誘惑の延長線上、君を囲う。

桜井 響華

真実を知りたい【2】

日下部君と秋葉さんの間柄は誰が見ても公認の仲なのだと思い知らされる。秋葉さんが副社長を好きにならなければ、日下部君を選んでいたのかもしれない。

日下部君はバーで酔いつぶれる程、秋葉さんを手離したくなかった。その気持ちが私の心に突き刺さる。正直に口に出してしまう程に秋葉さんが好きだったんだ。私には好きだとは冗談でさえも言ってはくれない。それは多分、日下部君の心の中には秋葉さんが根強く残っていて、私の入る隙間なんて無いからだと思う。

「俺は今、とても幸せなんだ。自宅に帰れば居候が居るし、そいつがまた可愛くて骨抜き状態。……だから、秋葉の事はもういいんだ」

私は澪子ちゃんから貰い泣きしてしまいそうなので、必死に耐えていた。泣いている小嶋さんを慰めるように日下部君が発した言葉は、まさかの私の事……!?

「居候……?どうせ、にゃんこか、わんこでしょ?紫ちゃんに相手にされないから寂しくて手懐けているんでしょ?確かに動物は可愛いけどね、日下部君にはもっと別な幸せを掴んで欲しいのよ」

涙をハンカチで拭いながら、日下部君に向けて話をする澪子ちゃん。一通り泣いたら気が済んだのか、澪子ちゃんは冷めてしまった肉じゃがのじゃがいもを箸で摘んで口に入れた。

”そいつがまた可愛くて骨抜き状態”という嬉しい言葉の余韻に浸れないまま、二人の会話は進んで行く。澪子ちゃんを宥める為の言葉なのかもしれないが、気分は最高潮になった。

「小嶋に心配されなくても、大丈夫だから。ちゃんと前に進んでるから」

澪子ちゃんは居候が完全に猫ちゃんか犬ちゃんだと思っているみたいだった。日下部君は秋葉さんに振られた事になっているから、フリーとしか見られてないんだ。

「それなら良いけどね。日下部君もボケッとしてるとあっという間に婚期逃すからね。気をつけないと!」

「はいはい、分かりました!」

日下部君は不貞腐れたように答えるとチラリと私の方を向いた。突如として目が合ったので、ドキッと胸が高鳴る。

何度も肌を重ねても、職場で目が合うのはドキドキしちゃう。プライベートと職場では全くと言って良い程に距離感も違うし、同級生ではあるけれど、上司と部下の関係だから秘密の恋愛をしているみたいだ。実際、両思いではなくても、誰にも内緒の関係だから秘密の恋愛には変わりないのかもしれないけれど……。

「そうだ、佐藤、午後からは外回りに行くぞ」

先に食べ終わって席を立った日下部君が、私に話しかけた。

「え?あ、うん。……じゃなくて、分かりました!」

更なる不意打ちは心臓に悪い。心臓がバクバクと早く動いている。いきなり何を言い出すのやら。今日の予定に外回りなんて無かったはずだけれども?

「あっ、」

動揺し過ぎて、手を伸ばした瞬間にブラウスの袖口が味噌汁に入ってしまった。どうしよう……!トイレに行って袖口を洗うしかないかな。

「何やってんだよ、袖に味噌汁の汁がついてる。ほら、コレやるよ。朝、お試し用のウェットティッシュ配ってたから貰った。よく見たら、匂いがついてるヤツだった……」

日下部君は粗相した私に気付いて、スーツのジャケットのポケットから個包装されたウェットティッシュを取り出した。渡す前に日下部君が確認したら、ラベンダーの香り付きだったらしい。

「ありがとう。もう何でも良いから下さい!アロマの香り付きだって。あーぁ、袖が味噌とラベンダーの香りが混ざった」

「貰っといて失礼な奴だな!」

ジャケットは脱いでいて良かった。ブラウスのシミよりも、匂いがついてしまったのが悲しい。ラベンダーの香りだけならまだしも、味噌は嫌だ。やっぱり、袖口だけは洗おう。日下部君と一緒に外回りに行くのに憂鬱な上、自分自身のせいでトキメキも瞬時に無くしてしまった。

「うふふ、本当に二人って仲が良いね。日下部君と紫ちゃんとはまた違う仲の良さだね」

落ち込んでいる私なんてお構い無しに、澪子ちゃんはニッコリと笑いながら私達に向かって語りかける。先程までの泣き顔は完全にどこかに消えたようで良かった。

「高校の時からの付き合いだからな。良く言えば阿吽の呼吸なんだよな?」

「そうだね、そういう事にしとく」

秋葉さんみたいに、私も日下部君の彼女候補として見て欲しい。この職場の皆は秋葉さん推しだったのかもしれないけれど、私も居るよって知って欲しい。本当は公認の仲になりたい。でも、日下部君の気持ちも不確かなままだし、職場恋愛は迷惑をかけてしまうかもしれないから、やっぱりなりたくない。これもただ単に日下部君に面と向かって気持ちを伝えられない言い訳にしか過ぎないけれど……。

「あー!澪子ちゃん!お疲れ様。佐藤さんもお疲れ様です!」

どこかで聞いた声が後ろ側から聞こえた。腰が隠れる長めなカーディガンを羽織り、トレーにサラダ、ヨーグルト、レアチーズケーキを乗せて来たのは秋葉さんだった。今日は髪の毛をクルクルと巻いてお団子にしていて、可愛い。当然だけど、私も同じ様なふわふわウェーブな髪型でも全然違っている。

「珍しいね、お団子してる」

「そうなんだ、今日はデザインが煮詰まってて髪の毛が邪魔だからお団子」

澪子ちゃんが秋葉さんに話をかけるとトレーを置いて、私の隣に座った。

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