誘惑の延長線上、君を囲う。

桜井 響華

理解不可能な領域【2】

「いや、俺も悪かった……って、この体制……、朝からまずいでしょう…」

「わぁ、い、今、離れるからね……!」

日下部君は足を開いていて椅子に座っている。その隙間に私の右足の膝を乗せてしまい、日下部君の顔の目の前に胸があるという体制になっていた。偶然だとしても、何とも言えずに恥ずかしく、顔に火がついたみたいに真っ赤になった。

同時に昨夜の自分自身が主導権を握って、日下部君の上に股がると言う行為についても思い出してしまい、顔を隠すように後ろを向いた。行為中は無我夢中だったから、さほど気にならなったけれど、振り返ればめちゃくちゃいやらしいわ……。

「……佐藤、バイトの子が来るまで1時間寝かせて。起きたら、データ管理とかの仕事するから」

日下部君は椅子を二脚連ねて、一脚は背もたれに頭を預けて、もう一脚の方に足を伸ばして寝るらしい。

「うわー、職権乱用、いけないんだ!」

「今日だけだよ。だいたい誰のせいで寝不足なんだよ?」

「そ、そんなの……お互い様でしょう?」

私は振り返らずに毒を吐き、休憩室を出た。日下部君が休憩室に椅子を連ねて寝るって言うから、狭い休憩室が余計に狭苦しくなっているし……、だいたい外回りに行くんじゃなかったの?日下部君って高校時代は硬派で真面目だったけれど、時々、あんな風にサボったりしてた。先生にも同級生にも信頼関係を築いていたから、常に笑って許されていた気がする……。要領が良いと言うか、何と言うか。

私はいつもサボる事なんか出来なくて、一人になった時にしか気を抜けないタイプだ。常に全力、全開。優等生だけが取り柄だった私には貴方が眩しくて仕方なかった。

「……寝ようと思ったけど、委員長に見張られてるから眠れなくなった」

「人聞きの悪い言い方ね。高校時代もね、球技大会とか片付けとかは適当にサボってたの知ってたけど、試合には全力だったから……まぁ、黙認しててあげたけど」

店内をほうきで掃き出していると日下部君が休憩室から出て来た。紺のストライプのスリムスーツが似合っていて、直視出来ない。立ち姿が本当に格好良い。時に意地悪言うけれど、性格も悪くないし、容姿端麗だし、学歴も申し分ないと思う。その上、大手企業に勤務していてステータスも充分兼ね備えているのに、おひとり様だなんて信じられない。やはり、あの秋葉さんが関係しているのかな……?

「黙認しててくれてたのは知ってるよ。佐藤は絶対に言わないって確信もあった」

「何で?……先生にチクッてやれば良かった」

「それは佐藤が……」

「佐藤が、何?」

日下部君が何かを言いかけたから、ギロリと睨み付けた。あーぁ、こういう所が可愛くないって言われる原因なんだけれど……、好きな人には照れ隠しで、つい刃向かってしまう。昔からの悪い癖。

「いや、何でもない……。とにかく、佐藤は信頼してるから。さて、仕事しよ」

日下部君はPCに保存してあるデータなどを開いて、何やら作業をし始めた。

「佐藤、お願いがあるんだけど……」

「何?」

「掃除終わったらコーヒーいれて。ブラックで」

本日、二回目のコーヒータイム。昨夜の件があるので、私は日下部君の顔をまともに見れないのだが、当人は至って通常。平然としている。日下部君は私の事なんて好きでも何ともないし、過敏に意識なんてしないのがもっともなのだろうけれど……。自分自身で仕掛けたとはいえ、引きづっているのは誰でもなく私だったりする。

「はい、コーヒーどうぞ。ところで朝ご飯食べたの?菓子パンしかなかったから、嫌だった?」

「……食べてない。菓子パンは尚更食べたくないから、コーヒーだけ」

日下部君は私からホットコーヒーを受け取り、カップを口に付けた。朝は私が先に部屋を出た。やはり、朝食は取らずにコーヒーのみで済ませたようだ。

「卵焼いてご飯食べたり、納豆ご飯だけでも食べないと身体に良くないよ」

「……朝からめんどくさい。だったら、佐藤が作りに来て?」

私の顔をじっと見つめながら言われた一言。冗談なのか、本気なのか。

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