スパイの毒はラブコメに効かない〜完結済み〜

青篝

歓迎再び

8時が少し過ぎた頃に
夜六は学園に到着した。
下駄箱で靴を履き替えて、
2年2組の教室を目指す。
朝の騒がしい音を聞きながら階段を上り、
無事に夜六は教室に着く。

「あっ夜六、おはよう」

「おはよう、夜六」

「あぁ、おはよう」

扉を開けると、夜六に気づいた
クラスメイトは挨拶をしてくる。
無表情と笑顔の狭間くらいの顔で
夜六は挨拶を返して、
窓際の一番後ろの席に荷物を下ろす。

「おはよう、水都……って、
どうしたその顔。
朝帰りのサラリーマンより
やつれた顔してるぞ」

夜六の隣りの席には
先に来た夏八がいた。
だが、その表情は酷い。
目の下に薄いクマができ、
綺麗で艶やかな髪も輝きを失い、
いつもはピシッとしている
背筋も傾いていた。
せっかく整った容姿をしているのに、
これでは台無しだ。

「あぁ…霧峰君……おはよう…。
最近の若い子って…何というか、
元気なのね……」

はぁぁぁぁ…と、
夏八は長い息を吐く。
その息さえ黒く見えてしまうのは、
きっと今の夏八が原因だろう。
そして、その夏八本人に
これほどのダメージを与えた犯人の見当は
夜六は大方ついていた。

「あの子達、明け方まで
私に質問攻めしてきたのよ…。
彼氏がどうとか、
好きなタイプだとか…。
それで元気に登校するなんて、
何なのよ…あの子達……」

見事に夜六の予想通りである。
可愛い女の子には
男子も女子も群がるというが、
どうやら本当のようだ。
それにしても、
ここまで夏八を疲労させるとは
中々見込みのある生徒だ。
最高で三徹を経験している
一流のスパイを相手に、
たったの一夜で追い込むのは
一朝一夕の技術ではない。
当の本人達は元気だというし、
これは仲間に引き込んで
スパイに仕立て上げてやろうか。

「それは大変だったな…」

だがしかし、スパイになるには
高校生は遅過ぎる。
どれだけ素質があって、
どれだけ努力したとしても、
なれて精々一級だ。
一級のスパイが10人集まって、
やっと一流のスパイと渡り合えるとか
レベルでいえばその程度だ。
ちなみにだが、
夜六は一流のスパイ20人を
一人で倒したことがあり、
1週間で合計の睡眠時間が
2時間少々しかなくても
任務を成功させたこともある。
その時はさすがに
化け物かと疑われたが。

「えぇ…大変だったわ……はぁ…」

余程疲れているようだし、
あとはそっとしておいてやるか。
夜六は昨日先生から貰った
時間割表を取り出して
今日の授業を確認する。
水曜日の今日は
保健体育、理科、体育、日本史、芸術。
芸術の授業は通して2時間あり、
今日夜六は音楽に参加する予定だ。

「さて、本でも読むか…」

特に宿題もないので、
暇な時間が訪れる。
そんな時の為に夜六は
本を持ってきていた。
人の無意識の反応について
イタリア語で書かれた論本だ。
日本語版を読んでもいいのだが、
学者が書いたままの
言語で読んだ方が、
学者の意図を理解しやすい。
一流のスパイとして
数々の言語を習得している夜六の
ちょっとしたこだわりでもある。

「……ん?」

夜六は教室内の異変を感じ取る。
多くの生徒がこちらをチラ見しながら
教室を出ていっているのだ。
夜六が隣りにいるから気にならないのか、
夏八は目線を伏せたまま
静かに呼吸を繰り返している。
どうやら仮眠をしているようだ。
しかし、教室には夜六と同じように
本を読んでいるか、
急いで何かを書いている生徒の他には
誰も残っていなかった。
何か朝の行事があるとは聞いていないし、
あるとするなら
他の生徒も移動するはずだ。
夏八に話しかけるか、
どうするか夜六が悩んでいると、
前と後ろにある教室のドアが
同時に勢いよく開く。

「野郎共!突撃だ!」

「「「「「わぁーーー!!」」」」」

このパターンは昨日見た。
だから夜六は落ち着いていたのだが、
隣りで寝ていた夏八は、

「──な、何!?」

驚いて跳ね起きた。
スカートの下に隠した鉄製の定規こそ
取り出して構えることはなかったが、
いつでも彼らを殴れるようにする。
昨夜に夜六が持っていた物と同じ物で、
『百足』が丹精込めて作成した。
文房具からそのまま武器に
変わるという便利な定規だ。

「よく来たな!夜六、水都!」

「お前ら二人を歓迎するぜ!」

「ようこそ、私達のクラスへ!」

思い切り警戒する夏八と夜六を囲み、
クラスメイト達は
事前に決めていたのであろう
それらしいセリフを言う。
夏八は度肝を抜かれた様子で
呆然と佇んでいたが、
その夏八が状況を理解する為に
夜六は立ち上がる。

「昨日言ってた歓迎はこれか」

昨日、難波達は夜六の為に
サプライズ歓迎を予定し、決行した。
しかしそれが失敗に終わり、
そのリベンジとして
今度はクラス全体を巻き込んだ
サプライズ歓迎を企てた。
何をするのかまでは
夜六は知らなかったが、
教室内の空気が変わり始めてから
すぐに何かあると気がついた。
夜六が本を読み始めたのも、
彼らが行動しやすいように
わざと注意を逸らしたのだ。
結局、昨日の今日で
ろくな準備ができる訳もなく、
ただクラスメイトで囲むだけという
シンプルな歓迎だったが。

「これからよろしくね!夏八ちゃん!」

「え、えぇ…」

シンプルでも、
夏八には効いたらしい。
動揺しながらもしっかりと
クラスメイトの優しさを受け止め、
照れくさそうに頬を染めていた。
だが気をつけろ夏八。
スパイである限り、
いつか彼らの優しさを裏切らなければ
ならない時が来る。

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