スパイの毒はラブコメに効かない〜完結済み〜

青篝

東雲文華 2

その作品の中には
アニメ映画化された作品もあり、
一時はかなり話題になったのだが、
アニメ映画としてのクオリティが
あまりにも高かった為、
原作者である奥川のことよりも
アニメの制作会社や声優が
話題の中心となってしまい、
残念ながら『奥川花華』という
名前を知っているのは
一部の読書家だけだ。

「ま、『マイケル・サンキエナ』と
『奥川花華』を知ってるの!?
『ヴァンの冒険』と『恋泥棒猫』の!?」

夜六が2人の小説家の名前を出すと、
身を乗り出して
東雲は食いついてきた。
マイケルはアメリカの小説家で、
奥川は知名度の低い小説家だ。
だから東雲は知らないかと思ったが、
夜六が思っていた以上に
東雲は読書家であるようだ。
マイケルの冒険小説シリーズの
タイトルである『ヴァンの冒険』と、
奥川のデビュー作で
映像化されている訳でもない
『恋泥棒猫』を知っているとは。
これは予想よりも早い段階で
東雲の心を掴めそうだ。
ここは思い切って踏み込んでみよう。

「あぁ。俺のお気に入りでな。
旅行する時には
必ず持っていくんだ。
東雲も好きなのか?」

旅行というか、
夜六にとっては旅行よりも
任務で世界を回ることが多い。
だが、任務中に頭が煮えそうになったり、
時間が空いた時には
息抜きをするついでに
小説をよく読んでいた。
そして、最後にしれっと
話の矛先を東雲に向ける。
これは話を進める主導権を
相手に渡すことで
相手から情報を引き出すという
話術テクニックの一つである。
この手のやり方をすると、
東雲のようなオタク気質の人間は
簡単に乗ってくれる。

「そうなの!
マイケルの作品は読んでいて
とてもワクワクするの!
疾走感はあるのに
ぎっしりと内容が詰まってて、
気づいたら同じ作品を
5周くらい読んで、
しかももう朝だったとかよくあるし!
奥川花華は知名度こそないけど
作品は一級品で映画化もされてるし!
登場人物達の葛藤を
あそこまで表現できるのは
奥川花華だけだと思うんだ!」

夜六の見立て通り、
東雲はあれやこれやと
2人の小説家を褒め称える。
そんな東雲に夜六は
適度に相槌を打ちながら
ほうほうと聞き流していた。
次々とやってくる小説家の情報は
今はどうでもいい上に
ほとんどのことを夜六は知っていた。
マイケルは物凄いマザコンで、
母親の大好物だというピザを
母親の為に3年分用意したとか。
奥川は無類の潔癖症で、
せっかく受賞した小説の賞を
審査委員長の男性が触れたというだけで
その場での受け取りを拒否したとか。
と、そんな風に東雲のトークは
留まることを知らず、
気づけば下校を知らせるチャイムが鳴る。

「おっと、もうこんな時間か。
そろそろ寮に戻らないと」

床に置いていたカバンを肩に担ぎ、
夜六は帰り支度をする。
東雲はというと、
興奮状態は落ち着き、
物悲しそうに俯いていた。
またもや何かを言いたげにしていたので、
夜六は声をかけようとするが、
今度は東雲の方から
口を開いてくれた。

「ま、また来てくれる?
私、こんなに誰かと話したの、
その、初めてで、嬉しくて……」

濃い紫の前髪の隙間から、
すっと東雲の瞳が覗く。
その瞳は潤み、
箱に入れて捨てられた犬のようだ。
リンゴのように頬は紅潮して、
夜六を真っ直ぐに見つめる。
同情した訳ではないが、
夜六は自然と言っていた。

「俺も図書委員だからな。
来ない訳にはいかない」

回りくどい言い方をして、
夜六はそのまま図書室を出ていく。
しかし、夜六のその態度が
東雲の心に火を宿してしまった。
力尽きたように
東雲は椅子に座り込み、
赤面し切った顔を手で覆う。
未だに激しく脈打つ心臓に
静まれと暗示をかけながら、
しばらく悶えていた。
図書室の管理をしている女性の
司書が来て、
残っている人がいないか確認をすると、
最後に受付にいた東雲に声をかける。
カバンを持って東雲は
図書室を出ていき、
司書がカギをかける。
軽く挨拶をしてから東雲は
寮に行く為に歩き出すが、
いつもは本を読みながらの帰路を
今日は何も読まなかった。
ふとした瞬間に夜六の事を思い出し、
その度に顔を手で覆う。
幸い、周囲に人はおらず
奇妙に見られることはなかったが、
たとえ人がいたとしても
東雲は気にしなかっただろう。
だから、気づいてしまった。
東雲は夜六のことを
好きになっていたのだ。
しかし、東雲はその気持ちを
外に出す方法を知らなかった。

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