じゃあ俺、死霊術《ネクロマンス》で世界の第三勢力になるわ。
7-1 古傷
7-1 古傷
どくどくと、耳の奥で鼓膜が振動していた。心臓が嫌なリズムで脈動している。意識を急に覚醒させたせいで、俺は周りの状況をよく呑み込めていなかった。しかし、自分の頭に触れた手を、力を込めて振り払ったのだけはわかった。
「え……」
俺の目の前には、目を大きく見開いたライラがいた。目の前で起こったことが、信じられないという顔だ。ライラはその表情のまま、ピクリとも動かない。今この瞬間だけ、この部屋の時が止まったかのようだった。
しかし、実際はそんなことはない。ライラの目からじわりと涙があふれたことで、俺は時が正常に流れていることを実感した。
「……」
ライラの大きな目から、大きな涙がぽろぽろとこぼれだす。その涙を見て、俺はさーっと、冷水を浴びた気分になった。
「ご、ごめんライラ!そんなつもりじゃ……」
「っ!」
俺が謝ろうと近寄ると、ライラはびくっと震えて、俺から距離をとった。
「ら、ライラ……」
「……ぅかの」
「え?」
「桜下の、バカーーーーッ!!!」
ガターン!
うわ!突如、ものすごい風が部屋の中に吹きすさび、イスがひっくり返った。テーブルが倒れ、水差しがガシャンと砕ける。ウィルが短い悲鳴を上げた。
思わずしりもちをつきそうになるが、強い力で腕を引っ張られた。フランが、俺の腕を掴んで支えてくれている。その深紅の瞳は、目の前のライラを真っすぐとらえていた。
「ふーっ、ふーっ……」
風にあおられ、真っ赤な髪を振り乱したライラは、肩で荒い息をしている。その目はカッと見開かれ、頬は涙のあとで濡れていた。
「ら、ライラ!よせ……」
「うぅ~~~!」
ライラが唸ると、風はより勢いを増した。凄まじい風圧で、息が苦しい。フランが押さえてくれなければ、とっくに吹き飛んで、壁に叩き付けられていただろう。
「ら、ライラさん!落ち着いてください!こんなの、よくないです!」
ウィルが必死に呼びかけるが、ライラは聞く耳を持たない。その時フランが、風の中でもよく通る声で、鋭く叫んだ。
「ライラ!これ以上やるなら、わたしはあなたを敵とみなす」
「っ!」
「わたしは、敵には、容赦しない!」
ごくり……フランの声は、思わずつばを飲み込んでしまうような迫力があった。ライラの顔にも怯えが走る。
「……っ」
ライラは、顔をしかめると……
「あぁ!!」
くるりと背を向けたかと思うと、バルコニーに飛び出した!一息で手すりを乗り越えて、その向こうへと身を躍らせる……
「ライラさん!」「ライラ!」
俺とウィルが同時に叫ぶ。その瞬間、風は止み、俺たちはつんのめるようにバルコニーの手すりに掴み掛った。
「ライラは……」
「あっ!桜下さん、あそこ!」
ウィルが鋭く指を突き出す。その先には、ふわふわとゆっくり宙を漂う、ライラの後ろ姿があった。
「ま、魔法か……びっくりした……」
「そういえば、前にも宙を浮く呪文を使っていましたね……」
俺とウィルは、そろって大きな息をついた。
「……って!安心している場合じゃありません!あの子を、このまま行かせてしまっては……」
「あ、ああ。そうだな、うん」
こうしている間にも、ライラの姿はどんどん小さくなっていく。早くしないと、完全に見失ってしまう。ウィルはすぐにでも後を追おうとしたが、一瞬ためらった表情をしたのち、フランのほうを向いた。
「……フランさん。さっきのは、言い過ぎです」
ウィルに見つめられ、フランはふいとそっぽを向いた。気まずい沈黙があたりに下りる……
ちょうどそのとき、ベッドの上から、むくりとアルルカが起き上がった。
「……んもぉ~~!さっきから、なにバッタバタしてんのよ。うるさいったらありゃしないわ……」
「ちょうどいいです、あなたも来てください!」
「は、え?」
ウィルが、むんずとアルルカの手首をつかむ。そのままぐいぐい引っ張られ、状況が飲み込めないアルルカは目を白黒させた。
「ちょ、ちょっと!離しなさいよ、こら!」
「私だけだと見失っちゃうかもしれません。あなたは飛べるんですから、手伝ってください」
「ちょ、意味が……わぁ!」
引きずられたアルルカが、バルコニーの手すりを乗り越え落っこちる……と思った数刻後には、真っ黒な翼をもつコウモリが空を羽ばたいていた。コウモリとウィルは、飛び出したライラを追って、視界から消えていった。
「……」
俺は、グチャグチャになった部屋の中で、茫然と突っ立っていた。起こった出来事、その情報を、脳がきちんと理解できていない。
「……大丈夫?」
フランが、気づかわしげにこちらをのぞき込む。俺はその瞳から、思わず目をそらしてしまった。なんだか今は、誰かの優しさが痛い気がしたんだ。
「……ああ。それより、ライラを追わないと」
「今からじゃ、追いつけないよ。あの二人が追ってくれてるんだから、こっちはコッチをどうにかしたほうがいいんじゃない?」
フランは、散らかった部屋の中に目を向けた。
「ああ……そうだな。とりあえず、これを片付けないと」
このままでは、婆さんに怒られちまう。俺がのろのろと手を動かそうとすると、それよりも早くエラゼムが、てきぱきと動いてくれた。倒れた家具を起こし、砕けたガラスを拾う。結局俺がやることはほとんどなかった。
「……水差しは、弁償しないとだな」
俺は、そんなどうでもいいことを言った。
違うだろ。今言うべきは、そんな言葉じゃない。
「……ごめん。俺のせいで。俺が、ライラを怒らせたから」
「あなたは悪くないよ」
すかさずフランが言う。
「癇癪を起したのはあっちでしょ。それに、あの子が……」
「フラン……よしてくれ。ライラを悪く言うな」
俺が制すと、フランはすねたように唇を尖らせた。
「わたしは……」
「ああ。気持ちは、ありがたい。けどお前に、仲間を悪く言ってほしくないんだ」
俺の頼み込むような声に、フランは口をつぐんだ。そのわきから、エラゼムがガシャリと鎧を鳴らして、こちらに一歩近づく。
「桜下殿。差し出がましいようですが、先ほどの一件につきましては、吾輩も桜下殿に非はないと存じます」
「エラゼム……けど」
「そして、ライラ嬢にもまた、非はない」
え?俺は思わず、エラゼムの空っぽの兜を見つめた。
「誰かが悪いわけではないのです。ほんのわずかな、些細なすれ違い……いわば、不運な事故のようなもの」
「事故、か……けど、俺は」
「ええ。すれ違ってしまったのであれば、その溝を埋める必要がございましょうな。もしもお二人が、お互いにそれを望むのであれば」
俺ははっとした。そうだ、こんなところで、ウジウジしている場合じゃないじゃないか。
「……サンキュー、エラゼム。目が覚めた」
「吾輩は、何もしておりません。ただ、荷物番くらいは務められるかと」
「そっか。悪い、頼む!」
俺は言うが早いか、部屋の戸口へと駆け出した。それを見て、フランも後をついてくる。
「わたしも行く」
「ああ。行こう!」
俺たちは、全速力で町へと飛び出した。宿の戸口で、婆さんが何事かとこちらを見ていたが、説明している暇はない。エラゼムが何とかしてくれるだろう。
「確かライラは、こっちの方角に飛んで行ったよな」
「たぶん」
「よおし!」
俺とフランは、石畳の道を走り出した。
(エラゼムの言う通りだ)
俺とライラは、すれ違ってしまった。ほんの些細なきっかけで、俺たちの間には溝が走ってしまった。けれど、まだ今なら、それを塞ぐことができるはずだ。そのために俺は、もう一度あいつに会わなければならない。
「待ってろ、ライラ!」
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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どくどくと、耳の奥で鼓膜が振動していた。心臓が嫌なリズムで脈動している。意識を急に覚醒させたせいで、俺は周りの状況をよく呑み込めていなかった。しかし、自分の頭に触れた手を、力を込めて振り払ったのだけはわかった。
「え……」
俺の目の前には、目を大きく見開いたライラがいた。目の前で起こったことが、信じられないという顔だ。ライラはその表情のまま、ピクリとも動かない。今この瞬間だけ、この部屋の時が止まったかのようだった。
しかし、実際はそんなことはない。ライラの目からじわりと涙があふれたことで、俺は時が正常に流れていることを実感した。
「……」
ライラの大きな目から、大きな涙がぽろぽろとこぼれだす。その涙を見て、俺はさーっと、冷水を浴びた気分になった。
「ご、ごめんライラ!そんなつもりじゃ……」
「っ!」
俺が謝ろうと近寄ると、ライラはびくっと震えて、俺から距離をとった。
「ら、ライラ……」
「……ぅかの」
「え?」
「桜下の、バカーーーーッ!!!」
ガターン!
うわ!突如、ものすごい風が部屋の中に吹きすさび、イスがひっくり返った。テーブルが倒れ、水差しがガシャンと砕ける。ウィルが短い悲鳴を上げた。
思わずしりもちをつきそうになるが、強い力で腕を引っ張られた。フランが、俺の腕を掴んで支えてくれている。その深紅の瞳は、目の前のライラを真っすぐとらえていた。
「ふーっ、ふーっ……」
風にあおられ、真っ赤な髪を振り乱したライラは、肩で荒い息をしている。その目はカッと見開かれ、頬は涙のあとで濡れていた。
「ら、ライラ!よせ……」
「うぅ~~~!」
ライラが唸ると、風はより勢いを増した。凄まじい風圧で、息が苦しい。フランが押さえてくれなければ、とっくに吹き飛んで、壁に叩き付けられていただろう。
「ら、ライラさん!落ち着いてください!こんなの、よくないです!」
ウィルが必死に呼びかけるが、ライラは聞く耳を持たない。その時フランが、風の中でもよく通る声で、鋭く叫んだ。
「ライラ!これ以上やるなら、わたしはあなたを敵とみなす」
「っ!」
「わたしは、敵には、容赦しない!」
ごくり……フランの声は、思わずつばを飲み込んでしまうような迫力があった。ライラの顔にも怯えが走る。
「……っ」
ライラは、顔をしかめると……
「あぁ!!」
くるりと背を向けたかと思うと、バルコニーに飛び出した!一息で手すりを乗り越えて、その向こうへと身を躍らせる……
「ライラさん!」「ライラ!」
俺とウィルが同時に叫ぶ。その瞬間、風は止み、俺たちはつんのめるようにバルコニーの手すりに掴み掛った。
「ライラは……」
「あっ!桜下さん、あそこ!」
ウィルが鋭く指を突き出す。その先には、ふわふわとゆっくり宙を漂う、ライラの後ろ姿があった。
「ま、魔法か……びっくりした……」
「そういえば、前にも宙を浮く呪文を使っていましたね……」
俺とウィルは、そろって大きな息をついた。
「……って!安心している場合じゃありません!あの子を、このまま行かせてしまっては……」
「あ、ああ。そうだな、うん」
こうしている間にも、ライラの姿はどんどん小さくなっていく。早くしないと、完全に見失ってしまう。ウィルはすぐにでも後を追おうとしたが、一瞬ためらった表情をしたのち、フランのほうを向いた。
「……フランさん。さっきのは、言い過ぎです」
ウィルに見つめられ、フランはふいとそっぽを向いた。気まずい沈黙があたりに下りる……
ちょうどそのとき、ベッドの上から、むくりとアルルカが起き上がった。
「……んもぉ~~!さっきから、なにバッタバタしてんのよ。うるさいったらありゃしないわ……」
「ちょうどいいです、あなたも来てください!」
「は、え?」
ウィルが、むんずとアルルカの手首をつかむ。そのままぐいぐい引っ張られ、状況が飲み込めないアルルカは目を白黒させた。
「ちょ、ちょっと!離しなさいよ、こら!」
「私だけだと見失っちゃうかもしれません。あなたは飛べるんですから、手伝ってください」
「ちょ、意味が……わぁ!」
引きずられたアルルカが、バルコニーの手すりを乗り越え落っこちる……と思った数刻後には、真っ黒な翼をもつコウモリが空を羽ばたいていた。コウモリとウィルは、飛び出したライラを追って、視界から消えていった。
「……」
俺は、グチャグチャになった部屋の中で、茫然と突っ立っていた。起こった出来事、その情報を、脳がきちんと理解できていない。
「……大丈夫?」
フランが、気づかわしげにこちらをのぞき込む。俺はその瞳から、思わず目をそらしてしまった。なんだか今は、誰かの優しさが痛い気がしたんだ。
「……ああ。それより、ライラを追わないと」
「今からじゃ、追いつけないよ。あの二人が追ってくれてるんだから、こっちはコッチをどうにかしたほうがいいんじゃない?」
フランは、散らかった部屋の中に目を向けた。
「ああ……そうだな。とりあえず、これを片付けないと」
このままでは、婆さんに怒られちまう。俺がのろのろと手を動かそうとすると、それよりも早くエラゼムが、てきぱきと動いてくれた。倒れた家具を起こし、砕けたガラスを拾う。結局俺がやることはほとんどなかった。
「……水差しは、弁償しないとだな」
俺は、そんなどうでもいいことを言った。
違うだろ。今言うべきは、そんな言葉じゃない。
「……ごめん。俺のせいで。俺が、ライラを怒らせたから」
「あなたは悪くないよ」
すかさずフランが言う。
「癇癪を起したのはあっちでしょ。それに、あの子が……」
「フラン……よしてくれ。ライラを悪く言うな」
俺が制すと、フランはすねたように唇を尖らせた。
「わたしは……」
「ああ。気持ちは、ありがたい。けどお前に、仲間を悪く言ってほしくないんだ」
俺の頼み込むような声に、フランは口をつぐんだ。そのわきから、エラゼムがガシャリと鎧を鳴らして、こちらに一歩近づく。
「桜下殿。差し出がましいようですが、先ほどの一件につきましては、吾輩も桜下殿に非はないと存じます」
「エラゼム……けど」
「そして、ライラ嬢にもまた、非はない」
え?俺は思わず、エラゼムの空っぽの兜を見つめた。
「誰かが悪いわけではないのです。ほんのわずかな、些細なすれ違い……いわば、不運な事故のようなもの」
「事故、か……けど、俺は」
「ええ。すれ違ってしまったのであれば、その溝を埋める必要がございましょうな。もしもお二人が、お互いにそれを望むのであれば」
俺ははっとした。そうだ、こんなところで、ウジウジしている場合じゃないじゃないか。
「……サンキュー、エラゼム。目が覚めた」
「吾輩は、何もしておりません。ただ、荷物番くらいは務められるかと」
「そっか。悪い、頼む!」
俺は言うが早いか、部屋の戸口へと駆け出した。それを見て、フランも後をついてくる。
「わたしも行く」
「ああ。行こう!」
俺たちは、全速力で町へと飛び出した。宿の戸口で、婆さんが何事かとこちらを見ていたが、説明している暇はない。エラゼムが何とかしてくれるだろう。
「確かライラは、こっちの方角に飛んで行ったよな」
「たぶん」
「よおし!」
俺とフランは、石畳の道を走り出した。
(エラゼムの言う通りだ)
俺とライラは、すれ違ってしまった。ほんの些細なきっかけで、俺たちの間には溝が走ってしまった。けれど、まだ今なら、それを塞ぐことができるはずだ。そのために俺は、もう一度あいつに会わなければならない。
「待ってろ、ライラ!」
つづく
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