近所の暴走族に入り、17で総長にまで昇進した。
父一人子一人の環境で育って来た彼は、少年院を出てすぐに、チンピラとして屋台で、たこ焼きを焼き、そこで出会った四つ下の女の子と同棲。結婚を期に足を洗い、全うな道を探すべく、地方を回れる大型のトレーラーを選んだ。
 結婚後間も無く生まれてきた、長男と若妻を、家に置きっぱなしにしないといけない辛さと、当時の先輩や後輩達からの視線から身を隠さずにいられない辛さはあったが、彼は必要以上に仕事をこなし、必ず現地のお土産を忘れなかった。
 その生活が二年も半ばに差し掛かった頃、九州講演を終え、三か月ぶりに戻った彼を待っていたのは、空虚の静けさと離婚届の紙きれだった。
 一ヶ月後の東北講演までに、全ての事を知った彼は、部屋をトレーラーの中に移し、環境を港へと変えた。
 彼の元妻が大好きだった、『抱き締めたい』を聞きながら、自分の後輩に息子の将来を託した彼は、8年間この街に戻ることは無かった。
 彼が再びこの街に戻ってくるきっかけは、病院からの一本の電話だった。
 何年も顔を合せていない父親の危篤。
小学校を卒業してから、まともに顔を合わすことも、話すこともせずに、離れてきた自分に、まるで不幸の手紙のように、その電話はなった。
 それから三日後、大阪からの帰宅途中に父親の、これからの人生について聞かされた。
脳挫傷を患い、記憶障害を併発し、寝たままの人生が父親のリスタートだった。
 電話を切った後、高速バスの停留所にトレーラーを止め、無意識のまま、ぼろぼろと泣いた。親らしい事を、させてあげる暇を与えなかった自分と、一生懸命に生きる見本のような父親の、ベッドに眠る姿を想像し、車内に流れる永ちゃんの歌を搔き消す位、大声で溢れ出す涙を止める事が出来なかった。
 そして、今の毎日はというと、朝から料理をし父親に食べさせ、出勤。昼はヘルパーさんを呼び、夕方帰宅と共に料理をし、お風呂に入れる。いつでも家に戻れるようにと、訪問販売の仕事につき、父親の人生と自分の人生を掛け合わせ、二人で一つの人生を生きる道を選んだ。



高校生の練習するグランドの横に、小学校に向かう、ランドセルを背負った集団が見える。この近辺の小学生は登校も下校も上級生の引率にて行われ、母親たちは信号や、横断歩道のところに立ち、黄色の旗を振る。

 一番先頭を歩く上級生の女の子は、六年でクラス委員もやっているしっかり者。
三人兄弟の一番下だが、やんちゃの兄二人をいつも手玉にとり、しっかり一番いいポジションをとる。
兄が高校に通うようになって、初めて連れて来た彼女に、75点と書いた小さな手紙を渡したほど。

 学校では優等生で、学年でも成績はトップクラス。ただ、高学歴を本気で狙っている子供達は、もうすでに私立などに行き、公立の程度ではあった。
 それでもクラスの人気者で、教室ではいつも輪の中心にいた。
何日か前、彼女が家の近くの公園で、一人泣いている時があった。泣いている彼女は赤ちゃんの時以来で、とても心配したが、原因が学校で飼っていた、亀の寿命のことでホッとした。

そういえば駄菓子屋のみっちゃんが35年の幕を下ろすらしい。
スーパーにいけばどんなお菓子でも袋ごと買えてしまう時代に、一つ10円の紐のついたきなこ餅を好む子供も多くはなくなってしまったのだから仕方ない。

 僕は10年以上もこの場所から、この景色の中で生きていた。1年が本当に365日だというなら、僕は3650日以上を、出窓の上で過ごしていた。
でも貴方達は、僕の事を知らない、こんなにいろいろな事を知っている僕の事を、何も知らない。でも何も知らなくていい。
下手すると貴方達の事を、僕は貴方達の親以上に、いや本人以上に貴方達の事を知ってしまっているかも知れない。だから、僕のことは知らないでいてほしい。
それが僕の人生だから。 
でも、ここからの人生を、僕は断ち切ることにした。辞めたくて辞める訳ではないが、唯一の身寄りの母親が他界したからだ。

僕が大学入試に失敗した頃父親が亡くなった。
ちょうど選挙カーがウグイス嬢の声を響かせながら走ってる熱い初夏だった。

広辞苑の「普通」のページを持って歩いている人生の様な父親は、曾祖父の代から入会している付き合いで、選挙のアルバイトの集会にいき、お菓子を袋いっぱいもらってきてくれることがたまにあった。
その日も選挙の集まりの人数合わせの為だけに都心の大きな倉庫まで行き、かけ声よろしく日本酒の四合瓶と袋いっぱいのおかしを貰って帰ってくるはずだった。

倉庫での集会が終わり、港からモノレール駅行きのバスに乗ろうとバス停に並んでいる列に、カーチェイスさながらに1台のスポーツカーが突っ込んだ。スポーツカーは5人もの人を一瞬ではね飛ばし、そのまま逃走。
後ろから追ってきていたパトカーを引きちぎるほどのスピードで湾岸線を走り抜けて行った。

受験の事が頭から離れられない僕に対して一言も声を発することの出来ない母親と一緒に、自宅の居間でボーッとついたままの夕方の再放送ドラマを見ていた。
突然、再放送ドラマが消え、報道のスタジオに切り替わり化粧ののりの悪いまま座らされた新人のアナウンサーが交通事故のニュースを読み上げた。

数分後、救急車が到着し、意識不明者3名、重傷者2名と、女子アナの声と緊急ニュースのテロップが同時に流れた。 
僕と顔を見合わせた母親は、すぐに父親の携帯を鳴らすが電源が切れているとのアナウンスにパニックになり、僕の受験の結果を吹き飛ばすように色々なところに電話をかけまくった。

電話をかけまくっていた二人の面前に、意識不明者3名死傷者2名と書き換えられたテロップの数字が映った。
立花勇気をよろしくお願いします。のウグイス嬢の声と同時に。

交通事故死の場合、加害者がいれば慰謝料の請求も可能だが、父親の事故の犯人は逃走し、車は地方からの盗難車。
警察から明かされた情報では、犯人は船積みコンテナの荷物を許可無く盗難車に積み込み逃走、コンテナ会社の通報にて運輸局のパトロールカーが追跡したが、見失い、警察と一緒に探していたところ再びコンテナの間から現れた逃走車両を発見、追跡中に違法改造車のスピードに巻かれたところ、盗難車が事故。たくさんの人の呼びかけ、悲鳴にも動揺せずに逃走した犯人の画像を近所の防犯カメラで追ったところ、犯人は外国籍の可能性が高いと。

外国籍の逃亡者が日本で見つかる可能性は、かなり低い。
そっち方面の能力は日本人の比でなくなってしまっている事の方が多いし、彼らの仲間意識は異常に高い。
ましてや密輸関係の事案だとして、すでに大量の何かが動いたとすれば、その犯人はもういない可能性が高いと警察に言われ、政府のひき逃げ事故の被害者の補助金の申請書を渡された。 

それから今までスーパーのパートでこの生活を支えていた母親は、心労による心不全で、享年55歳でこの世を去った。最後に母親の顔を見たのは、3年ぐらい前だっただろうか。
 ドア越しに感じる母親は、朝の食パンと牛乳、昼の食パンと牛乳、夜のカップラーメン、そして青いキャップのピーナッツバター。これをそろえる為に、心労に侵されていた。55年間生きてきて、幸せなことなど何一つ思い出せなかったのだろうか、毎晩のように、息子の育て方を自分が間違えたと戒めていた。それでも、僕の人生のスタートもゴールも、母親が決めてくれた。

 母親が他界してから、この場所で僕は、自分の人生を振り返った。やっぱり出てくるのは、ここから見える人々の人生ばかりだった。
この場所に定時に着席し、自分の頭の中に人の世界を張り巡らせる。此処に居て、僕は何百人もの人生を生きている気がしていた。僕がこの世から消えて無くなれば、彼らは一つの物を失うことになる。彼らは気づいていないかも知れないが、彼らの人生は僕の人生でもあるからだ。彼らの中から、僕の人生が消える。すなわち、彼らの中から一つの物が失われる。
 それでも、彼らは泣くことも、叫ぶこともしないであろう。
 僕の想像とリンクする、彼らの生活そのものが僕の人生なのだ。
 幼いころの出来事を思い出そうとしても、四畳半のこの部屋に残っているのは、創造された別の人間の出来事。
 僕にとってこの10年は、それまで生きてきた20年をリセットし、新しい人生をスタートさせてくれた。自分以上の出来事も、自分以下の生活も無く、この10年で何十年分もの出来事を与えてくれた。

 何日かすると、マスコミがこの近辺を賑わすだろう。「ニート母親殺害か?」「年金不正詐取の疑い!」「苦学生、受験の破滅と人生の破滅」とか書かれ、騒ぎ立てるに違いない。
次から次へと近所の人々が「会社に憧れでもあったのか、よく部屋の中でスーツを着てブツブツ何か喋ってる様子でした」とか、「ずっと窓から外を見ていて置物みたいで気持ち悪かった」とかわけの分らない事を、半開きに開けたドアの向こうから言うに違いない。

でもね、人類に成功者がいて、失敗者がいるのであれば、逆に僕は成功者なのでは無いかと思う。功を成す者がいて、敗を失う者がいるのだから。

 僕には母親を殺す理由も根拠もない。だって面識すら、3年以上もないのだから。
 ただ理由は無くても、母親のポンプの動きを止めた一因は僕にあるのだろう。
 母親がパート中に倒れ救急病院に運ばれた事も、緊急治療室の中で痩せこけてしまった胸を、何度も何度もマッサージされていたことも僕は知ることも見ることもしていないのだから。


 だから僕は唯一認識できる、僕の思い出の横で、僕の生涯を創造することを辞める。大好きなピーナッツバターを口にしながら。

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