年下御曹司は白衣の花嫁と極夜の息子を今度こそ! 手放さない
Chapter,4_10. 星降る初夜のその前に。
朔が婚約者に逃げられてから一年が経とうとする七月の晴れた日に、淑乃は彼と、親族間でのささやかな挙式を行った。今日の淑乃は松竹梅のおめでたい刺繍がほどこされた華やかな黒引き振袖を着ている。
結い上げた髪には燃えるような真紅のダリアと手鞠のような丸みを帯びたスプレーマムの深紅の生花が飾られ、銀糸で織りあげられた上品な黄金色が際立つ立て矢結びの帯とともに特別な日を演出していた。黒には「ほかの誰にも染まらない」という意味があるからと、淑乃は朔の前でこの着物を着ることにしたのだ。
ちなみにふたりで選んだウェディングサロンでオーダーしているドレスは、会社主催の披露宴で日の目を見ることになっている。
「……きれいだよ、よしの」
「サクくんも、袴姿、似合ってる」
大学からもよく見える山のうえにある神社が、挙式の舞台だった。学生時代の朔と淑乃が初詣で訪れていた思い出の場所だ。
夏の緑が眩いさわやかな朝、控室から神殿に向け、ゆっくりと番傘をさした花嫁行列がすすんでいく。しずしずと裾を引きずりながら歩く花嫁の隣で、黒紋付袴を着こなした朔は堂々としていた。
「――てっきり挙式もホテルでするのかと思った」
「前は、向こうの意向で交通の便がいいところを指定されたからな。それに、花嫁に逃げられた結婚式場でもう一度別の相手と結婚式をするなんてイヤだろ」
「あたしは気にしないよ?」
「俺が気にするの……」
番傘のなかで内緒話をしながら、和装姿の朔と淑乃は神殿までの道を歩いていく。その仲睦まじい姿は参列者だけでなく、神社の参拝客にもしっかり目撃されていた。何度も「おめでとうございます」「花嫁さんきれいですね」と声をかけられて、淑乃はこそばゆい気持ちになる。
そういえば、神社挙式でいう結婚とは、新郎新婦だけでなく家族と家族の新たな結びつきも意味するのだと、朔が教えてくれた。
――入籍はしたけど、こうやって神様の前で誓いを立てるのって、緊張する。
淑乃は海堂との因縁を知る香宮側のさいごのひとりとして、式に臨む。
およそ三十年前、ひとりの男によって憎しみを植えつけられ香宮を断罪した海堂側の人間はほとんどが鬼籍に入っている。いまさら過去を蒸し返して憎しみ合うなど莫迦げている。自分たちはこんなにも愛し合っているのだ、過去のしがらみに囚われるのはやめて、新たな日々に想いを馳せよう――朔は、列席者を前にきっぱりと言い切った。
次期社長の威厳を併せ持つ彼の言葉に反対する人間など、いるわけがない。
厳粛な雰囲気のなか神殿へ入れば、流れるように儀式がすすんでいく。参進の儀から祝詞に三々九度、指輪交換に玉串奉奠……そしてふたりは神様の前で夫婦となった。
儀式自体は三十分もかからなかったはずだが、淑乃の体感ではそれよりも長く感じられた。特に、朔が誓詞奏上の際に自分を熱く見つめながら言葉を紡いだときは、そこだけ時間が止まってしまったかのような錯覚に陥ったほど……
「お疲れさま」
挙式を終えた後、そのまま神社からほど近い貸し切りの料亭で昼餐をすることになったふたりは、周りに見守られながらホッとした表情で席につく。
礼服を着て本日の主役を待つ暁と灯夜の姿は兄弟のようだった。
「ママもパパもかっこよかった!」
「……そ、そう?」
「よしのさんの着物姿新鮮だね。朔兄も実際に見て驚いたでしょ」
「ああ、俺の花嫁は何を着ても似合うよ」
「サクくんっ!」
朔の息子が暁になついているのを見て、彼の父親をはじめ、光子や陽二郎が驚いていたが、七歳の灯夜が暁を兄のように慕う姿は微笑ましく、彼を交えて朔と暁の兄弟の仲が穏やかなものになっていることを歓迎していた。
終始和やかな雰囲気のなか、食事と集合写真撮影を経て、夕方には現地解散となり、控室で着替える淑乃と朔を残して親族たちは一足先に車で山を下りていった。
「なんだかあっという間だったね」
「そうだな」
今夜灯夜はおじいちゃん家こと海堂本家にお泊りすることになっている。灯夜には朔が怪我した経緯を詳しく伝えていないため、海堂本家が事件現場だったことを知らない。とはいえすでに終わったことだ。それに、暁や結婚式まで何度も様子を見に来てくれた陽二郎も一緒だと楽しそうに口にしていたので、心配することはないだろう。なにより西岡に自分の息子を見てもらえるのが嬉しいと、朔ははにかんだ表情をしていた。
淑乃は朔に手を引かれながら、神殿の控室に戻る。お手伝いさんの手を借りて振袖を脱ぐ手はずになっていたが、控室には誰もいなかった。
「……あれ」
しん、と静まり返った控室で途方に暮れる淑乃の背後から、愛しいひとの声がかかる。
「よしの、どうかしたか?」
「お手伝いさんが」
「帰ってもらったよ」
振り返れば、悪戯を思いついた子どものように、朔が淑乃の唇を奪う。突然キスされて、淑乃は目を見開き、あたまを揺らす。
その瞬間、髪に飾られていた花々が、ふぁさ、と零れて畳のうえにはらりはらりと落ちていく。
「……よしのの花嫁衣裳を脱がせるのは、俺だけだから」
* * *
朔によって仕組まれていたことに気づかないまま、淑乃は式場の控室で神聖な花嫁衣裳を脱がされ、真っ白な肌を晒される。
「きゃっ……」
「いくらここにひとがいないとはいえ、あんまり大きな声を出すと参拝客に聞こえちゃうかもな。我慢、できる?」
「ここまでしておいてひどいよサクく……ンっ」
「よしの。花嫁姿の貴女があまりにもうつくしくてホテルまで待てなかったんだ。初夜の前に味見させて……」
「――んっ……あぁっ!」
深いキスを与えられながら畳のうえに押し倒され、彼の手で花ひらく。
袴姿の朔は涼しい顔をして、淑乃にふれていく。ここが神聖な場所で、下手をすると知らないひとにバレてしまうことなど、すでにあたまのなかから霧散していた。
自分の手で啜り啼く花嫁を堪能して、朔はようやく満足したのか、彼女を抱きしめる。
「……ばかっ」
「ごめんね。よしのが可愛いからいけないんだよ。つづきはベッドのうえでたっぷりしてあげるから」
淑乃に啄むようなキスをしながら、朔は彼女の着替えを手伝っていく。結い上げられた髪をポニーテールにして、着物から洋服へ戻った淑乃はふぅ、と息をつきながら朔の袴を脱がせていく。男性用着物は脱ぎ着が楽でいいなあと笑いながら。こうやって着替えを手伝っていると、夫婦みたいだよね、と視線を交わしながら。夫婦みたいじゃなくて夫婦になったんだよ、とスーツに着替え終えた朔は苦笑しながらワンピース姿の淑乃の前で手を差し出す。
「お互い用意もできたし、場所を変えるよ。なんてったって今日は結婚初夜なんだ」
「……サクくん張り切りすぎだよ」
「ふたりきりで夜を過ごすの、再会した日以来なんだぞ……今度こそ一緒に朝まで、な?」
手をつないで外に出れば、赤々と燃える夕陽が地平線へ沈もうとしていた。ずいぶん長い間、神殿内の控室を貸し切り状態にしていたらしい。
真っ赤な生花の髪飾りが朔の鞄のポケットから顔を出しているのを見て、淑乃は笑う。赤いスプレーマムの花言葉は……
「――愛してる」
そう、花言葉は「あなたを愛しています」。
いちどは朔の前から逃げ出した淑乃が、花嫁になって彼のもとへ帰ってきたのだ。朔は今度こそ、彼女を手放さない。
そして淑乃も。泡沫のように消えることはしないと、この先何があっても起こっても傍にいると誓ったのだ。
なにものにも染まりはしない、極夜のなかのひとすじのひかりが見えない月に彩りを添えていたように。
朔は淑乃を、淑乃は朔を、いまもむかしも一途に想いつづけている。
「サクくん?」
「よしの、いままで口にできなくてごめん。ずっとずっと愛してる。仕組まれて出逢った大学一年の春からずっと……貴女がたったひとりトーヤを生み育てながら白衣を着て戦っていたときも、再会が叶って傍にいることが許されてからも、俺……!?」
「知ってるよ。――だけどサクくん」
唐突な告白に高鳴る心臓を抑えながら、淑乃は朔にキスをしていた。
星屑のように煌めく愛の言葉を降らせはじめた花婿に――……
「つづきは初夜のベッドの上できかせてほしいな。いいでしょ? あたしの、旦那様」
熾火のように熱を保つこの欲情が爆ぜるまで、あと、ちょっと。
とろけるほどの甘い初夜が、待っている。
――fin.
結い上げた髪には燃えるような真紅のダリアと手鞠のような丸みを帯びたスプレーマムの深紅の生花が飾られ、銀糸で織りあげられた上品な黄金色が際立つ立て矢結びの帯とともに特別な日を演出していた。黒には「ほかの誰にも染まらない」という意味があるからと、淑乃は朔の前でこの着物を着ることにしたのだ。
ちなみにふたりで選んだウェディングサロンでオーダーしているドレスは、会社主催の披露宴で日の目を見ることになっている。
「……きれいだよ、よしの」
「サクくんも、袴姿、似合ってる」
大学からもよく見える山のうえにある神社が、挙式の舞台だった。学生時代の朔と淑乃が初詣で訪れていた思い出の場所だ。
夏の緑が眩いさわやかな朝、控室から神殿に向け、ゆっくりと番傘をさした花嫁行列がすすんでいく。しずしずと裾を引きずりながら歩く花嫁の隣で、黒紋付袴を着こなした朔は堂々としていた。
「――てっきり挙式もホテルでするのかと思った」
「前は、向こうの意向で交通の便がいいところを指定されたからな。それに、花嫁に逃げられた結婚式場でもう一度別の相手と結婚式をするなんてイヤだろ」
「あたしは気にしないよ?」
「俺が気にするの……」
番傘のなかで内緒話をしながら、和装姿の朔と淑乃は神殿までの道を歩いていく。その仲睦まじい姿は参列者だけでなく、神社の参拝客にもしっかり目撃されていた。何度も「おめでとうございます」「花嫁さんきれいですね」と声をかけられて、淑乃はこそばゆい気持ちになる。
そういえば、神社挙式でいう結婚とは、新郎新婦だけでなく家族と家族の新たな結びつきも意味するのだと、朔が教えてくれた。
――入籍はしたけど、こうやって神様の前で誓いを立てるのって、緊張する。
淑乃は海堂との因縁を知る香宮側のさいごのひとりとして、式に臨む。
およそ三十年前、ひとりの男によって憎しみを植えつけられ香宮を断罪した海堂側の人間はほとんどが鬼籍に入っている。いまさら過去を蒸し返して憎しみ合うなど莫迦げている。自分たちはこんなにも愛し合っているのだ、過去のしがらみに囚われるのはやめて、新たな日々に想いを馳せよう――朔は、列席者を前にきっぱりと言い切った。
次期社長の威厳を併せ持つ彼の言葉に反対する人間など、いるわけがない。
厳粛な雰囲気のなか神殿へ入れば、流れるように儀式がすすんでいく。参進の儀から祝詞に三々九度、指輪交換に玉串奉奠……そしてふたりは神様の前で夫婦となった。
儀式自体は三十分もかからなかったはずだが、淑乃の体感ではそれよりも長く感じられた。特に、朔が誓詞奏上の際に自分を熱く見つめながら言葉を紡いだときは、そこだけ時間が止まってしまったかのような錯覚に陥ったほど……
「お疲れさま」
挙式を終えた後、そのまま神社からほど近い貸し切りの料亭で昼餐をすることになったふたりは、周りに見守られながらホッとした表情で席につく。
礼服を着て本日の主役を待つ暁と灯夜の姿は兄弟のようだった。
「ママもパパもかっこよかった!」
「……そ、そう?」
「よしのさんの着物姿新鮮だね。朔兄も実際に見て驚いたでしょ」
「ああ、俺の花嫁は何を着ても似合うよ」
「サクくんっ!」
朔の息子が暁になついているのを見て、彼の父親をはじめ、光子や陽二郎が驚いていたが、七歳の灯夜が暁を兄のように慕う姿は微笑ましく、彼を交えて朔と暁の兄弟の仲が穏やかなものになっていることを歓迎していた。
終始和やかな雰囲気のなか、食事と集合写真撮影を経て、夕方には現地解散となり、控室で着替える淑乃と朔を残して親族たちは一足先に車で山を下りていった。
「なんだかあっという間だったね」
「そうだな」
今夜灯夜はおじいちゃん家こと海堂本家にお泊りすることになっている。灯夜には朔が怪我した経緯を詳しく伝えていないため、海堂本家が事件現場だったことを知らない。とはいえすでに終わったことだ。それに、暁や結婚式まで何度も様子を見に来てくれた陽二郎も一緒だと楽しそうに口にしていたので、心配することはないだろう。なにより西岡に自分の息子を見てもらえるのが嬉しいと、朔ははにかんだ表情をしていた。
淑乃は朔に手を引かれながら、神殿の控室に戻る。お手伝いさんの手を借りて振袖を脱ぐ手はずになっていたが、控室には誰もいなかった。
「……あれ」
しん、と静まり返った控室で途方に暮れる淑乃の背後から、愛しいひとの声がかかる。
「よしの、どうかしたか?」
「お手伝いさんが」
「帰ってもらったよ」
振り返れば、悪戯を思いついた子どものように、朔が淑乃の唇を奪う。突然キスされて、淑乃は目を見開き、あたまを揺らす。
その瞬間、髪に飾られていた花々が、ふぁさ、と零れて畳のうえにはらりはらりと落ちていく。
「……よしのの花嫁衣裳を脱がせるのは、俺だけだから」
* * *
朔によって仕組まれていたことに気づかないまま、淑乃は式場の控室で神聖な花嫁衣裳を脱がされ、真っ白な肌を晒される。
「きゃっ……」
「いくらここにひとがいないとはいえ、あんまり大きな声を出すと参拝客に聞こえちゃうかもな。我慢、できる?」
「ここまでしておいてひどいよサクく……ンっ」
「よしの。花嫁姿の貴女があまりにもうつくしくてホテルまで待てなかったんだ。初夜の前に味見させて……」
「――んっ……あぁっ!」
深いキスを与えられながら畳のうえに押し倒され、彼の手で花ひらく。
袴姿の朔は涼しい顔をして、淑乃にふれていく。ここが神聖な場所で、下手をすると知らないひとにバレてしまうことなど、すでにあたまのなかから霧散していた。
自分の手で啜り啼く花嫁を堪能して、朔はようやく満足したのか、彼女を抱きしめる。
「……ばかっ」
「ごめんね。よしのが可愛いからいけないんだよ。つづきはベッドのうえでたっぷりしてあげるから」
淑乃に啄むようなキスをしながら、朔は彼女の着替えを手伝っていく。結い上げられた髪をポニーテールにして、着物から洋服へ戻った淑乃はふぅ、と息をつきながら朔の袴を脱がせていく。男性用着物は脱ぎ着が楽でいいなあと笑いながら。こうやって着替えを手伝っていると、夫婦みたいだよね、と視線を交わしながら。夫婦みたいじゃなくて夫婦になったんだよ、とスーツに着替え終えた朔は苦笑しながらワンピース姿の淑乃の前で手を差し出す。
「お互い用意もできたし、場所を変えるよ。なんてったって今日は結婚初夜なんだ」
「……サクくん張り切りすぎだよ」
「ふたりきりで夜を過ごすの、再会した日以来なんだぞ……今度こそ一緒に朝まで、な?」
手をつないで外に出れば、赤々と燃える夕陽が地平線へ沈もうとしていた。ずいぶん長い間、神殿内の控室を貸し切り状態にしていたらしい。
真っ赤な生花の髪飾りが朔の鞄のポケットから顔を出しているのを見て、淑乃は笑う。赤いスプレーマムの花言葉は……
「――愛してる」
そう、花言葉は「あなたを愛しています」。
いちどは朔の前から逃げ出した淑乃が、花嫁になって彼のもとへ帰ってきたのだ。朔は今度こそ、彼女を手放さない。
そして淑乃も。泡沫のように消えることはしないと、この先何があっても起こっても傍にいると誓ったのだ。
なにものにも染まりはしない、極夜のなかのひとすじのひかりが見えない月に彩りを添えていたように。
朔は淑乃を、淑乃は朔を、いまもむかしも一途に想いつづけている。
「サクくん?」
「よしの、いままで口にできなくてごめん。ずっとずっと愛してる。仕組まれて出逢った大学一年の春からずっと……貴女がたったひとりトーヤを生み育てながら白衣を着て戦っていたときも、再会が叶って傍にいることが許されてからも、俺……!?」
「知ってるよ。――だけどサクくん」
唐突な告白に高鳴る心臓を抑えながら、淑乃は朔にキスをしていた。
星屑のように煌めく愛の言葉を降らせはじめた花婿に――……
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